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指示語のさすものについて

実は生徒と問題集を解いていて、どうにも解答が納得出来ないものがあり、皆様の見解をお聞かせ下さい。 問題は次の文章の「これ」の指示するものを示せというものですが文章は 「そうしては蛙の鳴かぬ日中にのみ、これを仰げば眩さに堪えぬようにその身を遙かに煌く日の光の中に没してその小さな咽の千切れるまでは激しく鳴らそうとするのである。」 解答は「雲雀」となっており、筆者によれば「鳴らそうとするのである」の主語は前文に出てくる「雲雀」で、それは私もその通りだと思うのですが、この筆者は「これを仰げば」の「仰ぐ」のは「人」と解釈し(?。ここから私は納得がいかないのです)、何を仰ぐかというと「眩さに堪えぬようにその身を」とあるから「これ」がさすものは「雲雀」だというのです。 私には「これを仰げば眩さに堪えぬように」は「没して」を連用修飾し、「雲雀」が「日」を仰げば「眩さに堪えない」だから、正解は「日」だと思えて仕方ないのです。 いかがでしょうか?ご意見をお聞かせ下さいませんか?

みんなの回答

  • luune21
  • ベストアンサー率45% (747/1633)
回答No.4

この文章だけで、「雲雀が日を仰ぐ」のか「わたし(もしくは第三者)が日を背にした雲雀を仰ぐ」のかを判断しろというのはちょっと酷ではありませんか。 ただし、前後の文脈を抜きにすれば、私は雲雀だと思いますよ。解説のとおりだと感じます。 直感ですが、雲雀が人間などの敵に対し、眩しい日の中に入る、つまり太陽が背景になるようにその視線上に飛び込み(没して)激しく鳴いて応じようとしているのではないでしょうか。 この文章は浪漫派風な印象を受けます。「仰ぐ」の主体が人なのか他の鳥や動物なのかわわかりません。ただ、雲雀が日を仰いでも、あんまり詩的な感慨がありません。 「喉が千切れるほど鳴こうとする」ことに対して、浪漫の香りとして合致しないのです。やはり、雲雀が日に没して、それが眩しいのだという激しさがないといけない感じがします。かなり主観的ですね。回答というより鑑賞? ^^;

sugartea
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。わかりづらくて申し訳ありません。原文は長塚節の「土」の一節です。私も仰ぐのは人でなくてもと思い、そこからずれていったように思います。よく情景をとらえると「雲雀」で正解だと改めて思いました。ありがとうございました。

回答No.3

面白い文章ですね。 私も、「雲雀は、その身を光の中に埋没させて、ひたすら鳴き続けるのだ」と解釈しました。 そして、どのように(あるいは、何故)光の中に埋没させているのか・・・その答が、「これを仰げば眩さに堪えぬよう(に)」だと思うのです。 もちろん、連用修飾しているのは「没して」だと思います。 ですから、答えは雲雀になりますね。

sugartea
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。どうも「眩しい」と「日」に妙に拘っていたようで、情景を改めて考えて納得出来ました。「雲雀」が正解ですね。お恥ずかしい。ありがとうございました。

回答No.2

原文知らないので、一意見としてお聞き下さい。 堪えぬは「できる」「たえる」の意だと思います。(この場合の「ぬ」は否定ではない) 現代文に訳すと「~(前文が分からないので)蛙が鳴かないような日の照っている時分に、○○を見ると眩さに堪えるように遥かに煌いている太陽の光の中で・・・」 となるので「雲雀」で良いかと思います。 現代語的に「ぬ」を解釈してしまうと、全く違う意味になりますね。

sugartea
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。これは原文は長塚節の「土」の一節で、ご回答を拝見して情景を考えてみて納得出来ました。確かに「雲雀」で正解ですね。ありがとうございました。

  • Trick--o--
  • ベストアンサー率20% (413/2034)
回答No.1

雲雀が日を仰いだのでは背面飛行になってしまいますよ。 地上から見られないように、太陽を背に「日の光の中に没して」いるのです。 情景を想像してみてください。 空から雲雀の鳴き声が聞こえる。その姿を探そうとするが、陽光に目が眩んで見つけることが出来ない…… 姿は見つけられないけれども、その鳴き声だけは辺りに響いている。 ちょっと難しい文章ですね。 5分くらい悩みました。

sugartea
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。確かにそうですね。情景が浮かびました。見つからないように、仰げば眩しい日の光に姿を隠し。納得出来ました。どうもありがとうございました。

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