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暦の一月一日はいつ決まりましたか?
一年の初めが一月一日ですが、 これはいつ決められたことでしょうか? また一年の初めを冬至とか立春とか公転の切りのいいところに 決めればいいものを、冬至から十日ほど経った日に どうして決めたのでしょうか?
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#5さんのご指摘があったので改めて調べた結果ですが、太初歴では間違いなく立春を含む月が正月です。 これに対しいわゆる旧暦も冬至を含む月が11月というのは太初歴と同じなのですが、たしかに#5さんが仰るように「二十四節気の雨水を含む月」が正月の定義ですね。もっともなぜそうなったかといえば基本は「立春の『頃』を年初にするため」なのだそうですが。(ご指摘ありがとうございます) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E6%98%A5 ということで一部訂正。 その後の中国・日本の旧暦では冬至を含む月が11月、雨水を含む月が正月、というようになっていったようです。現在の旧暦もそうなっています。 ついでに「年内立春」についても2年に一回ぐらいあって去年も来年も宗なんだという話も上記URLにありました。 なお正月は上の如くですが、1日については、#4で書いた文献を信ずるなら「始めの頃は天象そのものの観測によっていたので、必ずしも朔(新月)が1日になってなかった。戦国時代に正統論から各種の暦が作られていき、結局秦によってせんぎょく暦が行われるようになった時に、朔をもって1日とすることが普通になった」ということのようですね。 西洋でも月ということばは天体の月が元のようですから、元々の1日(ついたち)は月の観測(実測)または月の観測結果による理論(このふたつは必ずしも一致しない)により定められたのではないかと思います。 なお、クリスマスが元はミトラス教の冬至の祭りであったなども関係があるのかもしれません。実際、カエサルが定めたユリウス暦でいくと本来1月1日がそれまでの暦より2ヶ月早い正月(年初)を作ったようですが春分を起点とする暦の2ヶ月前だと1月下旬になり、これが現在の1月1日になったのは件のミトラス教の影響ではないかという話もあるようです。 以下のURLにはこの事が述べられていますが、私同様日中の旧正月については誤解があるようです。 http://astro.ysc.go.jp/izumo/shogatu.html
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- tatsumi01
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日本(中国)の旧暦で立春を正月としていた、というのは間違っていませんか。 参考URLに ---------------------------------------------------------------- 古今集の最初の歌が、在原元方の 「年のうちに春は来にけり ひととせを去年 (こぞ) とやいはん今年とやいはん」 であるが、立春が前年中に来たことに因んだ歌である ---------------------------------------------------------------- とあります。これは正岡子規がつまらない駄洒落だと攻撃した歌ですね。 旧暦の正月は冬至の次々月の朔(新月の日)で、月の運行により決ります。一方、立春は太陽の運行に基づいています。太陽と月の相互関係によっては立春が前の年の十二月に来ることがあり、在原元方はそのことを歌に詠んだのですね。 もちろん、農作業は太陽の位置に大きく左右されるので、旧暦でも二十四節気といって太陽暦で決る基準を重視していました。二十四節気は立春から数え、「夏も近づく八十八夜」とか「二百十日」が農業で重要だったわけです。しかし、正月1日が立春であったことはないでしょう(ごく近い日ではあります)。
- pyon1956
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西暦については皆さんが仰る通りなので、中国(や日本)の暦の場合。 実は仰るように冬至前後に1月(というか正月)を定めていた時もあるようです。ただし、通常言われるのと違い、始めは月を観測して大体この辺、というところで月の始めを決めていた、という説があり説得力があります。後に戦国時代(東周後期)になって各国ごとに「これぞ正統の暦」というものを作って競い合ったが、結局真の統一により、はじめて全国統一の暦(せんぎょく暦と呼ばれるもの。実は秦独自の暦)になりました。これはややこしくて、年の初めが冬至の前の月なのですがこれが10月、当時の次の次の月が正月だが、これは年の初めではない、というもの。これは次の本によるものです。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061495089/249-7932277-6597123 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121015932/249-7932277-6597123 このせんぎょく暦については、 http://karitsu.org/column/020917sk3.htm 今の日本だと年度に似ていますね。これが漢の武帝のときに太初暦に改められ、立春を正月かつ年頭とするようになりました。 >http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%88%9D%E6%9A%A6 以後いわゆる日本・中国の太陰暦は基本的に立春の月=正月=年の初めとなります。(今でも日本では旧暦といって使いますし、中国でも祭りがありますね) んでもって冬至過ぎに決めたのは別に変じゃないでしょう。月はもともと月の運行によるものが紀元でしょうから、その年の冬至過ぎの月から始めただけじゃないかと思います。冬至そのものはお祭りだから、最後に来るか最初に来るかはそれこそどっちでもいいのでは。
- yeslets
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有名なジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)が決めたようですね。 それまでは今の3月が年の始めだったようです。 参考URL以外にもWikipediaにあります。 Wikipediaによると紀元前45年にユリウス暦が制定されたとあります。
- koon1600
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昔は立春にあっていたのです。いまでも旧正月ということで、韓国や中国、日本の中華街などでは2月に祭りがありますね。 もともとは太陽太陰暦(いわゆる旧暦)1月1日が立春と重なっているのですが、西洋の太陽暦に変えたときにずれました。 さらに昔は冬至が1年の初めでした。 なお、旧暦がいまの太陽暦に変わったのは明治6年の旧暦12月3日。これが1月1日となっています。 下のURLに良くまとまっていると思いますので、ご参考に
- tatsumi01
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現在のグレゴリウス暦なら1582年2月24日です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E6%9A%A6 もっとも、それ以前から使われていたユリウス暦ならローマ時代からです。 なお、旧暦(太陰太陽暦)なら、元旦は冬至の次の朔(新月)ですから、ある意味では合理的に決まっていますが、太陽と月の両方の運行に左右される欠点があります。