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二十四節季について

旧暦に二十四節季というのがあります、あれは一日をいうのですか? 15日間をいうのですか? 暦をつくるとき冬至が旧11月中季に入るように作ったというが 彼岸や立春が15日間というのもおかしい?

みんなの回答

  • nananotanu
  • ベストアンサー率31% (714/2263)
回答No.5

本題から外れてきましたが… 田中久重(からくりぎえもん)が発明・製作した「万年自鳴鐘」はぜんまい仕掛けだけで複雑な時刻を再現する、というとんでもないからくりになっています。検索してみると(これも)面白いですよ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E5%B9%B4%E8%87%AA%E9%B3%B4%E9%90%98 因みに、田中久重は東芝の創業者。

  • choibaka
  • ベストアンサー率26% (18/69)
回答No.4

二十四節気を更に五日毎に、初候・次候・末候に分けた「七十二候」ってのも、ありますよ。 例えば立春なら、 「東風氷を解く」 「うぐいす鳴く」 「魚氷をいづる」 しちじゅうにこう、で検索してみてください。

  • hukuponlog
  • ベストアンサー率52% (791/1499)
回答No.3

>彼岸や立春が15日間というのもおかしい? その通りですが、15日間という期間を設けた理由は別にあります。日本(江戸時代)の場合は、この期間で時刻の設定をずらしていったのです。 ご承知の通り、江戸時代の時刻は太陽の動きを元に設定し、太陽が昇り始める時刻を「明け六つ」沈みきった時刻を「暮れ六つ」としました。そしてその間を等間隔で区分して時刻を設定する方式でした。だから、同じ一刻でも、夏と冬では全然時間の長さが違います。 今が「なんどき」なのかは、実際には和時計で確認をし、それを元に「時の鐘」を突いて町中に知らせるというシステムになっていたわけです。 そうすると厳密には、毎日「一刻」の時間は少しずつ変化します。明け六から暮れ六つまでの時間にすると数分は変化しています。 けれども毎日少しずつ変わる時刻に対応することは煩雑ですし、技術的にも当時の和時計には難しかったのです。考えてみれば当たり前のことで、時計の針というのは、同じスピードで正確に動くことが必要なのですから、それを季節に合わせて変えることなど不可能です。(今ならコンピュータ制御で可能でしょうが、機械仕掛けだけで作るとなると、現代の技術でも難しいのでは?) そこで現実的な解決方法として、二十四節季ごとに時計の文字盤を変えて(運針のスピードを変えることは難しいので、表示する文字盤を変える)対応をしました。これでも節季の最初と最後では15分程度はずれがあったでしょうが、その程度は江戸時代なら誤差の範囲です。 その変えるタイミングと、その文字盤を使う期間として二十四節季が使われていたのです。ですから二十四節季が15日間というのは、時刻表示(実際には時刻を知らせる時の鐘を打つ)の関係で必要だったのだと思います。

  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4336)
回答No.2

日本文化いろは辞典二十四節気でけんさくしてください。 分かり易く説明しています。 iroha-japan.net/iroha/A04_24sekki/関連ページ

  • nananotanu
  • ベストアンサー率31% (714/2263)
回答No.1

厳密には太陽がその黄経にある一瞬、暦的にはその瞬間を含む1日、です。(15日間隔、というわけでは有りません)

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