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1月1日

1月1日はなぜおめでたいのですか?? 正月だから、1年の始まりだからだってのはわかるのですが、なんというかそもそも1月1日がおめでたい日になった理由(やはり1年の始まりだからですか??)がよくわからないのでもしよろしければ教えてほしいです!!よろしくお願いします!!

みんなの回答

回答No.6

昔はですね、夜テレビないですし、ネットも携帯もTVゲームもないですから。また、電気もないですから。真っ暗ですることなかったんですよ。 ろうそくは使い捨てシャンデリアで、贅沢品、行灯の油もリッター千円くらいの感じですから、すぐ寝るのが一番。山ん中でテント張るのと同じイメージ。 そうすると、寝たくない時は空でも見るしかないですよね。 本とかマンガとかメールなんか読みませんから、月明かりで十分なんです。 で、この月明かり毎月暗くなって、消えちゃう日が1日あります。 まるっきり消えちゃうんじゃなくって、「ほらほらよーく見ると、ほそーく」って。「消えちゃったんじゃなくって、新しい月だから、見えないくらい細いんだよって、そのうち太くなるから」 月立ちで「ついたち」もしくは、月絶ちで「ついたち」 昔の人は月の満ち欠けが年に12回あることは、電気製品使う時はコンセントにプラグをさすことくらい常識。 月の始まりは、ついたちっていうのは、常識なんですが、歳の始まりは何時にしようっていうと、昔はエアコンなかったし、使い捨てカイロ、婆シャツ、ダウンなかったので、寒い冬は大変で、春が待ち遠しい。毎日寒いんだから、本当に待ち遠しい。 じゃあ、めでたいのは春が来た時。 春の盛りじゃもうめでたさは少ない。 春の兆しが見えたときが一番めでたい。 冬至夏至が冬夏100%、春分秋分が春夏100%だとすると、例えば立冬は秋45%冬55%、立春は冬55%春45%。 冬のつらさがピークになるのは、冬100%の冬至。 それを過ぎると春が1日0.55%づつ増え、冬が0.55%づつ減っていく。 で、冬が減りだして、春が増えだした最初の「ついたち」を年の最初にしようって思うのは普通。 新年は初春ともいいますよね。 見えるか見えないかの月を見て、ついたち、とか新月とかいうのが日本人ですから、あるかないか程の春で、死の世界の冬(万一冬がづっと続くとエスキモーになれない人は死に絶えます)が収束に向かうことと、生があふれ出す春が始まって、生きる糧を得られる1年が今年もやってくると安心して、おめでたいのです。

  • kigurumi
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回答No.5

No.4です。 あったーー やっぱりーー。 冬至が関係していた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%AC%E8%87%B3 『古代には、冬至を1年の始まりとしていた。その名残で、現在でも冬至は暦の基準となっている』 日本の冬至 つまり 太陽の日の出が一番短くその日を境に長くなる地点は12月25日じゃない。 だから、昔の正月をまだ保持しているところは、旧正月を正月として祝うわけですね。 天照の復活? 天の岩戸が開く? あけまして おめでとー? これは日本の民話ですが、恐らく中国とかそこらの太陽の復活の概念が関係しているんじゃないかと。

marohara22
質問者

お礼

なるほど、、、暦も関係していたなんて気付きませんでした!! ありがとうございます!!

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.4

今年は西暦2009年。 西暦とはグレゴリオ暦のこと。 ヨーロッパ方面で使われていたこのカウントの仕方が日本に導入されたのは明治。 それまでは、日本は別のカウントの仕方をしていた。 両方を使っているので、西暦2009年、平成21年と表記する。 さて、和暦はどうカウントしているのか。 太陽神の地上の体現者である天皇が蘇った時からカウントが始まる。 さて、旧正月とは http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E6%AD%A3%E6%9C%88 『旧暦1月1日は、通常雨水(2月19日ごろ)の直前の朔日であり、1月22日ごろから2月19日ごろまでを毎年移動する。』 朔日とは、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%94 『朔(さく)とは、月と太陽の視黄経が等しくなること、また、その時刻のことである。現代的な定義での新月(しんげつ)と同義である。 地球から見て月と太陽が同じ方向となり、月から反射した太陽光が地球にほとんど届かないことと、強い太陽光の影響とで地上からは月が見えない。朔の瞬間を含む日を朔日という。』 だそうです。 どうやら月が死んで3日後に蘇ったときを新しい年とするらしい。 で、おじいさんが竹の中から蘇ったかぐや姫をみつけて、新年が始まりめでたいと喜ぶ と。 あら、月信仰ですねぇ。。。 天皇は太陽神天照の子孫で和暦の始まり。 かぐや姫は月信仰で、一年の始まり。 まっ、そんな世界が日本と。 で、西暦はグレゴリオ暦ですが、その前はユリウス暦、その前は、ローマではローマ暦。 春めいた日を王が新年として宣言していたらしい。 春めいた日といえば、立春ですね。 冬至は一年で一番日の出が短い地点。 春分は、太陽が出ている時間と、出ていない時間が同じ地点。 その中間が立春。 この頃になると、寒さがちょっと和らぎ春の到来の予感があるってことらしい。 で、古代ローマ方面は、太陽信仰が盛んで(月信仰も盛んだった)、太陽の子とされる人の誕生日は、冬至の12月25日とされた。 あそこらあたりの場所で、太陽の出ている期間が一年でもっとも短くなるのが12月22-24日。 12月25日以降、徐々に太陽の出ている時間が長くなる。 12月22、23、24日の3日間、太陽は地上すれすれを通過し、12月25日(冬至)に上昇し、空に十字架であるサザンクロスと重なる。 太陽が十字架刑になるわけです。 それ以降、太陽の出ている時間が長くなるので、太陽が復活したとなる。 だが、太陽の復活を祝う祭りは、春らしさを実感できるようになる春分点までは祝われない。 春分点のあたりに西洋の宗教では、復活祭のお祭りをする。 まっ どうでもいいですけど、春夏秋冬と一年はあり、ぐるぐるめぐってくるので、一度リセットをして、そこから何日目に種を蒔くとよく育つ とか計算するために、暦は必要だったってことですね。 西暦が入るまでは、日本は旧正月を行事の最初として設定しており、正月を祝う前に、一度大掃除、いや大祓いをやった。 一年の間にたまった穢れを祓い清めて、新しい年を迎えるという、いわば、、、儀式みたいなもの。 新年を迎えるまでに大贖罪、いや 大祓いの儀式をやっている。 成人式も通過儀式で、非日常的な行為をやることで、見えない境目を通過するという儀式。 別段、赤道は地球上に線は引いてありませんが、一応、目安としてあるんですね。 別段 1年の始まりはここと目に見える線はありませんが、区切りとして設定しているわけです。 ユダヤ暦だと、9月の終わりから10月のはじめあたりが、新年の始まりらしいです。 乙女座(パンの家=ベツレヘムの家)が子供を生む(収穫の時期)とか、そんなのが関係しているからだと思います。 やっぱりめでたいから、その頃を新年の始まりとするんじゃないかと。 西暦の1月1日をどうしてその日に設定したのかは、知りません。 各地でそれぞれ暦を持っており、一年の始まりは違っていたわけですが、それをユリウス暦、グレゴリオ暦にあわせるとなると、新年が何日もやってくることになったらしい。 数日づれているので、合わせるために、翌日がまた同じ日 とか なったみたいです。 ところが、ユダヤ教は独特の歴を持っており、それによって神の計画は定められているとし、キリスト教が台頭してきて、東方教会と西方教会で暦をめぐって真っ二つに分かれたらしいです。 まあ いずれにせよ、どこでリセットするかは違いますが、新しい年=めでたいという概念はどこも共通のようです。

回答No.3

 回答番号:No.2さんが仰せのように、私達は私たちの側での意味づけをしながら、編集しながら、紡ぎながらこの世、万物に対面し、存在することが出来、意識していることができ、そして生きていられます。  そういう意識付けの用語、メディアの中で方向と時間は古来も現在も基底的であります。  元旦をどうしてこの時期としたかは別にして、経(へ)、めぐるサイクルの最初としてあり、自分といろんなことが、人がともに向かえることができ、はじめることができるとしてあるからです。  何事もきっかけ、契機、押し出していくことは大事なこととなっています。  そういう意味のことだと存じます。

marohara22
質問者

お礼

私たち人類がいろいろなことをしてきたからこのようになったのですね!!理解できました!本当にありがとうございました!

noname#194289
noname#194289
回答No.2

いろいろな考え方があると思いますが、我われ人間は意味がないものにも意味を与えないと落ち着かないように作られています。普段その中にドップイ浸かっていますから気がつかないだけです。このことはたとえば自然科学の研究にしても同じです。探求心とか好奇心というのも意味のネットワークの中にあらゆるものを納めたいという欲求と考えられます。このネットワークの中で時間というものはかなり基本的なもので人間は季節の意味をつけようとして春夏秋冬にそれぞれ生活上の役割を当てはめてきたと思います。季節というのは太陽の光の強さと関係があります。基本的には太陽の光が再び強くなることにありがたい意味を感じたことがあったと思います。物理学的には特別意味が付けられない天体の周期運動であっても生活に役に立つというような意味を与えてそれをうれしいこと、おめでたいこととしたのではないでしょうか。年の初めをおめでたいとしたのははうと関係が合うと思いますがそういう意味では年がら年中同じようなお祝い的なことはやっていたのではないかと思います。作物が取れた秋にも同じようなお祭りをしていたのではないでしょうか。ただ年の初めを祝うというのは太陽が復活したことに対する感謝とともに自分が生きているということに対する感謝の意味も大きいと思います。また将来も生きていられることへの祈りの要素も強いと思います。

marohara22
質問者

お礼

なるほど。。。太陽の光の強さなどが関係しているのですね! わかりました!!ありがとうございます!!

  • ringox
  • ベストアンサー率27% (66/238)
回答No.1

昔は数え年でしたからみんなそろって誕生日パーティーみたいなもんです。楽しいと思いませんか?

marohara22
質問者

お礼

そうですね!!そういう風に考えれば意外と分かりやすいです!!ありがとうございました!!

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