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文学の才能とは?

有名な詩人や過去の詩人あるいは 表現の素晴らしい作家などは、なぜ あのような素晴らしい文や詩が作れるのでしょうか? 例えば歌手の井上陽水さんや私の好きな椎名林檎さん などは語呂合わせで思いつた詩を繋げてるだけと 言っていましたが作家の人たちも深く考えないで語呂 合わせの様に思いついた言葉を繋げてるだけなので しょうか??

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  • JAZberry
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回答No.2

興味深い質問ですね。 世間には歌がうまい人、絵がうまい人、楽器を 演奏するのがうまい人などそれぞれ得意なものが あると思うのですが、私は得意なもの= 自分を表現するものだと考えます。 簡単なことに置き換えれば、ステキな笑顔を作ること も1つの才能だと思います。もちろん笑うことは 誰にでもできますが、人の心を動かすくらいの 笑顔を作るのは簡単なことではありません。 心から溢れる感情が笑顔になり、それが人の心に 響いたとき、笑顔もまた1つの才能になるのでは ないでしょうか。 過去に名作を残した作家や、現代の作家も まずは文章を書くこと、言葉を紡ぎだすことが その人にとって一番自然な自分の感情を表す 方法だったのだと思います。また、その人たちに とっての「言葉」とは、笑顔と同じように何も考えず とも溢れてくるものだったのでしょう。 しかしながら、その素晴らしいと言われる才能も 必ずしも万人に受けるとは限らないと思います。 椎名林檎さんの歌詞はとても深いものだと感じます が、理解できるかと言えばできないし、私にとっては ただ難しい言葉を繋ぎ合わせているだけとも 取れてしまいます。それでも林檎さんにとっては それが自己表現の手段なので、理解されるか されないかは別の次元なのだと思います。 分かってもらえる人だけに分かってもらえれば 良いのではないでしょうか。 つまり究極の自己表現が才能なのだと思います。

hiroyuki0089
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど、そうですね。 林檎さんも語呂合わせで作った詩だけども 結果的には自分の言いたい事が言えている。 と言ってましたし林檎さんと同様に 著名な作家や詩人の方も考えずとも自然に言葉 が思いつくのかもしれないですね。 参考になりました。ありがとうございました。

その他の回答 (3)

noname#37852
noname#37852
回答No.4

詩人と作家は違うと思いますが(違う、とフランソワーズ・サガンさんは語っています)、作家ですと、私が対談記事などで読んだことがあるのは、 だいぶ前の話なので最近は知りませんが、 山田詠美さん ⇒あまり推敲はしない。ただし遅筆。 よしもとばななさん ⇒お父さんの吉本隆明さんによると相当文章を練っている。これが分からない人はよほど不慣れな人だ、と。 私は軽く書いてるのかと思ってましたよ(笑)、私は「不慣れな人」なんですね(笑)。 村上春樹さん ⇒何度か書き直します。  書き終えたものは奥様の陽子さんがまず読みます。  奥様の意見によってラストが変わった作品もあるらしい。 というわけで、すんなり書く人と、推敲を重ねる人といるようです。 なんとなく、推敲する人のほうが多そうな気がしますが。 特に長編なんかになったら、全体のバランスも見ないといけないのだろうし、直しを入れるでしょう。 細かく見れば違いがあるにせよ、詩人や作家は言葉を使うのが得意な人たちでしょう。 足が速いとか、歌が上手い、いい声とかと同じように。 でも技術というのもあるようですよ。 ばななさんは「あの頃の私にはそれを書ききる技術がなかった。今ならもう少しなんとかなると思うんだけど」みたいなことを語っていました。 そのへんは、書いていくうちに発達するものなのでしょう。

hiroyuki0089
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 遅れて申し訳ありません。 そうですね、長編小説の場合かなり練る必要が あるでしょうね。 色々場面を想像したりしてると面白いですし。 夏目漱石や芥川龍之介は、やはり天才的な作家 だと思いますね。

回答No.3

 わたしは、数年前から、つぎのように考えています。  Aさんに理解できて、Bさんに理解できないような文章ではなくて、 誰にも同じイメージが伝わることが大切ではないでしょうか。    われわれは、誰でも知っている言葉で、他人に伝えようとしています。  わざわざ知らない言葉を探しだして、語ろうとはしません。  それには、つぎのようなルールが存在するはずです。    朝食は、ありあわせの材料を、思いつくままに並べたように見えても、 牛乳を温めるかどうか、卵を茹でるか焼くか掻きまぜるか、さまざまの 組合せを、さりげなく選んでいるはずです。    いつもの朝食は、さわやかな詩のようなものだと思います。  昼食を短歌だとすれば、三時のおやつは俳句ですね。  もりだくさんの晩餐は、長編小説ではないでしょうか。    そこで、わたしの風変わりな体験をご紹介しましょう。  かつて、ポスターのヘッド・コピー(十字)に迷ったとき、すべての キーワードは、辞書のどこかに載っているはずだ、と思いつきました。    そして《広辞苑》の見出しに、すべて目を通してみたのです。  一分間一ページあたり、一時間に六〇ページ、一日八時間で480頁、 ついに全2400ページを五日間で読破(!?)しました。

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1989545
hiroyuki0089
質問者

お礼

遅れて申し訳ありません。 回答ありがとうございます。 確かに誰にも分かるような詩も大切だと思いますね。 しかし、それでは文学的には色々想像出来なくてダメ だとは言いませんが奥の深い詩よりかは下の評価に なるのではないのでしょうか?? とは言っても確かに難しいだけじゃなく分かりやす い詩なども大切だとは私も思います。

  • looklook
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回答No.1

幼少の頃の養われた感受性によるんでしょうね。 親がどう育てたかとか、環境(良かれ悪かれ)によるんじゃないでしょうか >語呂合わせで思いつた詩を繋げてるだけと ↑なるほど、言われてみればそんな気も。 有名だけど、自分的には全然良いと思えない詩人もいますよね。

hiroyuki0089
質問者

お礼

回答ありがとうございました