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過去か?
- 朝日新聞連載の「火の鳥」小説版では、過去のことを現在形で表現する表現が多用されています。
- 過去のことを臨場感をもって語るために、過去のことを現在形で表現することもありますが、過剰に使用すると不自然です。
- 今までの小説では、過去のことを現在形で表現していたことが多かったです。
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>>【第2文】のみが現在形で、 後は「~た」です。これをどう見ますか? ここでは、【第1文】が過去から始り、「(見)た」で現在に戻ります。 そして、直ぐに過去に戻り、第3文の「(立て)た」で現在に戻り、「とき」で過去に戻り、「(落ち)た」で現在に戻り、また直ぐに過去に戻り、「(なっ)た」で現在に戻っています。 話者は、このような複雑な観念的な往復を繰り返しています。そこに、文章のうねりが生まれます。 このような時制の本質については、三浦とおる『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫)を参照下さい。
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- OK1723TRD
- ベストアンサー率38% (18/47)
『夢十夜』の冒頭の解説を引用しておきます。 『夢十夜』はまず、冒頭で簡単に、「こんな夢を見た。」という。夢の世界から現実の世界へ戻っての「た」である。それから改行して、また夢の世界へ移行し、あらためて、「腕組をして枕元に坐って居ると、仰向けに寝た女が、静かな声でもう死にますと云ふ。…」と詳しく説明して行く。夢の世界と現実の世界と世界が二重化していて、夢の世界のありかたを現在形で語るのである。われわれが対照を「夢」と呼ぶその時点では、まだ現実の世界にいるわけだから 私は夢で(父親のすがたを見)た。 のような構造であって、「で」というときに夢の世界に半ば入りこんでいるといえよう。この文の配列を変えて、表現主体がはじめから夢の世界に入っていると (父親のすがたを)私は夢で(見)た。 のように往復がニ回になる。現実の世界で身体を動かして行ったり来たりするのとはちがって、観念的な移動であるから、容易にかつ瞬間的に行ったり来たりできるが、このような表現が必要でなければ一回の往復で対象を扱うのである。 (三浦つとむ「形式主義文法論の吟味」『文学・哲学・言語』所収) ということです。『坊っちゃん』にも触れていますので一度覗いて見て下さい。図書館にはあると思います。■
お礼
再回答をありがとうございます。 第二夜では冒頭がこうです。 「第二夜 こんな夢を見た。【第1文】 和尚おしょうの室を退さがって、廊下ろうか伝づたいに自分の部屋へ帰ると行灯あんどうがぼんやり点ともっている。【第2文】 片膝かたひざを座蒲団ざぶとんの上に突いて、灯心を掻かき立てたとき、花のような丁子ちょうじがぱたりと朱塗の台に落ちた。【第3文】 同時に部屋がぱっと明かるくなった。(第4文)」 【第2文】のみが現在形で、 後は「~た」です。これをどう見ますか?
- OK1723TRD
- ベストアンサー率38% (18/47)
助動詞「た」はそれ以前の内容が過去の事実であることを表わすもので、「た」と言っている話者は現在に移行しています。 現在形であれば、歴史的現在で話者は過去の事態に現在として対峙し、受け手もまた現在として理解します。 「た」と言った後、又即過去に移行することもでき、これによりりリアリティを生みだします。 漱石の『夢十夜』などがその典型です。■
お礼
> 「た」と言った後、又即過去に移行することもでき、 ここの意味が理解しかねます。 「た」が過去であれば、「又過去に移行」することはないのではないでしょうか。 夢十夜は、第何話のどの辺ですか?
- koncha108
- ベストアンサー率49% (1313/2666)
> 人それぞれでしょうか。 読み手が自分をどこに置くか次第だと思います。
お礼
やはり、人それぞれですね。
- koncha108
- ベストアンサー率49% (1313/2666)
現在系を使うと読み手がその場に居合わせて現在進行していることを一緒に見ていて同時進行している印象があり、過去形にすると過去に起こった事実を語り手が語るのを聞いている印象を持ちます。言ってみれば演劇を見ているのか映画を見ているのかの違い。手法としてどちらもありだと思います。ただ、現在系の場合、読者が現場にいあわせると言う設定から複雑なストーリーや俯瞰的な表現に限界がある様な気がします。
お礼
回答をありがとうございました。 「過去形にすると過去に起こった事実を語り手が語るのを聞いている印象を持ちます。」 そうでしょうか。 多くの物語で主人公の動きを述べているのが過去形ですが、私は過去の話を聞いている気がしません。 人それぞれでしょうか。
井上ひさしの手鎖心中だったか、現在形だらけの独特の文体だという書評が書かれたので年寄りはみなこれを知っています。ひとつの文体ファッションとしてこれは昔からあるものです。実は私の日記もこの傾向があります。理由はなく、昔そんな書評を読んだからちょっくら真似してみるかという魂胆です。手鎖心中は自信がありませんが井上ひさしは間違いないと思います。
お礼
「ひとつの文体ファッションとしてこれは昔からあるもの」なのですね。 (逆言えば、大多数の普通の実用文ではないですよね。) ありがとうございました。
お礼
重ねてのご回答をありがとうございました。