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土佐山内家が「やまのうち」と誤って読まれた原因は?
『功名が辻』の山内は「やまうち」と読むのが正しいことは調べがついています。問題は、「やまのうち」という読み方が相当流布していることです。辞書や専門家の書物でも「やまのうち」と読んでいるものがありますし、実は、私も「やまのうち」が正しいと長く思い込んでおり、最初はNHKが誤っているか、フィクションなのでわざと名を変えていると思っていました。どうして、誤った読み方が一般化したのかについて、御教示ください。なお、私は歴史学の専門家なので、「一般人・自信なし」の回答には、お礼も評価もしませんので、あしからず。
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以前に(別のIDで)回答したことですけど、 「日本史諸家系図人名辞典」(小和田哲男著)では >一般的には「やまのうち」といわれているが,山内家では「やまうち」としている。 とされ、土佐山内家宝物資料館でも「やまうち」としております。 http://www10.ocn.ne.jp/~yamauchi/04tosahan/04tosahan.html ただ本名は山内一豊は「やまうち かつとよ」ですが。 土佐山内家の場合、宗家は「やまうち」支族は「やまのうち」を称し、幕末の山内容堂ははっきりと「やまうち」です。 山内氏の発祥地は相模国鎌倉郡内の山内という場所で、時代が下って愛知県の岩倉に土着します。 現在の地名では神奈川県鎌倉市山ノ内ですから、そもそもは「やまのうち」で(ここは調べきれてないのですが)、愛知県では「やまうち」と発音する慣習があって「やまうち」と称したのではないのでしょうか。 私の専門は近世日本経済史で、幕末の藩財政が専門ですから、この件では一般人としかいえませんし、鎌倉は現地調査をせず、愛知県のみの簡単な調査しかしてませんので、比較調査という観点では自信がもてません。 しかがって、コメントは不要です。
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- daitoua2600
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何が「私は歴史学の専門家なので、一般人・自信なしの回答には、お礼も評価もしませんので、あしからず」ですか。 偉そうに何様のつもりですか? 専門家だかなんだか知りませんが高飛車な振る舞いは醜いですよ。 専門家だったら専門家の知り合いにでも聞けばいいでしょう。 それにこの質問はちょっと調べればわかることですよ。それなのによく難しい調査を必要とする専門家を名乗れますね。 もしかして自称ですか?
お礼
申し訳ありません。過ぎた表現になってしまいました。不確かな書き込みをする人が多いもので、それを警戒した余りのことなのですが、文字にすると、失礼な言い方になっています。
- usami33
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NHKの説明や一般人の回答では納得できないようですね では、本物の専門家の書かれたものを紹介します 姓氏研究家 森岡 浩 http://www.njg.co.jp/blog_morioka.html?archive=2006-01-10 家紋の専門書から http://www2.harimaya.com/sengoku/html/t_yama.html なんにしても皆さんが指摘しているように。専門家が専門分野をご自分で調べず、人に聞くなんて・・・ こんなに多くの回答が来ているのに、回答を下さった一般人以下ですよ
お礼
申し訳ありません。不正確なことを書き連ねる人がいるもので、警戒したあまり、過ぎた表現になってしまいました。
- 10pph
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山内家に限らず、本来の読み方と違ったものが一般化した例は多いと思います。しかし、それが誤って変化したものなのか?、違う理由があるのかといった考察もできるはずです。 歴史学の専門家であるならば、「誤った」ものなのかどうかを自らの調査で明らかにすべきでしょう。 >私は歴史学の専門家なので、「一般人・自信なし」の回答には、お礼も評価もしませんので、あしからず。 もっと、謙虚にあるべきではありませんか?、無礼な書き方だと思います。
お礼
申し訳ありません。不正確な書き込みが多いことを警戒するばかりに、きつい表現になってしまいました。
- 1582
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関東の山内上杉家と紛らわしいので変えたという説をきいたことがある
お礼
なるほど、確かに、あれは「やまのうち」ですね。ご指摘ありがとうございます。
「やまうち」が正しく「やまのうち」が誤りだと決め付けていらっしゃいますが、戦国時代に両者が厳格に使い分けられていたかは疑問です。 三ッ葉柏紋の山内氏と言えば、藤原資通を祖とする鎌倉山内(やまのうち)氏が宗家です。鎌倉山内氏は、応仁の乱以後備後山内首藤家を嫡流としました。土佐山内家も備後山内首藤家の傍流とされるので「やまのうち」と読まれることが多いのです。 No.3の方が書かれているように、土佐山内家では本家を「やまうち」、支流を「やまのうち」と称します。しかし、これは多分に備後山内氏を意識してのことと思われます。本来は備後山内氏の方がはるかに由緒ある家系なのですが、備後山内氏は毛利家の陪臣、一方土佐山内氏は国主で家格が逆転してしまったため、備後山内氏と同じ「やまのうち」を名乗るのは不都合だったのです。 しかし一豊が出世をする以前は、片や岩倉織田氏の家臣、片や備後一の豪族で、家格の差は歴然でした。普段「やまうち」と呼ばれたか「やまのうち」と呼ばれたかは定かではありませんが、名家と同じ「やまのうち」と呼ばれることに何の支障も無かったはずです。
お礼
ご指摘、ありがとうございます。なお、問い方が、文字にすると、大変失礼な内容になっていたことを、深くお詫びします。
- 0KG00
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↓
お礼
どうも、お怒りのご様子で、恐縮しております。失礼な表現になったのは、不確かな書き込みをよく見るため、それを警戒したのですが、文字にすると不遜なことになっていました。
- usami33
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一般人です・自信なしです でも『功名が辻』の第一話の冒頭で説明があり、NHKのホームページでも同じ説明がされてます
お礼
文字にするときつい表現になったことを、皆さんにお詫びします。いい加減な憶測による投稿が多いことを警戒するあまりのことです。
お礼
詳しい、お答えありがとうございます。失礼な質問内容になってしまったことを反省しております。