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「人をみる目」とか「時勢を読む先見性」というもの

27才の独身女性です。 ドラマ『功名が辻』をみていても思ったのですが、「女性特有のカン」で夫婦ともども厳しい時代を乗り切ったということはよく聞きます。 科学的にも女性のカンというものは信頼性が極めて高いことが証明されているようです。 でも、私はいつも「人をみる目がない」と言われます。 自分でもそう思います。人のうわっつらに流されやすいというか。。。 新聞やニュースも毎日目を通しているのですが、確かに時代の流れという漠然としたものに疎い面もあります。 いわゆる「人をみる目」は、天性のものというより、やはり多くの人と接しているうちに養われるものなのでしょうか? 「先見性」についても、メディアを読むだけでなく、もっともっと多くの世界に触れれば身につくものでしょうか? 情緒あふれる小説や映画をたくさんみるといい、とも聞きますが、私はフィクションの物語が苦手で、いつも歴史ものとかノンフィクションのものばかり読んでいます。 これもあまりよくないことでしょうか。 あいまいな質問ですが、よろしくお願いします。

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  • tomban
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回答No.4

「フィクションがダメ」だと、感が育たないか、というと・・ 「全く反対」だと思っています。 「歴史」というものは、言ってみれば「データベース」そのもので、例えば「本能寺の変」なんていう出来事も、いろいろな「人間関係」のあやが有ってこその「ロマン」なのです。 何百年もの間「不思議な出来事」として語り継がれるための「必要条件の一つ」として「自分たちの周りにも有る」ということが必要不可欠なのではないでしょうか?。 さて、では昔の出来事を「解明」していくのに必要なものとはなんでしょうか?。 「科学的物証」も必要です。また「記録書き」もすべて真実、とは言えないものの貴重な資料物です。 ですが、私が一番必要だ、と考えているのは「当時の人たちの心」だと思うのです。 女は女、男は男、恋は恋、です。 彼らも、現代の我々も人間的に大きな違いなんか無いのですから、今、我々が暮らしている「生活」の中からこそ「しっかりとした推理、推論」が導き出される、といっても可笑しくないのじゃないでしょうか?。 時空を飛び越えて、誰もが信長になり、光秀になれるのです。 「俺ならば秀吉の「大返し」は、こんなふうにして・・こんな思惑で」とか考えられますよね。 そしてその「想像力」こそが「感」を確実にするための、大きな「バックボーン」なのです。 必要なのは「人間」というものが、どういうものであるか、ということについての「興味」と「探求」です。 それが、ただの「ヤマカン」ではない、本当に鋭くて、頼りになる「カン」をもたらしてくれます。 「いつでも興味深くあること」・・楽しむことが、感を磨くコツであると考えます。 「女のカン」とは、どういうものかわかりませんが、ただの「ヤマカン」には「真実味」がありませんよ。 カンは天性の部分よりも「家庭環境」や「性格」によって発達してくるものだと思いますし、また先に言ったように「磨く」ことは十分可能である、と断言できます。

その他の回答 (3)

  • ribura
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回答No.3

こんにちは。 40代既婚女性です。 「人を見る目」に関しては「何の部分で」という目的別のようなところがありますから一概には言えませんが、基本になる判断材料はあると思います。 それはやはり「人間とは本来こうあるべき」という理想にかなっているか、という事だと思います。「常識」は時代によって変わり流行に左右されますが「本来こうあるべき」という理想というものは変わらないはずです。 赤信号皆で渡れば怖くない・・・確かにそうなんですが、何のための赤信号なのかを考えたらやはり渡るべきではないですよね。 こういった理想は特定の人物に対する評価にも繋がります。そして時代の流れや流行はその人物の今後を左右する要素になります。 ホリエモンを思い出してみてください。彼のしてきたこと、社会からの評価、そして現在。今後については時代が決めていくでしょう。 「先見性」についてですが私もカンが鋭い方です。確かにそれは元々の性質もあると思います。しかし持っている天性を活かすにはやはり「情報」が必要です。でなければただの超能力ですよね。 「情報」があってこそ先も見えてきます。歴史ものやノンフィクションは優れた情報源だと思いますよ。それにプラスして情緒あふれる小説や映画で感性を養えば鬼に金棒だと思います。 フィクション(作り物)だと考えずに、人の感情の流れを分析するなどの材料として捉えて見られてはどうでしょう。 事実は小説よりも奇なりと言います。そうであるならば現実よりも平易なフィクションのパターンを制覇できれば、先見性や人を見る目を持つのもある程度容易なのではないかなと思います。

  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.2

科学でカンというのは仮説は色々ありますが、立証されてはいないと思います(たぶん) しかし、賭け事などでツキや流れという言葉があるように、人が何かしらを感じて、よい結果になるような行動をしている可能性はあるでしょうね。 どっかでかじった情報ですが、経験や何気なく聞いた情報、普段は気付かない微細な異変などで総合的にカンが働くようですね。 映画好きの人は映画のオチがなんとなく読めたり、仕事のできる人は企画書で結果がわかってしまったり…将棋なども相手の手が読めると言いますね。 人に対しても、多くの人と接すればカン(見る目)は養われるかもしれませんね。 歴史モノやノンフィクションもいいと思いますよ。そこから教訓を読み取れれば、先見性は養われると思います。 実際に歴史上の策士も多くの兵法の書(戦争実例集=ノンフィクション)に精通し、そこから養われたカンと知識から最善の結果を導く策を献策している例は多くあります。

  • precog
  • ベストアンサー率22% (966/4314)
回答No.1

同じ事を経験しても、人によって取り方は様々です。 用心して生きてきた人は、人を見て、一生懸命その人の真意を見抜こうとします。そうでないひとは、人の言葉だけを鵜呑みにします。 同じように痛い目を見ても、二度と引っかかるまいと思う人と、引っかからないようにするためにはどうしなければいけないかを真剣に考える人が居ます。 なので、 >新聞やニュースも毎日目を通しているのですが、確かに時代の流れという漠然としたものに疎い面もあります。 原因はここにあります。 >いわゆる「人をみる目」は、天性のものというより、やはり多くの人と接しているうちに養われるものなのでしょうか? 天性では有りませんが、接していれば養われるものでもありません。 まぁ、あなたは、あなたの性格のまま暮らしてきて何も問題は起きてないのだから、このままおおらかでいいのではとわたしは思いますけど。 得てしてそういう人は、周りの人が守ってくれるものです。

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