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山内一豊のどこがすごい武将なのでしょうか。
山内一豊のどこがすごい武将なのでしょうか。 NHKの大河ドラマ「功名が辻」を楽しく毎週見ています。 そこで質問ですが、山内一豊のどこがすごい武将なのでしょうか。 高知県では英雄なのでしょうか。 ちなみに、信長、秀吉、家康以外の大河ドラマで取り上げられた武将; 武田信玄は山梨県の英雄です。 前田利家は金沢の英雄です。 伊達政宗は仙台の英雄です。
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多分次回の功名が辻で放映になると思うんだけど、一豊が土佐に入ったとき長宗我部の遺臣らの激しい抵抗にあったと思うのですが、その抵抗をうまく抑えて、幕末の雄藩として歴史に残る土佐藩の礎を築いた武将。 充分英雄といえるのではないでしょうか。 ただ弾圧するだけでは、内乱が起こります。そうなれば幕府によって改易となります。 実際、東軍に味方した豊臣恩顧の外様大名が、大阪夏の陣以降どんどん取りつぶされていきました。
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- mn214
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山内一豊自身は別に英雄でもないでしょうし、同時代の他の武将に比べて特別に“すごい”ということはないのだろうと思います。 今日まで世間に伝わる彼を取り巻く伝承では、内助の功という意味で『山内一豊の妻』が有名であって、決して山内一豊が有名な訳ではないと言った方が正確ではないかと思います。 ですから山内一豊がすごいのかと思っているとちょっと違うと思います。
- VFR
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城下士と郷士の二重構造が結果的に幕末の土佐藩が大きな存在となったとしても、それを持って彼が偉大だったとするのはいくらなんでも無理があるでしょう。なんとしてもそれは絶対に彼が意図したことではなく偶然の産物なのですから。 彼自身は一領具足に対して徹底的な弾圧を図りました。彼の意図では一領具足たちは農民に格下げ、文句を言う者は全部殺すという、一領具足絶滅政策でした。一領具足たちが郷士として曲がりなりにも存在を許されたのは2代目藩主の時代に融和政策がとられたからです。 私の印象で彼を現代の人間に例えるなら、うまく要領で出世して敵対的企業買収した企業の社長に就任、必死に親会社の顔色だけを伺いながら元の企業の人間を徹底的にリストラするような人間という感じです。2代目社長の方針転換で元の社員が生き残り、後にその会社が飛躍するきっかけを作ったとしても、初代社長の功績とはならないでしょう。
- eroero1919
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なにがすごいって、あの生き馬の目を抜くような戦国時代に、なにもすごいところがないのに大名までのし上がったのがすごいと思います。 真面目で地道に、コツコツ、コツコツ。西川きよし師匠のごとく「大きなことはできまへん。小さなことからコツコツと」であそこまで登りつめました。日本人ウケするわけですね。
- SNAIL
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こんにちは 山内一豊は、特に英雄という感はありませんが 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、と 戦国の三人の武将三武将に次々と仕え取り立てられた 数少ない特異な存在です。 その処世術が売りなのではないでしょうか。
- Kiriyama-taicho
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山内一豊というより「山内一豊の妻」と言われる人は 戦前の歴史(or国語)教科書に必ず出てきた「内助の功」の 鑑とされた女性ということから近代に入って有名になった 歴史上の人物ということで間違いないでしょう。 土佐の英雄と言えば坂本竜馬。竜馬ら勤皇の志士は 山内家に取り立てられなかった「郷士」と呼ばれる人々ですから、 そういう意味でも土佐においては微妙な存在だと思います。 ただし大河ドラマというのは歴史上の人物の波乱にとんだ 生涯を描くドラマですので、必ずしも一般的に「すごい」 人が主人公になるわけではないのです。 初期の大河を振り返れば「井伊直弼」「原田甲斐」 「柳生宗矩」「呂宋助左衛門」「大村益次郎」などが 主人公の作品が作られていますが、いずれも信長とか 秀吉に比べるとそれほど有名人ではないですよね。
- koon1600
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すごいのは山内一豊ではなくて司馬遼太郎です。 これに尽きると思うのですが・・・ 結局、利家もそうですけどメディア系の主役は、武将が格好よく見えたらそれは作家の手柄です。司馬は断定が多いなど、歴史書としてはあまりよいとはいえませんが、歴史小説としての質は評価されてしかるべきでしょう。 というより、山内の場合、運ですからね・・・あそこまでなったのは。主君を選んだ運、戦場で生き残れた運、器量のある妻に恵まれた運・・・まあ、運も実力のうち、といいますが・・・ また、分かりやすい例として、ゲームでの評価もありとは思いますね・・・信長の野望(蒼天録)での能力(最低1~最高100)。 山内一豊:政治61、統率45、知略46 こんな程度です。このくらいばごろごろいます。 ちなみに土佐の出来人は 長宗我部元親:政治79、統率86、知略83 こんな感じです。まあ、山内とではやっていることも格が違うのですが・・・結局、山内というのはこの程度の人物、ということです。
#7さんの >あと、明らかな間違いが散見されるので訂正: >「一領具足」は長宗我部家の政策で、山内家の政策ではありません。(参考URLを参照してください) は、私の回答に対するものと受け取りましたが、当然山内家の政策ではなく、長宗我部家のものです。 それ故に、この「一領具足」という言葉は、反山内家の気持ちを抱く郷士(旧長宗我部家臣)の心に残り、幕末の原動力になっています。(参考URLを参照してください) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BD%90%E8%97%A9 従って >あと、明らかな間違いが散見されるので訂正: とまではいえないと思いますが、いかがでしょうか。 小説なども、このあたり(「一領具足」は長宗我部家の政策)は常識と考えた上で、龍馬ら郷士身分の土佐藩上士に対する反骨という意味で、敢えて幕末期にこの言葉を使うと理解しています。 この山内一豊はどことなく「結果オーライ」の武将のようなところがあり、意図したものではありませんが、この旧長宗我部家臣との融和を図らず、対立関係を残したことが、300年の太平で、他藩のように、土佐藩がどうしようもなく堕落するのを防ぎ、活力を残せたのですから、彼のこの政策は成功だったと考えてもおかしくないと考えます。
- Toshi0230
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> 山内一豊のどこがすごい武将 数少ない、一国の太守まで上り詰めた人物なのですから、それなりにすごい人物ではあると思います。 ただ、高知での「英雄」ではないでしょうね。 一豊は高知に入った後、旧長宗我部家臣団を冷遇/弾圧しています。「郷士」という、農民とも武士ともつかない下級士族とされたのは旧長宗我部家臣団でした。そのため、これらの人々は藩主筋への反発が強かったと聞いています。 あと、明らかな間違いが散見されるので訂正: 「一領具足」は長宗我部家の政策で、山内家の政策ではありません。(参考URLを参照してください) それから、「一筆啓上、火の用心。おせん泣かすな、馬肥やせ」は一豊ではなくて、家康家臣の本多作左衛門の手紙ですね。
妻のへそくりで、名馬を買ったことと、掛川城を明渡したことくらいですよね。 武勇というか、勇ましいエピソードは、ほおに刺さった矢を桐の葉を血のおさえにして、抜いたというのが、ありますね。 だから、桐が家紋と、いうのでは、なかったでしたっけ。 「一筆啓上、火の用心。おせん泣かすな。火の用心」は、一豊のエピソードでしたっけ?
- buchi-dog
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山内一豊が司馬遼太郎の小説の主人公になり、その小説が大河ドラマになったのは 「豊臣政権下では年功序列で数万石を与えられただけの男が、関ヶ原の合戦に際しての『働き』だけで土佐一国の太守となった」 という奇跡のような歴史的事実によるものでしょう。それはそれで、「凡人」のサクセスストーリーとして面白いですよね。私も昔は「功名が辻」を興味深く読みました。 史実はどうか知りませんが、小説「功名が辻」では一豊の妻(小説では千代)の働きがクローズアップされています。この点も、「男女同権」の現代の世相に合い、ドラマ化しやすいです。ドラマでは主演女優の見せ所になりますし。
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