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どうして人を殺してはいけないのですか?の答え。。

今こういう質問する子どもがいるらしいです。 答えなんて明白すぎて、私だったらうまく理由の説明できません。 あなたが親だったらどう説明しますか? 教えて下さい。

みんなの回答

noname#185865
noname#185865
回答No.17

#15です。 前回私は種の保存に触れ「人間にはそのような本能があるのかないのかわかりませんが」と書きました。 このとき私は忘れていたのです、ヒト及びサルは同類同士殺しあうことのある生き物だということを。 野生のチンパンジーが縄張り争いなどの際に残虐な殺戮行為を行うという研究発表がグドールという学者によってなされています。 しかし霊長類の中でも非常に平和的な種もあり、チンパンジーより人間に近いとされているボノボは争いはあっても残虐行為には至らず、平和的な解決方法をとるとされています。 猿人→ホモエレクトス→ホモサピエンスという進化の過程を歴史で学んだと思いますが、 ホモエレクトスのほとんどが絶滅した理由のひとつは大量虐殺があったからだと主張する学者もいるそうです。 ヒトはヒトを殺すことのできる動物である。 ヒトは集団を形成して生活する社会的動物である(一人では生きていけない)。 形成した共同体の秩序を守ることは己の利益であり、みんなの利益である。 だから「人を殺してはいけない」という“掟”あるいは“モラル”が必要だったのです。 >答えなんて明白すぎて、私だったらうまく理由の説明できません。 ご自身の中に「人を殺してはいけない」というモラルが自明の理として認識されているからこそ上手く説明できないのでしょう。 先にも書いたように必ずしも「正解」を上手く説明しなければならないなんてことはないと思います。 大事なことは自分が真剣に考え、感じたことを熱意を持って相手に伝えることでしょう。 質問してきた相手が小さい子であったらなおのこと、理屈より感性に訴えることが大事だと思います。 人はもしかしたらもともと残忍性を持った生き物かもしれない。 しかしそれを知性でコントロールすることは可能です。 そして人にはほかの動物にはない想像力というものがあります。 つまり、相手の立場に立って考える能力があるということです。 利己的にもなれるし、利他的にもなれるのです。 想像力を駆使して、相手の立場にたって考え、「いけないものはいけないんだ」と心で感じる人間に育って欲しいものです。

  • gorou3
  • ベストアンサー率21% (35/166)
回答No.16

この問いは、オウム事件や少年の小学生殺害事件の後、公開の場で若者が発し物議をかもした物で、雑誌や本でも取り上げられているが、識者の回答はマチマチであった。また「女王の教室」で取り上げている。 単に社会維持の為の第一原則である。 長々と理屈で回答する性格のテーマではないと思っています。 No.272895 質問:どうして人を殺しちゃいけないの? ☆☆ http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1071416 No.1642287 質問:人を殺してはいけない理由とは。 ★ http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1071416 No.1660811 質問:女王の教室と死刑制度 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1071416 No.1727823 質問:人は何故、人を殺してはいけないのですか? ★ http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1071416

  • corpus
  • ベストアンサー率12% (25/200)
回答No.15

このような問いは親だったら説明はしないでしょう。ただ、「そのような問いは発してはいけない」と言ってしまうのは愚の骨頂でしょう。「君だったらどう考える?私にはまだ最終結論が出ていない。他の人もおそらくわかっていないだろう。君は考えたいときに考え続けるのだ。」と言うのがよいでしょう。あくまでそのような問いを発することがその子が人を殺すことになるとは思えません。本気で人を殺そうとする人は聞くまでもなく人を殺すでしょう。

noname#177238
noname#177238
回答No.14

極端に根本的なものは説明できません。命が尊いのはなぜと聞かれても、説明できません。「命は尊い!」これで終わりです。「人殺しはいけない!」これも自明の理で、それ以上遡れません。あえて言えば、地獄に行くからですね。こういうのは、子供に叩き込んで教えるもので、説明すべき事柄ではないと思います。掛け算の九九と同じです。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.13

◇ 人を殺す人間とはどういう人間でしょうか。 例外はあるでしょうが、殆んどは可哀想なと言って語弊があるようなら、不幸な人間であることに間違いはないと思います。 人を殺す人間は、自分を殺したがっている人間ではなでしょうか。 少なくとも、自分自身の中に「殺したいほど憎い部分」を抱え込んでいる人間でしょう。 殺す表向きの理由は人さまざまでしょうが、「殺すことによって何かが解決できる」と思い込んでしまうこと自体が不幸な証拠です。 また、その思い込みは、自らの内部にある決してぬぐうことのできない、自分の構成分子の一部であるかのような憎むべき部分によってもたらされるのではないかと思います。 ◇ 端的に言うと殺人者というのは、自ら経験した不幸を、他者を完全なる(死という)不幸に陥れることで贖おうとする人間ではないかということです。 他者に対して不幸の道連れ(対等な条件ではありませんが)を強制する人間である、とも言えるかもしれません。 初めから殺人者という人間がいるわけではありません。 ある時、ある状況に直面した時、解決の手段として殺人という方法が有効であると考え(あるいは感じ)、それを選択し実行してしまう、ということだと思います。 そして、そのような一連の思考回路が成立してしまう背景には、無意識の領域に本人自身のぬぐい難い負の記憶が存在しているのだろうということです。 無論、同じような{不幸な}経験をした人が全て殺人者になるわけではないでしょう。 それを乗り越えるだけのキャパシティが本人に備わっていなかった、あるいは培っていくだけの能力を持ち合わせていなかったということなのだと思います。 ◇ しかし、当然のことながら、他者を殺すということは人間の生命を奪うということです。 人間の生命を奪うということは、人間である自らの生命も他者によって奪われる可能性が十分にあり得ることを、自ら実証してみせた事になります。 自分と同じことを他の人間がしないはずはない、と考えざるを得ないのが人間だからです。 この連想する能力、あるいは「想像力」の深さこそが他の動物にはない(あるいは希薄な)人間の最大の特徴のひとつではないかと思います。 ◇ 他人に対してどうとかいう問題ではないでしょう。 つまり、人を殺すということは、「人間は本当に人間を殺すことができる」という可能性を自ら実証することになる。 そして、自分の手で人を殺したということが、他人も自分を殺すことができるのだという単なる想像を確信にまで変質させてしまう、ということになるのだと思います。 年齢にもよるのでしょうが、小さい子に説明するのであれば次のように言ってみます。 『あなたには想像力というものがある。人を殺したら、同じ人間なのだから自分も同じように人に殺されるかもしれない、ということが簡単に想像できてしまう。 たとえどんな理由があったとしても、その想像を打ち消すことはできない。その時はわからなくても、他人だって似たような理由を持てば自分を殺してもいい、という理屈を認めてしまったことにあなたはすぐ気が付くようになるだろう。 そして、あなたは人間というものを心から信じることができないまま一生を過ごすことになる。 しかも、人間は共に喜び、悲しみは分かち合うという可能性すら持っているが、あなたは誰かが生きるために自分を殺す可能性をまず第一に思い浮かべなければならなくなるだろう。 たった一度の人生をそのような想像力で支配させるのは、あなたにとって幸福であるとは決して言えないように思う。』

noname#185865
noname#185865
回答No.12

質問をしてくる子どもの年齢によっても説明のしかたが違ってくるかと思います。 どなたかがおっしゃっているようにその子にあなたはどうしてだと思うかと聞くのもひとつの手段ですね。 つまりそうすることで相手が何を考え、何を求めてこのような質問をして来るのかある程度わかり、そうすればそれにあった答えかたができるはずです。 でもこういう質問をしてくるのはある程度知恵の付いた生意気盛りの子どもではないかと思います。 軽い気持ちでそんなことを聞く子だったら、私は「このばかもの!」と叱りつけますね。 あえてそのような問いに答えないというのもありだと思います。 そうではなく真剣に答えを求めているのだとしたらこちらも真剣に考え、答えます。 大事なことは答えが正しいかどうかではなく、子どもに真剣に向き合うかどうかだと思います。 数学と違って答えはひとつではないでしょうから。 でもせっかくの機会なのである程度理屈の分かる年頃の子にわかりやすい一般的説明を考えてみました。 自分達の共同体の秩序を守ることはみんなの利益であり、この秩序を守るために「人を殺してはいけない」というルールが存在する。 つまり、「人を殺してもよい」という社会に人は安心して生きることはできないということです。 あるいは種の保存という観点から説明してもよいかもしれません。 同じ種同士で殺しあっていてはいつか滅亡してしまいます。 狼などの猛獣はオスが縄張り争いなどをしても決して相手を殺すことはない、というか殺せないのだそうです。 負けを認めたほうが自分の急所である首を差し出すと勝った方はなぜかその急所に噛みつけない。そのように本能的にインプットされているようです。 人間にはそのような本能があるのかないのかわかりませんが,本能の代わりに法律というルールを取り決めたのです。 では戦争は?死刑は?国家によって合法的に行われる殺人ですね。 相手の国家が自分達と同じ共同体と認識されず、自分達の利益や秩序を侵害する存在となったとき、戦争が起きるんですね。 死刑の場合、凶悪犯罪人を生かしておくことが共同体の秩序を壊すという考えのもとに死刑制度が成り立っているように思います。 ちなみに私は理屈抜きで誰も殺したくないし、誰にも殺されたくないし、戦争も死刑制度も嫌いです。 殺人はミステリーの中だけで十分です。

回答No.11

私なら どうして、人は貴方に殺されなければならないのでしょうか?相手の立場に立って考えましょう。 と説明します。 個人的にですが、子供に対して、“権利、法律、科学の視点で物事を説明するのは避けたほうが良いのでは"と思っています。道徳(人間の社会性)の問題なのと、時間がたてば分かる事でもあるでしょうし。

noname#31063
noname#31063
回答No.10

人が人を殺すのは、食べないにしても「共食い」で、人間に共食いする必要などあまりないもの。 でも食物連鎖の頂点であっても人間を襲えるのは人間だけになりますか。 医学的にも人間の共食いは何らかの異常を引き起こします。 牛のBSEにしろ、人食い人種は奇態も多発してたらしいです。だから共食いは良くないです。 自分ひとりが生きるに必要以上の食べ物やお金や物を所有すること、これも結局共食いをやって、餓死者が減ることない世の中なのですが、所有は所有するだけその物にも義務や責任を負うことになります。 余分な所有は隷属です。 普通に得をして生きたい人なら、他人の命や大切なものを奪ってまで、責任や義務を負う奴隷は最初から面倒だししないもの。 それでも所有大好きの人は、他の人の大切なものとは知らず搾取、所有して、責任能力の高さを競うかのようです。

  • bo-suke
  • ベストアンサー率23% (58/242)
回答No.9

簡単ですよ。頭をひねりすぎです。例えば私が死んだらお前はどう思う?と聞けばいいのですよ。後は相手の返答を待つ。そして、ならやめておけ、といえばいい。 子供相手に理論立ててはっきりと答えてやる必要はないはずです。それに、間違ったことを言っているつもりもないですしね。もし、ごまかしだと思う方、上の回答が間違っていると思う方がいるなら、石を投げてください。 こんな当然な命題は、直感的に理解させてやれば言いのです。 それより大人で、中高生がこの質問をしてきたら、もう核となる自我なんかあるんですから、それは『もう手遅れ』か、『わかっているんだけど、理論的でないから不安』のどちらかです。ならほうっておけばいい。後は自分で答えを探しますよ。「理論的じゃないから、私たちが自主的に守らなければいけないのだ…強い理論武装で以って」と言う結論に達しますよ。…ダッテ皆さんもそうでしょ?本当に理解している人はいない。でも絶対正しいと思っている。論理の問題じゃない。直観の問題ですよこれは。 こう考えると、人間とはなんと浅はかな直観的公理の元に歴史を戦ってきたことか思い知らされますね。そしてそれゆえに純粋だともいえます。

  • osaji-h
  • ベストアンサー率60% (412/683)
回答No.8

まず、あなたが他の人に対してすることは、逆にあなたが他の人からされてもいいと思うことじゃなきゃいけない。 あなたが人を殺したら、あなたは逆に人から殺されることを受け入れなければいけない。 たとえば人を殴るなら、あなたが逆に殴られてもいいと覚悟しなきゃいけない。 またはその人が、殴られてもしょうがないくらいの悪いことをしていなきゃいけない。 そうして殴られた人は、自分はそれくらい悪いことをしたんだと気がついて反省して、いい人になるかもしれない。 でも死んじゃったら、その人はもう反省していい人になることも絶対できない。 もちろんこれは、あなたが殺されても同じことだよね。 No.4の方と大意は同じですね。 私には子供はいませんが、もしいたら以上のように説明するつもりです。

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