I can lend you two books both of which are very good. はなぜ非文か
(1)
次の文1(”both of which” の前にカンマ「あり」)はよく目にしますし、尋ねてみたnativeたちもOKだといいます。
1. I can lend you two books, both of which are very good.
(2)
一方、次の文2 (”both of which” の前にカンマ『なし』))は私自身見かけることはなかったように思いますし、尋ねてみたnativeたちも非文だといいます。
2. I can lend you two books both of which are very good.
(3)
かたや、次の文3(”the title of which” の前にカンマ『なし』)は相当『堅い』文体ではありますが、文法的に正しい英文のようです。
3. He’s written a book the name of which I’ve forgotten.
(Michael Swan著 “Practical English Grammar” (OUP), p.481より)
● 質問です。書き言葉で、
・ ”「名詞」 of which” の文3は、前にカンマなしで文法的に「正しい」
のに、他方
・ ”「数量表現」 of which” の文2は、前にカンマなしでは文法的に「正しくない」
ということになるのでしょうか?
何かヒントをいただけるとうれしいです。
お礼
ありがとうございます。
補足
ありがとうございます。また、目からウロコがあるようです。 そもそも「那个人 坐在門外」と「那个人 在門外 坐」は意味からしてイコールになっていないんですね。「座っている」を表現したいのなら、後者は文法的に間違っているということ。 ○~に座「る」(動作):坐 ○~に座っ「ている」(状態):×坐 → 坐着や坐在にする必要あり。 確かに文法書をよーく見直すと、「那个人 在門外 坐着」と、坐に着が付いていました。 これを前提に補足で、確認質問をさせて下さい。 皆さんからの御回答から推測すると、 (1)まず、 ・座っ「ている」(状態)の意味を表現したいなら、結果補語「在」を使って「那个人 坐在 門外」が常用。 ・「那个人 在門外 坐」では、強いて言えば、坐は~に座「る」(動作)という意味になり(ここでは介詞「在」)、座っ「ている」(状態)という表現にはならない。 という理解でよろしいでしょうか? (2)また、 ・論理的には、座っ「ている」(状態)の意味を表現するには、「坐」という座「る」(動作)を「坐着」という座っ「ている」(状態)の形に変えて、「那个人 在門外 坐着」で表現することも可能。ただ、「那个人 坐在 門外」が常用されるので、使われない。 という理解でよろしいでしょうか? (3)ついでに、在を介詞として、また、坐を座「る」(動作)という意味で使った、 「那个人 在門外 坐了」(その人は、門の外に座った)という表現は、常用しても問題ない普通の表現なのでしょうか。それとも、論理的にはありえるが、普通でない表現なのでしょうか?