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「伝えられることが出来る」について
先日、某サイトで「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」という表現を見て違和感を覚えました。「られる」「出来る」という“可能”の表現(正式な文法用語について無知なので、このように表現することにします。どうかご了承ください)を続けて使った文を初めて見たからです。 「何を伝えられるのだろうか」もしくは「何を伝えることが出来るのだろうか」のように“可能”の表現が1つの文はよく見るのですが・・・。 そこで質問ですが、以前から、このように“可能”の表現を続ける手法が存在していたのでしょうか?それとも、最近の日本語の傾向なのでしょうか?どうかご教示願います。
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質問者が選んだベストアンサー
日本語教師です。 俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか は、間違った日本語です。 最近の日本語の傾向とも思いません。 この書き込み文を書いた人だけの間違いだと思います。 辞書形 + ことができる (例:泳ぐことができる) または 可能形 (例:泳げる) で可能を表現します。 尊敬語をダブらせる人は多いです。 例:お召し上がりになりますか? 正解は 召し上がりますか? または お食べになりますか? 教師としては困っています。 今の日本人が間違っている、と外国人に教えなくてはならないのです。 可能表現のダブりは、 私としては許せないです。
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- baihu
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明らかに間違いでしょう。しかしときおり散見します。 心配になって「られることができる」でググってみたところ、驚きの345件ヒット!(^^; 【誤:可能】 ・旗を掲げられることができるとうれしい ・基本的な事項はおさえられることができるようにした ・取り付けられることができる ・責任も負わせられることができる ・より多くの検索結果が得られることができるのです …… 中には、恐れ多くも畏くも、次のような尊敬の「られる」が混じっていましたので、割り引いて考えるにしても(^^;、比較的オフィシャルな文章でもこういう可能の重複が出現していて、多いと感じました。 【正:尊敬】 ・皇族身分にとどまられることができるようにする必要があります ただし、生きた話し言葉では、文法的に間違った表現でも、強調や印象付けの意味合いから人の耳から口に残ってしまう言葉もあります。“尊敬の過剰”や“可能の過剰”を、将来の日本語が是とするようになるかもしれません。
お礼
色々と調べていただき、ありがとうございました。 比較的オフィシャルな文章でも出現しているのですか…。 いずれ効果的な表現と認識され、当たり前になるかもしれませんね。 ご回答ありがとうございました。
- tanuk
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これって例の中田英寿ホームページの中の文ですよね。 確かに違和感が有りますね。 これに続く文では、 「メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった」 「俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか…」 と普通の言い方になってますから、これだけおかしいですね。
お礼
確かに、ほかは可能表現が重複してませんね。 うっかりミスだったのかもしれません。 ご回答ありがとうございました。
- u6hy
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参考になるかどうか分かりませんが、私はそのような表現を何度か目にしたことがあります。全て話し言葉ではなく文字でした。 ですが、私も最近の傾向などではなく単なる「間違い」だと思います。というかそうであってほしいです。
お礼
話し言葉ではなく文字だったということは、うっかりミスなんでしょうね。 ご回答ありがとうございました。
激しく違和感を覚えました; そこそこに本を読む方ですが、そのような表現を見たことはありません。 質問者様のおっしゃっているように「可能」の重複だと思いますけど・・・ 頑張って解釈すれば、「伝えられる(受身)ことが出来る(可能)」とかですかね。
お礼
受け身では意味が成り立たない文章でした・・・。 ご回答ありがとうございました。
お礼
質問に示した文を含んだ文章が、道徳の教材に掲載される可能性があるという記事を見て、よく使われる表現なのか?と疑問をもちました。 間違いであれば、訂正して使われるかもしれませんね。 ご回答ありがとうございました。