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仏語descendreについて
よろしくお願いします。 ある曲のタイトルに J'ai descendu dans mon jardin というのがあります。 学生時代,descendreやallerなど,動きを表す仏語の動詞を複合過去形にする場合, 助動詞はe^treにする,というのを覚えていたので, Je suis descendu...が正しいのでは? と思い辞書を引いたら,avoirを伴う場合もあるのですね。 でも,J'ai の場合とJe suisの場合でどう違うのかが 今イチわかりませんでした。 どちらもそう変わりないのか,または ニュアンスがかなり違うものなのか, 専門家,経験者の方のご意見を伺いたく, よろしくお願い致します。
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一応、規範文法的に言うと(つまりうるさい文法家風に言うと)、動作そのものに焦点があるときは avoir、動作が終わった後、どこにいるのか、どういう状態なのかに焦点があるときには etre、と言われています。特に最近の傾向というわけではありません。 具体的に言うと、 J'ai descendu dans mon jardin. は、「庭におりるという行為をしました」 Je suis descendu dans mon jardin. は、「庭におりて、今庭にいます」という意味です。 同様に、 J'ai monte beucoup. 「ずいぶん登った」 は、「登る」という動作やそのための努力を強調する表現で、息を切らせている状態で言うときはふさわしい、ということです。 ただ、実際には個人の好みや習慣で決まることも多く、 J'y ai paase en 1940. J'y suis passe en 1940. のように、特に違いのないことも少なくありません。 でもこんなややこしいこと、初級の授業では言えませんね。
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descendreの複合時制にavoirを使うようになったのは比較的最近の傾向だと思います。ニュアンスの差はそれほど大きくないと思いますが、etreを使うと移動の結果に、avoirを使うと動作そのものに重点が置かれるような気がします。
お礼
学生時代,Je suis descendu... tu es descendu...などと何度も口ずさんで覚えた記憶があったので,最初にこのタイトルを見たとき,J'ai... は文法的に間違っているのでは?? と思いました。最近では,使われるのですね。参考になりました。ありがとうございました!
お礼
大変奥深いものですね! 仏語はかじっただけなのですが,また興味がわきそうです。 このタイトルはフランスの指揮者アンゲルブレシュトという人の書いた,「子供部屋」という曲集の中の一つで,曲の私なりの解釈としては,子どもが庭に降りて,花や小鳥や,いろんな物を見つけては走り寄る,というような風景を描いているのかなぁと,勝手に想像していたのですが。。。 降りたという行動そのものを強調しているとしたら,曲の解釈も変わって来てしまうかも…(^_^;) 今回は「特に違いはない」という所を採用させて頂こうかな,と思います。ありがとうございました!