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フランス語 depuisの使い方
多くの参考書では、depuisを使う場合、 肯定文では現在形、否定文では複合過去形、ただし完了動詞の場合は肯定文でも複合過去形と説明されています。しかしこの説明、にわかに納得できません。なぜこうすべきなのか説明がないからです。部分的に次の1点が理解できません。しかしここがわからないということはdepuisの使い方全体がきちんと理解できていない、あるいはもう少し大きな問題(完了動詞と未完了動詞の違い、複合形と単純形の違い)が理解できていないということだろうと思いますので、ご教授願いたいのです。 たとえば、 「昨日から何も食べていない。」を Je n'ai rien mange depuis hier.とできるのはわかりました。しかし、なぜ Je ne mange rien depuis hier.とできないのか理解できません。 特に未完了動詞について否定形は必ず複合過去形にしなければいけないのでしょうか。そうだとすればその理由はどう説明できるのでしょう。 逆に、 「私は一年前からピエールのことを知っている。」は Je connais Pierre depuis un an. となるはずですが、なぜ J'ai connu Pierre depuis un an. とできないのでしょうか。 この文章の場合、connaitreは未完了動詞ですから、複合過去形が考えにくいことは分からないではないです。しかし、文のかたちだけを見た場合、mangerもconnaitreも未完了動詞ですが、否定の場合は複合過去になり、肯定の場合は現在形になるという必然性が納得できないのです。できれば同じ未完了動詞で比較したほうがいいですね。たとえば 1) J'ecris le journal depuis une semaine. 2) Je n'ecris pas le journal depuis une semaine. 3) J'ai ecrit le journal depuis une semaine. 4) Je n'ai pas ecrit le journal depuis une semaine. でいえば、1)と4)は正しいが、2)と3)は文法的に間違いということになるのでしょうか。3)がだめなのはなんとなくわかります。しかしなんとなくです。特に2)がだめな理由が分からないということです。 ここ数日間、ずっとこの問題で悩んでいます。 是非ご教授ください。 よろしくお願いいたします。
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- Parismadam
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No.2です。お返事を有難うございます。補足質問にお答えします。(週末は所用のため、お返事が遅れて申し訳ありません) ご質問: <でもだからといってなぜIl n'ecrit pas le journal depuis une semaineがだめなのかという点です。複合過去になる理由は分かっても、現在形ではだめという理由が分からないのです。というか、そもそもだめなのでしょうか。実はある参考書の補足説明の中にne ... plusは現在形になるという説明があります。> 1.絶対的にだめ、ではありません。動詞の種類、状況にによります。(No.2の回答では、その点の説明が十分でなく、失礼しました) 2.動詞が、「状態を表す動詞」であれば、現在形の否定形+depuisも問題なく使われます。 例: Je ne veux pas manger depuis quelques jours. 「数日前から食べたくない」→「数日前から食欲がない」 Je n'habite pas(plus) a Tokyo depuis un an. 「東京には1年前から住んでいない」 vouloir「~したいと思う」や、habiter「~に住んでいる」などは状態を表す状態動詞として、「性質・状態を表す属詞的(形容詞的)用法」とも考えられ、否定形でもdepuisと一緒に使うことができます。 3.ただ、動詞が「動作を表す動詞」であれば、ne~pasで否定形にすると、「その動作を否定する」ことになり、「書いていない」という状態の意味ではなく、「書かない」という現在の一点の動作の否定・分断的なになります。 それが、depuisという「過去から現在までの継続期間を示唆する前置詞」とそりが合わないのでしょう。 4.ところが、pasの代わりにplusを用いると、ne~plusで「もはや~ない」という意味になり、plus「もはや」「もう」はenocre「まだ」の反意語として、「継続」を表す副詞になり、動作を示す動詞の継続性を補助することができます。 それが、depuisという「過去から現在までの継続期間を示唆する前置詞」とそりが合うのでしょう。 5.とはいえ、ご質問文のecrireについても、肯定文では「一週間前から書いている」はOで、「一週間前から書いていない」がXというには、おっしゃる通り解せません。 恐らく、現在肯定形+depuisが可能な理由は、動作を表す動詞でも、恒常的な動作であれば、肯定形でも現在の動作「~する」=現在の恒常の状態「~している」と解釈することも可能なためだと思われます。それが、継続を示唆するdepuisとそりが合うのでしょう。 例: 彼は毎朝パンを食べる/食べている(恒常的動作) ご質問文の例は、「日記を書いている」という恒常的動作のため、肯定+depuisの組み合わせが可能なのです。 6.ただ、ne~pasの否定だと「現在の事実」の否定・打消「~しない」になってしまい、「~していない」という状態の否定のニュアンスが感じられないため、ne~plus「もう~していない」という否定詞を用いた方が、違和感がないということなのでしょう。 例: (1)Je n'ecris pas le journal 「日記を書かない」 これだけでは、日記を書く習慣さえない、ということになります。つまり、「日記を書く」という事実を否定しているのです。これを「一週間前から」という時の継続を表す副詞と用いると、不自然になります。 「私は日記など書きません」+「一週間前から」の組み合わせはおかしいわけです。 (2)Je n'ecris plus le journal 「日記をもう書かない」 これだと、日記を書く習慣があったが、その習慣がなくなるという、恒常的動作の否定になっているのです。これをこれを「一週間前から」という時の継続を表す副詞と用いても、自然に聞こえます。 「私は日記をもう書いていません」+「一週間前から」の組み合わせは、違和感がないのです。 以上ご参考までに。
- anapaultole
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jirobau さん お言葉をお返し頂き有難うございます 『謎が解けるフランス語文法』をご覧になってとあります 味な邦訳の題名になっているのですね この原書 -Le francais au present grammaire-par Annie Monnerie が 手許にあります Depuis 単独では、159と160ページに解説あり その中に、verbes qui marquent une progression の ひとつ動詞augmenterを用いての現在形と複合過去の文で 現在形は-la progression est saisie dans sa continuite- 複合過去は-un simple constat-とあります ですから、 jirobauもお考えになった通り、話者の伝えたい力点の置き方と考えます 更に敷衍すれば、通常学校などで文法を学習するさいは 多くの場合、事実の記述方法が多く、感情を込めた言い回しは どのようになるのかが、無視される傾向にあることを思い出して下さい 否定形は、一般的(genenralement)に複合過去と一緒とあり ne ~plus の場合は、現在形利用の頻度が高いあるだけです ですから、ある種のニュアンスを表現したい場合なら 例: Je n'ecris pas beaucoup depuis quelques temps... 等とも記述できますから 別の例文:Elle pleure depuis qu'il est parti. Elle a pleure depuis qu'il est parti. どちらが、彼女の悲しみが深いか 現在形ですね これなら、先日の回答(manger)で書いたように Aujourd'hui encore が即座に読み取れ、まだまだ落涙ですから 既に相応のお力をお持ちでしょうから、言いたいことは 何なのからの視点で、読み進めるのがいいのではと凡慮
No1です。すでに、No2さんやNo3さんの方が私よりも丁寧に回答されているので、今更私がしゃしゃり出る幕でもないとは思いますが、肯定形の場合は、1週間よりも前は、日記を書いていなかったわけですよね。しかし、否定形の場合は、1週間前までは日記を書いていたことになります。そして、一週間前に日記を書くのを中止して、それ以降、現在までに結局書かなかったという「結果」を表しているので、複合過去になっているのではないでしょうか。これをフランス語で言えば、“Il ecrivait le journal jusqu'a sept jours avant et il a cesse de l'ecrire, et finallement il ne l'a pas ecrit au moins avant maintenant.” ということになるからではないでしょうか?
- anapaultole
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jirobau さん はじめまして Depuisの用法は示したい内容や動詞そのものの意義に より複合過去や現在形(時に未来形)を、用いると推断中 例文のmangerでは、複合過去なら、最後に食事をした 時点(起点)を示し、現在(終点を示していないが)も 食べていないと述べること (まだまだ忙しくて食事の 時間がないかも知れないし、逆に腹ペコで直に食事をかも) もし、これを現在形で書けば、今も食べていないし 今後も(色々事情があって、例えば拒食症とか失恋)で 食事どころではないとのニュアンスを感じます ですから、通常、日に何度か食事を取るのが人間として 当然と考えておりますので、奇異(誤用)に感じるのでは 今ひとつの動詞ecrireは、お示しのjournal-intime (ou personnel) を 書くのが、人なら全員が-diariste-になるのではないでしょうから 文例を4つの中には、pendant等がふさわしいと考えらなくもなく 一概に○×とは言いがたく感じます 今まで、未完・完了動詞とか、肯定・否定の組合せで どのような言い回しが必須との解説を、掻い撫での 学習で、読んだことはありません フランスアカデミーの Q&Aで、嘗てロンドンからの中継を depuis Londre と 書き示すのは de Londre の誤用と指摘された事例が depuis に関してあったと記憶しております ご存知のように、このdepuisは、その用法が拡大しており 時間的・空間的・序列的用法へ、そして今や方法・手段を 示すことになっています もし、事情が許すのであれば、いかなる参考書に記載が あるのか、お示し頂ければ、わくわくどきどきです。。。
お礼
anapaultoleさん、ご回答、ありがとうございます。そうなんです。私も従来anapaultoleさんのように考えておりました。まずdepuisは(時を表す場合)過去から現在までの継続を表すというふうにおさえ、その上で、現在形を使うか複合過去形を使うかはanapaultoleさんのおっしゃるのに近いニュアンスの違いをその都度、使用者の選択によって出せるのだと考えていました。ところが、そもそもまずdepuisの使い方について説明がキチンとされている参考書がほぼ皆無に近いのです。数少ないそうした参考書の一つ『謎が解けるフランス語文法』ではかなり詳しい解説があり、使用法について既述のように書かれています。ただし、「そうすべし」と言うだけで理由は書かれていません。実際に仏和中辞典などを調べると、理由はやはり書いていませんが、否定文に現在形を使っているケースは確認することが難しく(不可能ではない)、否定文は通常複合過去形が使われています。朝倉季雄著『フランス文法事典』でも、明確な説明はなく、例文にこの原則から外れるかに見える事例もないわけではないのですが、やはり基本的にはこの原則に沿った例文が載っていたように記憶しています(今手元にないので確認できません)。 フランス人が実際の会話などで使うとき、それほど厳密に分けているかどうか、怪しいものです。否定文の現在形に、ニュアンスの違いを感じても、明らかな文法的間違いを感じ取るかどうか、実際には疑わしいようにも思うのですが、上に挙げた『謎』は元々フランス人が作った教科書を日本語に訳したものですので、頭を抱えてしまったのです。興味がおありなら是非ご覧ください。 もう少し皆さんが書いてくださったことを整理してみます。ありがとうございました。
- Parismadam
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はじめまして。 ご質問1: <mangerもconnaitreも未完了動詞ですが、否定の場合は複合過去になり、肯定の場合は現在形になるという必然性が納得できないのです。> 否定と肯定の、「時制感覚」の受け止め方によります。 否定の場合は「完了の動作」であり、肯定の場合は「継続の動作」に焦点が置かれるということです。 1.否定の場合: (1)「昨日から何も食べていない」と言う時、「昨日食べなかった」という過去の一点から、「今まで食べていない」という現在までの時間の経緯に焦点が移動します。この時、その時間幅で継続している動作=食べないという動作は、過去(完了)の動作とみなされるのです。 (2)これは、depuisという前置詞に、「動作・作用に関し、到達点との関係において、初めの位置を示すのに使う」という要素があるからです。 (3)「食べていない」とはすなわち、「食べなかった」という過去の事実に重点が置かれ、「(昨日)食べなかった」という過去の事実が、現在に影響を及ぼしている「完了」の用法なのです。 (4)つまり、「食べていない」=「まだ食べていない」と考えると、完了の性質が見えてくると思います。「まだ~ない」が「もう~した(完了)」の反意語になるからです。 (5)別の視点から言えば、「昨日から今まで(食べていない)」と言う時の「まで」が、「完了」を示唆する「まで」なのです。 (6)例えば、 Je n'ai rien mange depuis trois jours. 「3日前から何も食べていない」 とは、すなわち =Je n'ai rien mange depuis qu'il y a trois jours jusqu'a maintenent. 「3日前から今まで、(まだ)何も食べていない」 と同意になります。このjusuq'a「まで」は「完了」を示唆しているのです。 (7)このjusuq'aの用法は英語のbyにあたります。 例: I can't finish it by 5 o'clock. 「5時までにそれは(まだ)終わらない」 このbyは「完了」を示唆する前置詞です。 2.肯定の場合: (1)一方「昨日から魚を食べている」と肯定文になると、「昨日魚を食べた」という過去の一点から、「今も魚を食べている」という現在までの時間の経緯に焦点が移動します。この時、その時間幅で継続している動作=魚を食べているという動作は、継続(進行)の動作とみなされるのです。 (2)これは、depuisという前置詞に、「動作・作用に関し、到達点との関係において、出発点よりも直接の問題となる経由点があれば、その経由点を示すのにも使う」という要素があるからです。 ここでいう「経由点」とは「現時点」となるのです。 (3)「魚を食べている」とはすなわち、「今も食べている」という現在の事実に重点が置かれ、「(昨日)魚を食べた」という過去の事実が、現在に影響を及ぼしている「継続」の用法なのです。 (4)つまり、「食べている」=「ずっと食べている」と考えると、継続の性質が見えてくると思います。「ずっと~している」が動作の進行を表す継続用法になるからです。 (5)別の視点から言えば、「昨日から今まで(食べている)」と言う時の「まで」が、「継続」を示唆する「まで」なのです。 (6)例えば Je mange du poisson depuis trois jours. 「3日前から魚を食べている」 とは、 =Je mange du poisson depuis qu'il y a trois jours jusqu'aujourd'hui. 「3日前から今日まで、魚を食べている」 と同意になりますが、このjusuq'a「まで」は「継続」を示唆しているのです。 (7)このjusuq'aの用法は英語のuntilにあたります。 例: I was working until 5 o'clock. 「5時まで(ずっと)働いていた」 このuntilは「継続」を示唆する前置詞です。 3.「否定文」「肯定文」の時制の受け止め方: (1)否定文は、「現在」までの「完了」に重点が置かれるため、動詞の時制は複合過去形になります。 (2)肯定文は、「現在」までの「継続」に重点が置かれるため、動詞の時制は現在形になります。 (3)仏語のjusuq'a「まで」には、完了のbyと継続のuntilの両方の用法を兼ねているため、「(過去)から(今)まで~(まだ)していない」という完了のニュアンスと、「(過去)から(今)まで~(ずっと)している」という継続のニュアンスの区別が、困難なのでしょう。 ご質問2: <特に未完了動詞について否定形は必ず複合過去形にしなければいけないのでしょうか。そうだとすればその理由はどう説明できるのでしょう。> はい。 その理由は、「~以来…ない」とは、「~以来(まだ)…ない」ということであり、「まだ~ない」は完了の用法になるからです。 ご質問3: <肯定の場合は現在形になるという必然性が納得できないのです。> こちらは必然ではありません。 (1)肯定の場合でも複合過去になる場合もあります。 例: C'est fini depuis hier. 「それは昨日から終っている」 (2)ただ、この例文の場合、過去分詞のfiniに属詞的な要素、すなわち「終っている」という状態を表す形容詞的な性質があるため、「etreの現在時制+形容詞的な過去分詞」と考えられることもできます。その場合は、「現在時制」となってしまいます。 (3)それでもやはり、 Il est venu depuis hier.「昨日から来ている」 Il est parti depuis hier.「昨日から出かけている」 など、形上はれっきとした「複合過去」となっているのです。 以上ご参考までに。
お礼
Parismadamさん、感謝いたします。基本的に良く理解できました。ありがとうございます。myrtille55さんのご回答に対して、返信を書いているときにぼんやりと浮かんだ答えらしきものが、とてもクリアになしました。 (1)否定文は、「現在」までの「完了」に重点が置かれるため、動詞の時制は複合過去形になります。 (2)肯定文は、「現在」までの「継続」に重点が置かれるため、動詞の時制は現在形になります。 というところがすべてですね。特に「否定文は、「現在」までの「完了」に重点が置かれる」という箇所は頭にたたき込んでおかないと区別ができなくなりそう。 一点だけ補足質問です。 「基本的に複合過去形は過去の完了した行為を表現するわけで、「肯定的継続」を表現する際には使えない。Il a ecrit le journal depuis une semaine.は使えない。逆に否定文を述べる場合、過去の「否定」の行為自体を複合過去でまず完了的に表現し、その後の現在までのその行為・動作の「不在」の「継続」を表現する。」 こう説明することができると思うのですが、特に後半(否定文)について、でもだからといってなぜIl n'ecrit pas le journal depuis une semaineがだめなのかという点です。複合過去になる理由は分かっても、現在形ではだめという理由が分からないのです。というか、そもそもだめなのでしょうか。実はある参考書の補足説明の中にne ... plusは現在形になるという説明があります。このあたり、おそらくParismadamさんの説明の核の部分と関係ありそうなのですが、どうしてもきちんと理解できません。特に「現在までの完了」という意味が良く理解できないのです。その点も含め、(おそらくすでに説明されていることなのかもしれないですが)もう一度ご説明いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
私も理由はよく分かりません。しかし、ご質問の文は英語なら現在完了を使う文です。 1) J'ecris le journal depuis une semaine. → I have written the diary for a week. 2) Je n'ecris pas le journal depuis une semaine. → I haven't written the diary for a week. 恐らく、肯定文で現在形になっているのは、現在も日記を書いているからでしょう。そして、否定文で複合過去になっているのは、日記は今は書いていなくても、かつては日記を書いていて、書かなくなった時点まで遡るので複合過去になるのではないでしょうか? キチンとした回答になっていなくて、申し訳ございません。
お礼
myrtille55さん。 早速のご回答、ありがとうございます。 英語のように肯定・否定ともに同じ時制を使っているのであれば、特に疑問は感じないのです。しかし、上の事例で行くと2)がだめで、これを複合過去形にしなければいけないとしたら、その理由がよく分からないということですね。複合過去にする唯一のメリット(?)は、「書かなかった」という行為の完了性を「点の過去」として示し、そこを起点にしてその「書かない行為」が継続中であるということなのだ、という説明以外は考えにくい気がするのです。これはIl est sorti depuis deux heuresと書くということと重なってくる気がします。sortirは完了動詞であり、「外出した」という過去の一点を複合過去によって示し、それ以来2時間、「彼は外出してしまっていない」ということを表現するわけです。Il a ecrit le journal depuis une semaineという肯定文の複合過去がだめな理由もここから説明ができそう。これだと「書いた」というその行為の完了性しか述べることができないため、「一週間前からずっと書いている」という継続性を表現することができない(通常この文章の出だしなら、最後はil y a une semaineです)。 ともかくありがとうございました。
お礼
myrtille55さん、たびたびありがとうございます。そしてこのご回答もとても参考になりますね。複合過去形の性質に事態を展開させていく、変化を表現するというのがありました。「書いていた」行為が変化して「書かない」状態に移行する際、これはやはり複合過去形で表現し、そこから現在までの「継続」を述べる、ということだと理解できますね、確かに。しかし、それでもやっぱり疑問は残ってしまわないでしょうか。第一に、 3) J'ai ecrit le journal depuis une semaine.は明らかに間違っているように思えますが、なぜなのでしょうか。肯定の場合は、1週間より前は書いていたのか書いていないのか判然としないといえばそうなのですが。また第二に、 2) Je n'ecris pas le journal depuis une semaine.が「だめ」だという理由の説明にならないように思うのです。1週間より前は書いていたが、1週間前に書かなくなり、その状態が継続しているというニュアンスを出すために複合過去を使うのは分かるにしても、そのニュアンスは落としてただ「1週間前から書いていない」と言ってもいいように思うのです。前のご回答にもあったように、話者にニュアンスの選択が任されているというなら理解できるのですが。 もう少し考えてみます。とにかくありがとうございました。