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何故出家?
今センターに向けて倫理・政経を勉強している高3です。 勉強しててふと思ったんですが、古文でよく「出家したいが愛する人と離れたくない」的な文章があるじゃないですか? でも日本の仏教は北伝仏教、すなわち大乗仏教で在家でもOKじゃないですか。 何で昔の人はあんなにこぞって出家しようとしたんですか?
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基本、在家が出家に対するものであること既におわかりかと存じますが、実際に出家者とはどの様な立場をイメージされていますか?。 簡単にいえば、「出家」とは寺院で受戒した後に、寺院で修行する者を意味し、一方の「在家」とは世俗にありながら信仰する者を指します。この両者の最大の違いは「受戒」にあります。 「受戒」は戒律を授かることですから、この時点で世俗を離れることを意味します。そしてこの戒律を破った者が「破戒僧」と呼ばれることもご存知でしょう。けれどもこの「戒律」に縛られることはしばしば不道徳を意味する場合もあります。 例えば、出家した者は婚姻を禁じられますが、それは同時に男色を意味することにもなる。これは世俗の考え方からすれば異常以外のなにものでもないでしょう。こうしたギャップに対し、出家者が本来あるべきスタンスを求めたのが法然や親鸞です。彼らは実際に妻帯者であることも有名です。出家でありながら妻帯であるとのことはそれが大乗であれ小乗であれ、無関係な話です。出家した者にとって大切なことは仏教が宗教として持つ仏の功徳を衆生に説くのが宗教家としての責務であると考えるなら、それとは関係のない部分にまで箍を加えることには意味がないと考えるのが普通の考え方でしょう。 西行が世俗を離れたのは人の世の無常を感じたからであり、別に修行に身を捧げたいなどとは考えなかった。けれども世俗からみれば、「出家」は別な意味で「世俗をもその手中に治めることのできる超越的な権力」とも映ることも一つの事実です。 平清盛や足利義満が世俗の序列では頂点に上り詰めたが、それをいともあっさりと手放して出家してしまったのは、出家することで「王法仏法」と呼ばれる二重の秩序構造を一手に治めその頂点に君臨することを企図したとの見解もあります。 この辺は、高校生が倫社の狭い枠組みで理解することは困難でしょう。それを知るには古典を読み、歴史を繙くなどの作業が必要です。「大乗だから云々」などのデータを憶えるだけでは到底理解できません。「日本の仏教と社会の関係」などに視野を広げねば見えない問題です。
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- Pinhole-09
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「出家」とは家を出る、すなわち家族親類との縁を切り 仏門に入るので「在家」とは違います。 愛する人と離れてでも佛門に入るのは、煩悩を断ちきりたい 罪をつぐないたいとかの意識が、現代人より強かったためと 考えられます。 渡辺の盛遠(文覚) 知人の妻に恋をして誤って殺した。 鴨長明 出世の道を断たれ絶望したなど。 今はいろいろな道があり、他の道を探すのはそんなに難しくは ありません。
お礼
現代に生きる自分としてはややイメージしづらいですが、当時の人たちにとっては煩悩を断ち切りたいという思いがとても強かったんですね。 ありがとうございました。
- あずき なな(@azuki-7)
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当時は在家がOKなんて理念は無かった 今でこそ仏教でも結構中身は崩れてますよね? たとえば お盆にお参りに行かなくても何か言われるわけでもないとか しかし昔はそういうのが厳しくて ちゃんと型式にのっとってみんな仏教を信仰してたの だから在家なんてものは当時は許されなかった どうしても一緒になりたければ還俗する方法でしょ
お礼
やっぱり、当時は厳しかったんですね… ありがとうございました。
お礼
なるほど。やはり1000年以上の歴史を持つ日本の仏教は奥深いですね。参考になりました。