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エロスとプシケの物語

秋の夜長に、「エロスとプシケ」についてあなたの思うところを聞かせてください。とりわけ現代のような狂騒の時代において、その意味や価値をあなたはどのように心に刻んでいらっしゃいますか? よろしければ、少しお聞かせください。

みんなの回答

  • zephyrus
  • ベストアンサー率41% (181/433)
回答No.1

自由な意見を求めていらっしゃるようなので気ままに答えます。 まず、美しい物語だと思います。 プシケ(プシュケ)はとりとめのないような飛び方をする蝶々、ふつう霊魂と邦訳されることはご存知の通りですが、まあ、「たましい」のことだとして、この魂とは何かと言えば生命の上澄み、ある人格の真髄、吸っては吐く息、スピリットのことだと思っています。 このプシュケがエロスに憧れ、やがてエロスに目覚め、長い遍歴を経たのちエロスと合一することによって自己を獲得する物語なのだと。 ただ、エロスを性愛(異性愛)と捉えた場合、プシュケはアフロディテ(ヴィーナス)が嫉妬したほどの美しい娘、すなわち女性一般のことだとし、女性の性愛の遍歴のドラマとのみ限定してしまう恨みがあります。黄泉の国へやらされて仮死状態へ陥るところなどはエロスとタナトスの親近性を示してよく符合しさえしますが、物語全体が絵解きのようになって薄っぺらな感じがします。 エロスは愛であると同時に美なるもの・善なるものの象徴でしょう。魂はそれを求め、それを見出し、それと合体することによってはじめて充実する。全体は魂の彷徨、遍歴の物語なのだとしたほうがしっくりきます。 カノーヴァの手になる大理石の彫刻「アモールとプシュケ(エロスの接吻で目覚めるプシュケ)」は女性の差し出す二つの腕が円弧を描き、そこが最も美しいのだろうと思わせる、不思議に静謐で感動的な作品。 セザール・フランクには物語の主要な場面を音楽にした「プシュケ」という交響詩があって、まことに官能的でいて高潔な品格に満ちています。 また、ジュール・ロマンは「プシケ」という、この物語とは直接関わらない現代小説ですが、精神や肉体の合一ということを三段階の異なる観点から描き出しているようです。 これらに共通するのは生き生きとした命、心の十全さ、安らぎかもしれません。 狂騒の時代ということですが、確かに現代は煩雑・瑣末・一過性・現実的な世の中で、ゆっくり落ち着いて死ぬことも出来にくくなっているようです。「死んだらおしまい。何もない」の風潮の中で、しばしば時間をかけて育ててゆくしかないもの、一人では為しがたいものを、経験を積み知力を傾け、おのれにできる最善の努力を尽くして見つめてゆきたいと希う人々も決して少なくないと思っています。

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