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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:情報が簡単に得られる時代について)

情報が簡単に得られる時代について

このQ&Aのポイント
  • インターネットとスマートフォンの普及により、情報が簡単に手に入る時代となった。
  • 生活の便利さは増したが、情報過多による考えの消失を感じることもある。
  • もし検索が存在しなかったら、より多様なアイディアが生まれていた可能性がある。

質問者が選んだベストアンサー

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  • cucumber-y
  • ベストアンサー率17% (1846/10420)
回答No.11

私みたいな浅識な者にとっては確かに便利になったと思います。 しかし、ご質問者さんが感じているのとはズレているかもしれませんが「情報が軽くなった」気がします。 なんというか・・・簡単に手に入ったものは簡単に無くし易く、無くしてもまた簡単に手に入るから惜しいと思わない・・・こんな感じで。。。 そのため、近年は特に「得た知識は自分で文章化して初めて自分の身になる」ということを意識して文を書く機会を増やしてネットで得た情報を自分が他人に伝える練習しているつもりですが、元が頭悪いので・・・^^; 少なくとも私のようなネットの恩恵を受けている者は「良くなった」と言わなければいけない気がしますね。

misaco22
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 いえいえ、ご回答者様のような直感的な回答って案外少ないので、バシッと答えが出なくても、すごくためになります。 ありがとうございました。

その他の回答 (14)

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.15

 情報の価値が減ったなぁと。 知識など昔はお金に出来た。書籍にしたり、セミナーなどでお金に出来た。今は簡単に得られることで価値が無くなった。  ただ、情報が得られる反面、信頼出来る情報が不確かになってしまった感じです。  便利な反面、便利すぎて分からない状態かなぁ。

misaco22
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 そう、便利なんですけど、何だかポーっとすべてが済んでしまうのが怖い気がします。 最近、神保町にもすっかり行かなくなってしまったし、ああいった街の持っている独特なセンスとか、求めていた情報に付随した何かを得られなくなっているきはしています。

noname#159516
noname#159516
回答No.14

すごくよくなった。 グーグルマップのおかげで迷子にならなくなった。 グーグルイメージのお陰で図書館通いをしなくて良くなった。 調べ物は医療関係からレシピまで、速攻。この早さで人生がいかに楽になったか。 独創性を刺激するだけ、世界の作品にも無料でお目にかかれるし。 ネット以前には世界の作品で知られるのはトップ0.0001%の有名作品のみ。素人の才能に触れられるいいメディアです。

misaco22
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 Googleのせいで、最近の若い男はみんな冗談も言えないほど完璧な『検索主義者』になってしまって、「和食なのにあんなまずい料理始めて食った」なんていう面白い笑い話する人もいなくなっちゃった気がします。 私の場合は、ちょっと失敗するくらいの人の方がいいと思ってしまうのですが。

回答No.13

よくなったと思います。 ただ、便利だからといって頼りすぎはよくないと思います。 でも、便利なものなので上手に使えばよい方に発展していくと思います

misaco22
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 確かに生活の中にどれだけ情報を入れるかコントロールする事も大事にですね。 ありがとうございました。

  • trgovec
  • ベストアンサー率52% (2538/4879)
回答No.12

便利になったという点で「良くなった」ですが、一面では判断できません。情報をすぐ手に入れられてまた人々が情報を求める世の中が果たして幸せなのかは疑問です。 気をつけなければならないのは、テクノロジーは進歩しなければならないし人間はそれによってもたらされる便利なモノを捨てて後戻りすることはできないということです。今の世の中が幸せではないと考えて昔の生活に戻ることはできないのです。いわば技術と人間は運命によって進んで行くことになりますが、どこかで人間がついて行けなくなりそれに気づかないのではないかという危惧があります。技術の進歩にはいろいろなところで「速くなる」ことが伴いますが、これが人間の許容を越えるのではないかということです。 検索の結果とアイデア(考案)は別と考えます。あくまで材料ですからそれは玉石混合でいくつあってもいい、それを使いこなすのはやはり人間です。そのためには、「玉」と「石」を見分けないといけません。「石」が多すぎることが今現在の問題点です。今までは多くの人の目に触れることがなかったいろいろな「悪いもの」があふれていて、中にはそれを真似したり手本にする人も現れます。極論ですが「素人」が書いたもの(ここのQ&Aも含む)は検索されないような仕組みや、ネット上に書き込むのに面倒な手続きを必要とするようになるかもしれません。

misaco22
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 便利さと同時に無駄も増え、それを選別する思考が必要になったという点では昔の人より審美目を鍛えるトレーニングは日頃からできているのかもしれませんね。 ありがとうございました。

  • dandyman
  • ベストアンサー率17% (107/614)
回答No.10

すごく良くなった。 そもそも質問者さんはアイディアと情報を混同しているように感じました。 情報そのものにもともと価値などありません。情報は皆で共有すべきもの。 情報を得ることが大事なのではなく、その情報を使って何を考え何をするかが大事。 そういう意味では全員が同じスタートに立てるいい時代と言えます。 本当に価値のあるアイディアとはネットの検索で得られるものではない。 皆の知らない情報を持っていることに価値のある時代は80年代くらいの話で、いまやもうそれは完全に終わったと感じます。

misaco22
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 そう、アイディアとは無から有を生み出すもので、芯に情報が入ってしまうと、そこに装飾しても良いものが出来ないと感じている今日この頃です。

noname#149158
noname#149158
回答No.9

表題だけで考えての書き込みなので御容赦下さい。 得られない時代は、確かに欲しい情報があったはずです。 その要請で今ある道具が出来て来ました。 そこで考えるのです。欲しい情報が得られない時代、 私の個人的な意見ですが、それこそ思いを馳せるしかなかった。 思いでしか、あなたの人、かなたの人に発することしかなかった時代。 今では、信じられない事が起こっていたのではないかなどと思ったりします。 大事な人を思う気持ちの心持(こころもち)強調したくかっこつけてしまいました。

misaco22
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 今、みんなが、回答者様のような発想を持って生活していたら、きっと情報量とは別の何かがステータスの、面白い世界だろうと思いました。 ありがとうございました。

  • nahaha55
  • ベストアンサー率21% (274/1301)
回答No.8

情報、検索に限ってなら、良くなったんじゃないでしょうか。 ネットがSFでしかなかった時代、『やったぞ!! 新発明だ!!』 『とうとう新商品が開発できたぞ!!』と思ったら、既に誰かが 特許を取っていて『そんなあぁぁぁ~~!!』なんてことも、 夢中になっていたものが後で違法だと判り『うげぇーーー!!』 なんてことも少なくなってきたんじゃないでしょうか。 後は、悪い事をすると世間様にばれ易くなったように思います。 考える力や創造力は今も昔も、そんな変わらないと思う。 それは教育や躾の問題だから。

misaco22
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 『検索』も決まり事を調べるには確かにこれ以上便利なものは無いのかもしれませんね。

noname#143419
noname#143419
回答No.7

私もそう思います。 私の場合は 辞書‥大百科事典等で 調べる事。 簡単に 時短で あっという間に PC、携帯‥ピコピコ、、、 便利です‥。 昔 実家にブリタニカ大百科事典がありました。今は粗大ごみ同然になっています‥ 父:『 本を手にするのと 携帯を手にするのは 違う』 意味も何も、わかりませんが 説明できないけど 感覚が違うのは理解できます‥。 『君は携帯脳だね』 これも父が よく言います。 でもこれはわからない。 多分 便利な時代 社会に生まれて、何かが足りないのではないか‥。 便利な事や合理的な事の後ろで 大事なものが 忘れ去られているのでしょうね‥。

misaco22
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 身の回りのものが、小さくシンプルでスマートになっていく事が、確かにオシャレではあるんですが、感覚として芯しか残って無いような、うーん、確かに感覚って表現するのが難しいですけど、回答者様のいわんとすることは伝わりました。 ありがとうございました。

回答No.6

情報の価値が下がったかもしれませんね。 あとネット上に広がってる情報も真偽の怪しい物も多く不必要に情報が氾濫しているようにも感じます。 (といっても雑誌やメディアの情報が必ずしも正しい訳でもない) 情報が容易に入手できる結果、その信ぴょう性にも常に目を光らせなければいけない為、 面倒に感じる部分はあります(情報が時代の流れに沿って常に変化するというのもありますし)

misaco22
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 何かを探して歩き回って、その過程の経験や失敗によって得る面白いエピソードみたいなものって最近少なくなりましたよね。そういったものも一つの情報に含まれる価値と考えると、確かに情報の価値って軽くなったような気がします。 ありがとうございました。

  • kendosanko
  • ベストアンサー率35% (815/2303)
回答No.5

> 私は、生活の細かなところでは便利にはなったと思ってはいるのですが、 > 最近どうも『検索』をかけると、自分の内にあったアイディアというか、 > 考えがスッと消えていっているような気がしています。発想がGoogleの域を > 出ないというか。 情報量が多くなり、かつ情報の速度が速くなって、 1個1個の情報の存在感がなくなっているんでしょう。 情報量が多くなると、どうしても情報に流されやすくなるので、 自分の内にあったアイディアもあっと言う前に押し流されてしまいますね。 裏をかえせば、韓流ドラマやKPOPのように、情報を意図的に洪水のように流すことで、 他国の世論を操作しやすくなったといえるでしょう。 > 『すごく良くなった~すごく悪くなった』くらいの評価を付けるとしたら、 > あなたはどれくらいの評価を付けますか? 自分の場合は、ネットでの論文集などの公開で、今まで手に入らなかった アカデミックな情報が手に入るようになったことが『よくなった』点です。 今までこうゆう専門的な情報は、アカデミックな世界の中で閉じる情報だったり、 遠くの図書館に行かないとわからなかったものです。若干ですが、社会の 情報公開が進んだと思います。 『悪くなった』のは、雑誌や新聞がネットの情報より遅いと軽視され、 雑誌や新聞が次々に廃刊になっていること。だれでも文章をかける時代なので、 文章に重みのあるメディアやジャーナリストが少なくなった感じがします。 『よくなった』点と『悪くなった』点で評価はプラスマイナスゼロですね。

misaco22
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 そう。過去の論文を見るのにはすごく便利になったとはつくづく感じますね。 仕事柄、毎日いろんな論文に目を通していますが、(ここからは少し質問から外れますが)最近の先進国で書かれた論文って引用ばかりで、自分の記述は研究に伴う肉体労働の体験記ばかりだったり、なんて論文ばかり、逆に自国に情報が少ないラオス人やミャンマー人が書いた論文は、その真偽は別にしても発想が既製概念の一歩外に出てるものがあったりして結構面白かったりします。 どちらがいいかとか私には判断出来ないですけど。 ありがとうございました。