これからの日本では、現行の豊かさはなくなる気がします。
現行の豊かさがなくなる、と言うのは私は二つ意味があると思っていて、一つは、他の方もおっしゃるように、物を買うことによって得られる満足は一時的なものにすぎないと、多くの人が気づき、より深い意味での精神面の豊かさを求め始めた、という意味。
もう一つは、貧富の差という、ここしばらく日本人になじみがなかった(100年くらい前までは当然のごとくあったけど)ものが生まれそれによって、物質的に豊かな生活ができる人とできない人にきっぱり分かれてくるような気がします。貧富の差と聞いてイメージするのは多分、東南アジア諸国やカリブ海諸国、アフリカ諸国などの貧困にあえぐ人たちだと思うんですが、ここで言う日本でのこれからの貧富の差っていうのは、もっと緩やかで、でも確実なもので、例えば今までは大学を出て、就職して勤勉に働いていればいづれはローンで家を買って・・というふうにできる人がすごく多かったし、それができて半ば当然のように思われていたけど、それができなくなってくる人が急激に増えていくと思うんです。すでにけっこう、働きづめでも、賃貸アパートやマンションでくすぶっている人多いじゃないですか。
働き方の多様化とか言って、パートとか契約社員などの形態が増えているのは、働く側としてはライフスタイルに合わせられる、会社にとってはコスト面で、良い面もあるけれど、逆に、それによって従業員あっての会社から、会社あっての従業員という風になってしまう。働く人の立場が弱くなって、もらえるお金が減ってる。現にアメリカなどがもう、そういうふうになっているけど、とにかく人口の大多数の人にとっては経済的に辛く報われない、一部の豊かな人はどんどん豊かになる、というふうな社会になっていってますよね。ニートとか引きこもり、フリーターとか今してる人は間違いなく、将来やばいと思います。
話がちょっとそれたけど、とにかく、これからは、自然回帰の流れと、現実的な貧富の差の問題とのギャップが生まれ、中流階級以下の人が一番ストレスが多くなると思うし、人々が感じる社会的プレッシャーはますます多くなるような気がします。
私個人としては、主婦のせいか^^;物質的な豊かさと精神的な豊かさは切っても切れない関係にあると思っています。大事なのはバランスで、どちらか一つだけを追求することって不可能な気がします。なので個人的には、できるだけ時間をかけずに効率よくお金を稼ぐことを最大のテーマとして、家族との時間を大事にしたいです。だって、死ぬ時に思うのは、今まで稼いだお金の総額でも、失敗した仕事のことでもなく、きっと家族のことだろうと思うからです。そのときに、家族との思い出が何もなかったら、そんなに悲しいことはないですよ。
なんていろいろごちゃごちゃとりとめなく書いてしまって申し訳ないです。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに今の日本は自由な時間がとりにくいと思います。 もっとイタリアのようなラテン的なライフスタイルを取り入れるべきではないかと思っています。