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伊勢物語
こんばんわ~☆ 伊勢物語を読んでいて不思議に思った事があるので教えてください。 「筒井筒」での一説で、 「まれまれのかの高安に来て見れば、初めこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づから飯匙とりて、笥子の器ものに盛りけるを見て、心憂がりて行かずなりにけり。」 というのがあります。 主人公の男が浮気相手のところへ通っていて、最初は良かったけどだんだん浮気相手が気を許すようになって自分の手でしゃもじをとって器にご飯を盛ったのを見ていやになって行かなくなってしまった、 という意味だと思いますが(間違ってたら教えてください!)、 「手でしゃもじを取って器にご飯を盛ること」が、どうして相手に興ざめしてしまう原因になりうるのか、現代の考えではわからないので歴史的背景など教えていただけたらと思います。 よろしくお願いいたします。
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『伊勢物語』は、短い話・エピソードの集合で作られていますが、登場人物の固有の名は出てこず、主人公は、ある「男」という形で出てきます。この「ある男」は、在原業平だと一般に言われています。 業平は、母方・父方の祖父が両方とも天皇で(父方は平城天皇、母方は桓武天皇)、当然、父は親王、母は内親王で、元々皇族でしたが、臣籍にくだり、「在原」の姓を賜った人です。非常に高貴な出自の人ですが、当時の文献では、彼については、「よく和歌を詠むが、漢文は書けない、官吏としての実務能力ゼロ」などという評価があります。 高貴な生まれで、宮仕えしなくとも、生活にも不自由ないので、各地を遍歴し、歌を詠みながら、恋愛沙汰をあまた起こし、なかには、首が飛ぶような危険な恋愛事件も起こした人です。当時有名な美男子で、浮き名を流す遊び人でした。 質問に出てくる、「男」は、業平がモデルと考えられるのですが、しかし、この『筒井筒』の段では、男は、筒井筒(幼なじみ)の女性と念願の結婚をしたものの、女の親が亡くなって貧しくなったので、河内の高安に住む別の女のところに通い始めたという話になっています。ちょっと業平がモデルだとすると状況が合わないとも言えます。 男とその妻、そして高安にいる愛人という三角関係になっています。この文章自体は短くて、「男」やその妻が、どれぐらいの階級の人なのかよく分かりません。臣籍に降りた元皇族の業平がモデルというのは、ちょっと無理があります。しかし、男も妻も、愛人も、それぞれ歌を詠み合って、自分の思いや希望を述べるので、こういう文化習慣は、一応、貴族階級の習慣とも言えるかも知れません。 貴族階級であるならば、女性は、やはり自分の手で、ご飯を器に盛ったりはしない訳で、また、あまりになれなれしくなって、礼儀を見失ってしまうのも、男にとっては、がっかりすることだとも言えます。 ただ、元々身分が卑しい女の愛人であるので、慣れるに従って「地」が出てきたので、高貴な男は、見苦しいと思って女を見捨てた、という解釈も難しいようにも思えます。 モデルとされる業平は、先に述べたように、浮き名を流した有名なプレイボーイで、この『筒井筒』の話のなかでは、妻と愛人と男という三人しか出てきませんが、業平自身は、もっと大勢の女性のあいだを、次々に渡り歩いたのであり、簡単に女と関係ができて、また簡単に、女と別れて別の女の元に通うというようなことを繰り返した人です。 この段の話に即して考えると、やはり「筒井筒の妻」が上品だという思いが、男に起こったのだと解釈されます。前後の文章を読むと、そういう風に読むのが自然だと思います。 『伊勢物語』の書き手は、ここで、貴人である男の愛人として、最初は雅やかに振る舞っていたが、慣れて来ると、ご飯を自分の手で器によそった女の挙措を、品がないと男に感じさせて、この愛人を棄てるのも当然だというような、貴族階級の理屈を付けているように見えます。しかし他方で、この男が、筒井筒の品の良い妻が、貧乏になったというので、高安に愛人を作ったとかも書いているのですから、そういうことをする男も、やはり品がないのではないか、と思えます。 (妻が貧乏になったので、愛人の処に通うとかは、どう考えても、「雅な浮気」ではないでしょう。男の方も、相当、品がないということになります)。 つまり、何かと理由を付けて愛人を作っては、また理由を付けて愛人を棄てる、というプレイボーイの「男」の性格・行状の話だということです。「高安の愛人がなれなれしくなって、下品な振る舞いをしたので、落胆して女を棄てた」というのは、後付けの理屈のようにも見えます。(また、上にも述べていますが、「筒井筒の妻」が非常に上品で寛容なので、それと愛人を比較して、浮気はやめて妻の元に還った男の話……とも読めます)。
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- jakyy
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【てづから】 他人まかせではなく、自分の手で この場合は下人に頼まずという意味ですね。 さて、こう解釈したらいかがですか。 当時では、ご飯を盛ったりすることは、下人のすることでした。 男は歌を詠む様な教養のある女性が飯を盛ることなど 自らすることでないと信じていましたので、 お里を知った感じがして、急に嫌になってしまったということですね。 現代風に言うならば、いつもクラシック音楽をピアノで軽やかに弾いている女性が、 自らたこ焼きを焼いて、食べている感じでしょう。 それを見た男がショックを受けたという風でしょうね。 見てはならないところを見てしまったということでしょう。
お礼
こんばんわ~☆ありがとうございます。 身分の高い人は自分でご飯をよそわなかったのですね。 あ、でもそれは今でも同じですネ。 でも良かれと思ってした事なのになんだかヒドイわっっと思ってしまいました。 私もクラシック音楽をピアノで弾きますけど、自分でたこ焼き焼いて食べますよぉぉ~~~ ってそれとは次元が違いますね(笑)
- primani
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一般的な解釈では以下の通りになります。 貴人の恋(浮気)というのは「洗練されたもの」が好まれ、機知に富んだ(歌や会話による)やり取りであったり、詩歌管弦を介したものであったりするわけです。もちろん夜のほうも含まれますが、それだけではダメなんですね。 炊事洗濯といった日常の雑事は下女のすることだったわけです。こういう行為を自らするというのは「洗練」とは逆のいわゆる「ヌカミソくさい」行為であり、所帯じみた行為でした。で、興ざめした、というところですね。 逆に男が薪割りや家の修繕なんぞをしていたら「まぁ野暮ったい男」なんて言われたのでしょうね。
お礼
こんばんわ☆ありがとうございます! なるほど、身分の高い男女の恋とは洗練されたものでなければいけなかったのですね。 それにしてもご飯をよそったくらいで興ざめなんて今なら考えられませんよね。 ヌカミソくさいだなんて失礼千万ですよねっっ! それにしてもこの男は妻の親が亡くなって貧しくなってきたので浮気してやろうだなんてほんとに勝手すぎますっっ!! と、物語に関係ないところで腹を立てていたところです(笑)。 またわからなくなった時は教えてくださいね。 大変参考になりました。ありがとうございました!
「手づから」とは手で(しゃもじを持つ)という意味ではなく、他人の手を借りず自ら、という意味です。 愛人は常に美しく、浮世離れしていてこそ価値があるのであり、自分の妻(現代風にいえば)と同じようなことをすれば(つまり、あまり化粧に気を使わず、ご飯をいそいそと盛り付けてくれるような)憧れの女性がいっぺんに普通のありふれた女性になってしまい、興味が薄れるという勝手な男心を描写しているのだと思います。 男はご飯の盛り付けなどははした女(下女)にやらせれば良いと思ったのでしょう。 昔も今も男女間に謎がなくなったとき恋は冷め始めるもの・・・ 男はロマンティックなのです(蛇足)
お礼
こんばんわ!!ありがとうございます☆ なんと!大好きな人にご飯をよそってあげただけで興ざめされてしまったのですネ・・・。 まあ なんて勝手な男なんでしょうっ許せません(*'へ'*) ぷんぷん ということは、この相手の女性はある程度高貴な身分の方だったのですね。 簡単な文章の中に色々な事が見えてきて、とてもおもしろいです! またわからなくなったら質問すると思いますのでその時はまた宜しくお願いいたします☆ 大変参考になりました☆☆☆
お礼
こんばんわ☆ とても詳しい回答ありがとうございました。 在原業平という人はとんでもないプレイボーイだったんですねっ。 いくらハンサムでもそんな人おことわりですっ(*'へ'*) ぷんぷん それにしてもご飯を盛っただけで下品な振る舞いをしたと言われるような身分なんて・・・。 でもちょっと憧れます。私も毎日黙ってご飯が出てくるような生活がしてみたい・・・なぁんて(笑)。 まだまだ読み途中ですので、またわからないことがあったら教えてくださいね! 大変参考になりました。ありがとうございました☆☆☆