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絶対主義における官僚制について

タイトルのことについての疑問を質問させていただきます。 ・官僚制が整う前はどのように統治していたのか ・官僚はそれまでの役人と何が違ったのか の二点です。 回答願います。

質問者が選んだベストアンサー

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  • nacam
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回答No.2

1番を書いた者です。 中世の役人は、日本の江戸時代のように、世襲制です。 一方官僚は、能力により、出世できます。 世襲でも、能力が有れば、出世はできますが、ほとんど当時の貴族社会に受け入れられず、失脚してゆきました。 中世ヨーロッパの社会は、日本の社会に当てはめるとよく理解できます。 貴族の公爵は、親藩大名、侯爵は、国持ちの外様、伯爵が、小大名・旗本、子爵が代官、男爵が郷士(地方の有力者)に相当します。 江戸時代も中期になると、下級藩士の登用がはじまります。 新井白石、田沼意次、など。 幕末になると、各藩とも、能力の有る下級藩士の登用が、積極的に行われます。 明治以降は、武士以外からも役人に登用され、官僚となります。 近世ヨーロッパでも、同じ事が起こっていました。

その他の回答 (1)

  • nacam
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回答No.1

近世ヨーロッパの絶対王政の事でよろしいのでしょうか。 近世ヨーロッパでは、王権の強化がすすみ、それまでの貴族階級が、王権にぶらさがるだけの存在へとかわってきます。 その一方で、官僚機構が整備されてゆきます。 貴族の没落(王権への寄生化)と、官僚機構の整備は、同時進行してゆきます。 それ以前の役人は、貴族階級の独占でしたが、貴族の権力の衰退とともに、下級貴族やブルジョワ階級から、役人に登用されるようになります。 官僚制は、王権の強化とともに進められてゆきますので、それ以前といっても、いつの時代を指すのか分かりませんが、10世紀~14世紀の中世では、封建制の時代ですから、官僚といったものは無く、有力貴族の合議制のような形で、政治が行われてゆきます。 当然、国王とて、自分で自由になるのは、自分の領地だけですから、官僚のような者を必要としませんでした。

pecoyama
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 言葉が足りなかった事をお詫びいたします。 絶対主義というのは近世ヨーロッパのです。 つまり、官僚制というのは王権の強化とともに進行した中央集権化によって必要になった役人制度で、封建制の時代は必要なかったためそもそも役人自体が存在しなく、それ以降は役人は上流貴族によって独占されていたということですか? ここで疑問なのですが「役人」と「官僚」の決定的違いは何なのでしょうか? また、役人はいつから存在したのですか?

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