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いろいろな事故と言葉の関係について

交通事故も含めていろいろな事故というのは実際起こるまでは言葉で適切に表現できないようなことが次々と起こった結果、起きるものなのかなと思いました。起こった後で多くの解説や説明がなされますが、これは結果論というより起こるまでは言葉で表現できなかったということかと思うのですが・・・

質問者が選んだベストアンサー

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  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.3

大変重要な点に注目されていると思います。基本的には、おっしゃる通りだと思います。もう少し分析すると、以下のようなことだろうと思います。 (1)ある状況を「言語化」することにより、必然的に状況に対する分析作業が進みます。 (2)その結果、それまで潜在化していた問題点が顕在化します。 (3)また、言語化することで、複数の人間の間で問題の共用が可能になります。 (4)その結果、組織的な「事故事前防止対策」などが検討できるようになり、予防体制が確立できるようになります。 言語化は分析と計画にとって不可欠なプロセスだと思います。

kaitaradou
質問者

お礼

ご丁寧に洞察されたことを教えていただき、ありがとうございます。問題点があるかないかが分からないままに生じる事故というのが本当の事故だと思うのですが、言葉の効用で対応できることがあるのかどうか大変興味があります。

その他の回答 (2)

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.2

一般的には、事故というと、 どうしても最終原因に偶然性を求めてしまうように思うのですが、 私は必然だと思っています。 原因を遡れば必ず、ある決定をを選択した(または選択しなかった)人類がおり、 それが派生的に事故につながっているという意味で。 (たとえば酒酔い運転による人身事故は、運転者の責任を問われますが、 「運転者が飲酒していた」という事が「偶然の原因」として認定されているように思います。 しかし、実際には車というものが世に出る前に、 このような可能性は当然認識されるべきだし、されていたと思うのです。) 「>起こった後で多くの解説や説明がなされ」ますが、 原因が(おっしゃる通り結果論として)一部の個人・企業、 または特定の条件にあるとする事で、 安易な責任追及や当座しのぎの改善を図ろうとするに過ぎない傾向が、 一向に改まらないのは残念に思います。 ひとつの事故(事件であっても)は、その原因(又は理由)を、 過去のある時点で誰かが正当な方法で改善しなかった、 あるいは、誤った改善(改悪)を行ったせいで派生的に 発生したものであるはずです。 その意味で、人類は(あるいは生き物は)空間的にも時間的にも連鎖的であるし、 一蓮托生といっていいでしょう。 事故(又は事件)に至るあらゆる可能性を事前に考える事は、 決して不可能ではないように思います。 (その可能性を追求する為には、あらゆる方面で限りない関門をくぐりぬける必要がありますが。) ですから、 「>起こるまでは言葉で表現できなかった」というよりは、 「起こるまでは言葉であらわすのを恐れ、極力避けていた」 あるいは、 「起こるまでは妥協の判断」がなされていた、 というような感じがします。

kaitaradou
質問者

お礼

ご丁寧にご教示を頂き感謝いたします。問題点が認識されていないということが問題点が言葉で表現されていなかったということかなと思ったのです。

回答No.1

すみません。 ↑の質問文も何を言いたいのかさっぱりわかりませんし、 質問が何なのかもわかりません。 質問というより感想要求ですか? ちなみに、学問としての心理学による科学的な説明ができそうでないものは微妙にカテゴリ違いかと思います。

kaitaradou
質問者

補足

言葉にしないと対象が把握できないとすれば、対策が立てられないのかなと思ったのですが、質問と感想要求(この言葉はどこか不遜な響きがありますが)の区別というのは実際あるかどうか分かりません。自分の考えていることを肯定する人が一人でもいれば、少なくとも独りよがりの考えでないことは分かります(その考えが正しいかどうかは別だと思いますが)

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