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村々のお寺について
地方のそれぞれの村々にお寺がいつ出来たか問うてみると江戸時代頃になってからと答えが返ってくるのですがちょっと腑に落ちません。その答えでは江戸時代より前では庶民はちゃんとした葬儀もしてなく、よってお寺・坊さんとの結びつきも強くないと言う感じです。新田村でなければもう少し前に個個の村にもお寺は出来てるのではと思うのですがどうなんでしょう?
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よほどの古刹は別にして、1村に1つの寺というように、どこの村にもお寺があるようになったのは、そのとおり江戸時代になってからです。(おそらく寺請制度のため) いろいろなお寺の由緒をたずねると、開基は平安時代とか奈良時代、鎌倉時代と言っていても、江戸時代に「再興」とか「中興」と言っているのが事実上の創立な場合がほとんどです。 江戸時代になって寺請制度ができる前は、どの人にも菩提寺があって、お寺と結びついているという図式はありません。
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- nemosan
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既に回答が出ていますが・・・ 村々のお寺が江戸時代頃に出来たのでなく、江戸幕府の命令で作られた!と考えれば納得出来るのでは? お寺は「宗旨人別帳」で村人(強制的に檀家にされる)の戸籍を管理する仕事がありました。 また、葬式をお寺が担当するのも「過去帳」で死亡記録を一括管理するのに都合が良かったからではないかと思います。 つまり、お寺=江戸幕府の事務の代行機関。
お礼
幕府のお達しですか、ありがとうございます。
- 6dou_rinne
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江戸時代にすべての庶民(農・工・商)はキリスト教徒ではないことを証明するために寺に登録しなければならないという制度ができ、どうしても地域の寺が必要となり、地域の住民は檀家になり、その代わりに葬祭の面倒をみるというしくみができあがりました。 それ以前は、自分が信じる宗派や僧侶のいる寺に帰依するということはありましたが、葬儀などは地域の共同体で行いどうしても寺が必要というほどのものでもありませんでした。 そもそも、仏教には葬儀をおこなうことは本来の教義にはなく、日本に仏教が伝来してから長いこと僧侶は一切葬儀にはかかわらず、特に伝統のある官寺(東大寺や延暦寺など)の僧侶はごく最近まで葬儀かかわることはありませんでした。 僧侶が葬儀にかかわるようになったのは、鎌倉新仏教の時代の遁世僧たちがかかわるようになってからで、それが普遍的になったのは江戸時代に寺請け制度ができてからです。
お礼
そうなんですか、私の認識を改めなければなりません。ありがとうございます。
お礼
開基と再興・中興と言い分けてるのですね、ありがとうございます。