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「”私は見える”は物質現象でない」の証明

済みません。前回の質問で「証明」を書き忘れたので改めて書きます。間違いがあったら教えてください(証明は、もし「私が見える」が物質現象であると仮定すると矛盾が生じるので、この仮定は成り立たたないという背理法を使っています)。 <前提> 将来科学技術が発達して、人間の体を分子・原子レベルまで正確にコピーする技術が完成するとします。 <証明> 1.未来の医者に全身麻酔をしてもらい、眠っているうちに、自分の完全コピーを作ってもらいます。元の自分の肉体をA0とし、コピーした肉体をA1とします(自分と全く同じ肉体が2個できます)。 2.二人が目覚める前にA0に麻酔注射を追加して、もう少し眠っていてもらいます。 3.そのうち、A1が目覚めます。もし、”私は見える”が物質現象なら「この私は、周りの世界が見える」ことが確認できるはずです。実験が成功なので、この段階で、ちょっと乱暴ですが、A0を処分してしまいます。これで、とりあえず問題はないことになります(自分は生きてます)。 4.一方、#3で、もし、A0を先に目覚めさせても状況は同じですから、A0が先に目覚めて「あー私にとって世界が見える」と感じた段階で、A1を処分しても問題ないはずです(これでも自分は生きています)。 5.ところが、もし、#3の段階で、A0、A1が同時に目覚めるとどうなるでしょうか?そのときは、私は、A0とA1の両方の体を通して「周りの世界が見える」ことになります。すなわち、この世界が少しずれて2重に見えるはずです。しかし、これは物質的には説明できません。A0が入力した視覚情報とA1が入力した視覚情報を互いに伝播する物理的法則はないからです。 この矛盾は「私はみえる現象」が物質だけで実現できるとした最初の仮定が間違いであることを証明していると考えるのですが、いかがでしょうか?

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  • pastorius
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回答No.10

> 何故結論だけ違うのでしょうね。面白いですね。 ご質問の論法では、 「見えるという現象は物質だけでは実現可能である可能性は否定できない」 だから、「間違いである」としているのです。 ぼくの言っている「間違い」とは、 「論理が飛躍していて証明として不適当」 ということであって、 「見えるという現象は物質だけで実現可能である」 と結論しているものではありません。 背理法とも関係ありません。 あくまでご質問の論理展開が証明として適当ではないという意味です。 > いずれにしても、pastoriusさんも「精神、意識、自我、といったものが、(中略)私の考えに賛成いただけたのかと思っていますが、、、。 ぼくが書いていることは、ぼくの考えそのまんまです。 意識と肉体が別物かどうかは、「わからない」です。 「わからない」ということは、意識が物質のみに依存して存在している可能性もあると考えている、ということです。 人は死ねば無になる可能性もあり、そうでない可能性もある、と、思っています。 ぼくがこの問題に結論を出すためには、ぼく自身が霊能者になるか、死んでみるしか無いと思っています。

kobarero
質問者

お礼

たびたびの補足質問にも丁寧にご回答いただき、大変ありがとうございました。

その他の回答 (10)

  • igarasik0
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回答No.11

>生まれる前は、この世界を感じたり見たりできなかったわけです >この今の自分の肉体がこの世に生まれると、なぜかこの世が見えるようになったわけです これはNo.3 の補足にあるものの一部です。 これらにおいて、「生まれる前から存在する私」というものを設定していています。 質問文を読んでも、それと同じような仮定があるのではないかとも思えます。 もし「生まれる前から存在する私」というものが物質ではないとすると、仮定に結論が含まれていることになりませんか?

kobarero
質問者

お礼

ご回答いただきありがとうございました。

  • pastorius
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回答No.9

# 脳も物質でできているという条件で考えた場合、「見えるという現象は物質だけでは実現不可能」は正しいですか、間違っていますか? 論理的には間違いということになります。 ご質問の論理の不充分性を指摘します。 > 3.そのうち、A1が目覚めます。もし、”私は見える”が物質現象なら「この私は、周りの世界が見える」ことが確認できるはずです。 この前提が、論理的に成立しません。 A1の視覚系とA0の脳は、視神経細胞という物質で接続されていませんから、A1が目覚めて視覚系の機能が有効になっても、A0は「周りの世界は見えない」となります。 ご質問の仮定が成立するなら、目をくりぬいても、培養液に浸して細胞が壊死せずに機能するようにしておけば、神経がつながっていなくても、見えるという論理になってしまいませんか。 A0が見えるとするなら、視神経細胞という物質が無くても「周りの世界が見える」ということとなり、「見える」ということは物質に依存しないと質問自体で前提してしまっているということになります。 > A0を処分してしまいます。これで、とりあえず問題はないことになります(自分は生きてます)。 自分と物質的にそっくりのA1が生きているのであって、A0が死ねばA0である自分は死ぬと考えられます。 物質的にA0と全く同一であるA1を作ったとしても、A1がA0と同一であると仮定できません。 クローン羊ドリーとその遺伝子の主であった羊とは、遺伝子的には同一でも、別な羊なんです。別々にお腹が空きます。別々に行動します。ドリーの死は、遺伝子の元である羊の死ではありません。 > 5.(前略)A0が入力した視覚情報とA1が入力した視覚情報を互いに伝播する物理的法則はないからです。 視覚情報を伝達する視神経細胞という物質がA0とA1の間に存在しない。 まさにここでご自身が指摘されています。A0の網膜が受けた光子情報とA1の網膜が受けた光子情報は、相互に連絡しません。 精神、意識、自我、といったものが、物質のみで構成されると言えるかどうかは、明らかではありませんが、ぼくは、それらが、物質(肉体)に依存せずに単独で存在することはできないと思っています。 意識と肉体は、不可分である一つだと考えています。 すると霊魂はどうか? わかりません。 生霊なんてのも、いますね。 霊魂とは一体何か、ということがわからないとします。 いま現在生きている自分自身に、肉体と外在する霊魂が宿っていて、意識が成立しているとしても、意識は、肉体に支配され、或いは大きく影響されている、ということは、自覚的に確信できます。 お腹が減ったらご飯を食べたいと意識しますし、寒ければ上着を着たいと意識します。病気のときは気が滅入りますし、風呂に入って肉体がリラックスしているときは、気持ちいいです。思考の殆どの部分は肉体の感覚や状態に影響されていると考えられます。 仮に霊魂が肉体と別に存在するとしても、それが肉体に宿っているときは、肉体に大きく影響を受ける。肉体と不可分の存在である。というのが、とりあえずのぼくの認識です。 肉体とはなれた後のことは、知りません。

kobarero
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 >論理的には間違いということになります。 「論理的には間違いということになります」以外の全ての部分は一つ一つまさにおっしゃると通りです。それこそ私が言いたかったことです(特にドリーの話等は拍手喝采ですね)。にも関わらず、何故結論だけ違うのでしょうね。面白いですね。恐らく私が背理法を使ったせいではないかと思います。背理法とは「AはBである」を証明するのに「もし、AがBでないと仮定すると矛盾が生じることを証明し、結果的にAはBであることを証明する」方法だと思います。 今回の例でいうと「見えるという現象は物質だけでは実現不可能である」を証明するために、「見えるという現象は物質だけで実現可能である」という仮定を設定し、この仮定に立つと矛盾が生じることを示し、結果として、この仮定が間違いである、すなわち元の命題「見えるという現象は物質だけでは実現不可能である」が正しいことを証明しているわけです。ですから、最初の背理法を進める上での仮定「見えるという現象は物質だけで実現可能である」が真とすると、神経系統が繋がっていないにも関わらず見えるという「あり得ない」ことが出てくるわけです。 いずれにしても、pastoriusさんも「精神、意識、自我、といったものが、物質のみで構成されると言えるかどうかは、明らかではありませんが」とおっしゃっているので、基本的には私の考えに賛成いただけたのかと思っていますが、、、。また、「ぼくは、それらが、物質(肉体)に依存せずに単独で存在することはできないと思っています。」は私も全くその通りだと思います。別な言い方をすると、「私が感じるという現象」にとって、肉体は必要条件ですが、十分条件ではないと言えるのではないでしょうか?

  • pastorius
  • ベストアンサー率48% (538/1110)
回答No.8

見るということを物理的にいうと、物質が発した、或いは物質に当たって跳ね返ってきた光子(光波)に、網膜上の桿体細胞と錐体細胞が反応して、視神経を伝わって脳に伝達して、脳がそれらの情報を編集して映像を作り出す、ということですね。 桿体細胞は、光子(光波)一個一個があるか無いかということに反応します。1か0ですね。あれば1。無ければ0. 受容した光子の量が多いと明るい、少ないと暗い、と、脳は認識します。 次に光には波長というものがありますが、錐体細胞は、光の三要素、赤と緑と青(RGB)それぞれに特有に反応する三種類があり、色を認識します。テレビ画面と同じような理屈ですね。 見ることとは、色と明るさと形を認識するということです。 網膜上の細胞がこのようにして光に反応して、それが視神経によって脳に伝達されます。これらが映像というふうに具体的に形を結ぶのは、脳というCPUが視神経から伝わった電気的な情報を再構成しているからです。 この再構成された映像が個々の人によって同じであるかということは永遠の謎であって、たとえばぼくが赤と思っている色のことを、ある人は青と思っている色として理解しているかもしれません。或いは丸と思っている形を、三角と理解しているかもしれない。だからといって、実生活上何か不具合があるわけではありませんが。 いずれにしても、脳が情報を得てそれを咀嚼するという部分が無ければ、或る脳にとって物を見た、物が見えた、ということにはなりません。 ここで初期のご質問に対する回答ですが、 「見えるという現象は物質だけでは実現不可能」 というときの「物質」が脳を含まないなら、当然に不可能であると言えます。 見るということは、見られる対象と見る主体との関係性のことだからです。どちらか一方が欠けても、見ることにはなりません。 A0とA1という考えについては、A0とA1がともに一個の主体のデバイスであるなら、どちらが見ることも或る一個の主体が見ることと同義であると言えますが、別個の主体であると定義されている以上は、当然、それぞれが見ることは別なことです。 NO2さんへの回答に、 「でも、意識がA0とA1で共有されているということもあり得ないと考えるとすれば、」 とありますが、A0とA1で意識が共有されると仮定するか、共有されないと仮定するか、その問題だけです。 共有されるならA0が見るということとA1が見るということは同一ですが、共有されなければ同一ではありません。 しかしその場合であっても、「見えるという現象は物質だけでは実現不可能」というご質問については、「物質」に脳(或いは主体の意識)を含まないのであれば、「不可能」という答えになります。共有している場合には、或る主体が4つの目を持つようになるということに過ぎません。 繰り返しになりますが、見る主体を廃して見るという概念は成立しません。

kobarero
質問者

補足

丁寧なご回答ありがとうございます。 >「物質」に脳(或いは主体の意識)を含まないのであれば、「不可能」という答えになります。 私は脳も物質でできていると思っていたので、特に断らなかったのですが、肉体をコピーというときは、当然、脳を含んだ肉体です(脳は物質以外の要素を含んでいるという説があるのであれば、是非教えてください)。 脳も物質でできているという条件で考えた場合、「見えるという現象は物質だけでは実現不可能」は正しいですか、間違っていますか? あーそうだ。それと、重要なことは、「見える」というとき、60億人の「見える」一般ではなく、「今ここで生きている自分が見える」という意味であることを付け加えさせていただきます。

  • keikan
  • ベストアンサー率42% (75/176)
回答No.7

No.3です。 証明で5.で >5.ところが、もし、#3の段階で、A0、A1が同時に目覚めるとどうなるでしょうか?そのときは、私は、A0とA1の両方の体を通して「周りの世界が見える」ことになります。すなわち、この世界が少しずれて2重に見えるはずです。しかし、これは物質的には説明できません。A0が入力した視覚情報とA1が入力した視覚情報を互いに伝播する物理的法則はないからです。 ※私は、A0とA1の両方の体を通して「周りの世界が見える」ことになります。 としていますが、この「私」が同一であるという前提の根拠が示されていません。 『「意識」が1つしかなく同一の意識が目覚める』と言うことを前提とするならば5.内容通りということになりますが、この意識が実は個々の別の物ということになれば、5.展開は意味をなさない物となります 。その場合は「物質だけで意識は決まらない」ということにもなりそうですが。

kobarero
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。 >「私は、A0とA1の両方の体を通して「周りの世界が見える」ことになります。」としていますが、この「私」が同一であるという前提の根拠が示されていません。 また背理法による説明になってしまいますが、もし、A0とA1での「私」が同一でないと仮定すると、元々の「私」A0にとって、A1は他人になります(要するに、「私」A0にとって、「A1」が見ているものが見えない状態になります)。すると、この段階で、既に「私は見える」という現象が肉体のコピーでは実現できないことを証明してしまったことになるからです。 >この意識が実は個々の別の物ということになれば、5.展開は意味をなさない物となります。 その通りだと思います。「この意識が実は個々の別の物」になるということは、物質コピーでは、意識はコピーできなかったということになります。

回答No.6

見えるものは見えないものの陰であるという人もいます。

kobarero
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • shkwta
  • ベストアンサー率52% (966/1825)
回答No.5

No.2の補足への回答です。 >A0の肉体とA1の肉体のどちらの肉体で目覚めたと感じるのでしょうか? >どちらか一方であるとしたら、A0とA1の違いは何でしょう? A0とA1がそれぞれ独立に目覚めたと感じます。手術が終わったときA0の脳とA1の脳には同じデータが入っていますが、以後は空間において存在する位置が違いますし、他人との会話も同時にするわけではありませんので、A0とA1には異なったデータが入力されていきます。A0とA1は以後は他人として行動することになります。 >A0の肉体とA1の肉体のどちらの肉体《で》目覚めたと感じるのでしょうか? 上の文の《で》が誤りです。「目覚めるべき唯一の主体」というものを仮定して、その主体がA0にあるのかA1にあるのかと考えるからおかしいのです。「目覚める」ということも脳の機能であり、A0とA1でそれぞれに「目覚める」という現象が起こります。どちらの「目覚める」も以前の「私」の延長です。しかし、以後の発展は同じになりません。

kobarero
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。 >A0とA1でそれぞれに「目覚める」という現象が起こります。 これは、おっしゃる通りだと思います。 >上の文の《で》が誤りです。「目覚めるべき唯一の主体」というものを仮定して、その主体がA0にあるのかA1にあるのかと考えるからおかしいのです。 60億人の人間には60億の別々の顔(肉体)があり、60億の別々の主体があります。しかし、この私の顔(肉体)は一つであり、この私の主体(世界が見えている本体)は、ただ一つです。従って、この私にとって、目覚めるべき肉体はただ一つです。そして、ここで問題にしているのは、そのただ一つしかない私の肉体A0を完全コピーしたA1を作ることができた場合、私はA0を通してこの世界が見えていたように、A1を通してもこの世界が見えるかということです。もし、見えたとすると矛盾が起こるだろう、だから、実際は見えないのだろうと思います。そして、見えないのであれば、「私が見える」という現象を物質だけで実現できるという仮定が間違っていたことになります。すなわち、「私が見える」という現象は物質現象以外の働きの存在を示唆していると考えます。

  • igarasik0
  • ベストアンサー率28% (59/208)
回答No.4

意識というものを「物質とは異なるが、それと同じようにふるまうもの(≒魂)で出来ている」と考えている所が、この問題に矛盾があるように思わせているのではないでしょうか? 夢も希望も無い話をすると、意識というのは脳内の神経繊維のつながりや電位の変化という物理現象により発生したソフトウェアのようなものらしいのです。 ですから、それすらもコピーしてしまえば、A0と同じ意識を持ったA1が生まれてもおかしくはありません。 たぶん2人とも、目が覚めた時そこにいる「自分自身」を他人と認識するでしょうね。 これってSFでは、「クローンには魂があるか」などという形で、かなり昔から使われているネタなんですけど、読んだことありませんか?

kobarero
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。 >意識というものを「物質とは異なるが、それと同じようにふるまうもの(≒魂)で出来ている」と考えている所が、この問題に矛盾があるように思わせているのではないでしょうか? 逆ですね。「意識が物質である」と仮定すると矛盾が生じるので、「意識は物質以外の何かを含んでいる」と考えざるを得ないという結論になりました。 >たぶん2人とも、目が覚めた時そこにいる「自分自身」を他人と認識するでしょうね。 A0はA1を他人と思い、A1はA0を他人と思うという意味ですか?もし、そうなら、重要なことは、 今問題にしている私はA0ですから、A0から見てA1が他人に見える(A1の肉体を通して世界を見ることができない)なら、A1は、A0の肉体をコピーしたにも関わらず「この私にとって、この世界が見えるという」能力はコピーできなかったことになりますね。

  • keikan
  • ベストアンサー率42% (75/176)
回答No.3

>そこで、疑問がわくのですが、麻酔されてコピーされる前の自分の肉体(A)を持っていた自分は、麻酔から覚めた段階で、A0の肉体とA1の肉体のどちらの肉体で目覚めたと感じるのでしょうか?どちらか一方であるとしたら、A0とA1の違いは何でしょう? A0、A1ともに「私はわたし」として意識もコピーされるのではないでしょうか。目が覚めた時点から私として意識し、他の方も私として認識し、それぞれが別々のものとして進むのではないでしょうか。 命は現実の中で生死を繰り返し(生命が生命から新たに生まれることにおいて)いるわけですから、肉体をコピーすることにおいても別の生命が生まれるかもしれません。

kobarero
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。 >A0、A1ともに「私はわたし」として意識もコピーされるのではないでしょうか。目が覚めた時点から私として意識し、他の方も私として認識し、それぞれが別々のものとして進むのではないでしょうか。 その通りですよね。大変おもしろく感じることは、他の方の回答を見させていただいてもそうなんですが、回答者の方の考えの多くに対し、私もその通りだと思うことです。ただ、その通りだと思うと同時に、それは、私の疑問とは別なことに対して「その通りだと」思っているということです。皆さんの回答での「私」は、「今ここで生きている固有でただ1回の人生を送っている私」の視点がはなくて、「この私(各々の固有の人生における)」以外の60億人分ある「私」一般の議論のように感じます。私の説明が下手なんでしょうね。 補足になるかどうかわかりませんが、ちょっと別な角度から説明してみます。 我々にとって生きているということは、この世界を見たり感じたりできるということです。死んでしまえば、それがなくなります。しかし、改めて死ななくても、生まれる前は、この世界を感じたり見たりできなかったわけです(死んでいる状態と同じではないかと思います)。私が生まれる前にも人類は何億人も生まれてきていたわけです。しかし、それにも関わらず、自分にはこの世界は見えていなかったわけです(当然ですよね。この自分の肉体がこの世に存在していなかったわけですから)。ところが、この今の自分の肉体がこの世に生まれると、なぜかこの世が見えるようになったわけです。この今の自分の肉体と別の人の肉体の何が異なるために、自分は、自分の誕生日にこの自分の肉体でしか生まれ得なかったのか。これが、私の問題意識です。そして、もし、自分がこの世界を見ることができるという現象が肉体という物質だけで実現し得るのなら、自分が一旦死んでも、再度何らかの基準に合致する肉体の誕生があれば、その肉体を通してこの世が再び見えるのではないかと考えます。何故かというと、少なくとは1度は、何もない状態から「この世が見える」状態に変わったのですから、1度あることは2度あるです。(かえって混乱するようでしたら、済みません。)

  • shkwta
  • ベストアンサー率52% (966/1825)
回答No.2

A0のコピーとして、A1を作った時点から、A0の脳とA1の脳は別々に動作します。元は同じ物だったので初期値は同じですが、その後の動きは異なります。 つまり、A0とA1は意識を共有していません。「私」がもともと持っていた意識は2つに分かれ、その後は別々の発展をします。 証明の前提となっている、「コピーを作っても私の意識は一つだけのはずだ」が誤りなのです。

kobarero
質問者

補足

前半の4行は、おっしゃる通りです。A0とA1は互いに意識が異なるわけです。すなわち、A0から見ると、A1は如何に自分に似ていても他人であり(一卵性双生児の片割れのようなもの)、A1からみると、A0は他人なわけです。 そこで、疑問がわくのですが、麻酔されてコピーされる前の自分の肉体(A)を持っていた自分は、麻酔から覚めた段階で、A0の肉体とA1の肉体のどちらの肉体で目覚めたと感じるのでしょうか?どちらか一方であるとしたら、A0とA1の違いは何でしょう? A0とA1は物質的には全く同じという前提ですから、どちらか一方が選ばれることを説明できません。 でも、意識がA0とA1で共有されているということもあり得ないと考えるとすれば、残る結論は、Aに関する意識は、結局コピー不能、すなわち、物質でできている肉体では、実現できないということを証明していることになりませんか?

noname#15285
noname#15285
回答No.1

前回の質問を知らないので疑問だらけなのですが。 いくら完全コピーしても意識は別だと思います。つまりA0とA1の身体を通して周りが見えることは有り得ないと思います。

kobarero
質問者

お礼

その通りだと思います。 意識は別だと書かれている通り、意識は物質では実現できないと思います。ここで、意識と言うのは、ロボットでも持ちうる「外界に対する情報入手、処理、構成」という意味ではなく、まさに「私は生きている」という「私」において紛れもなく実現している現象のことですが。 ご回答ありがとうございました。

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