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江戸時代の武士の旅姿
映画に登場する江戸時代までの武士の旅姿を見ると、大体の場合、手甲・脚絆に旅用の羽織を身につけ、頭には菅笠、腰にはカバーを掛けた大小二本差しをています。 ところが背中の荷物はと見ると、楕円形で弁当箱程度の大きさの小さな入れ物を長い紐でたすき掛けにして背負っていますよね? この映画の描写が正しいとしての質問なのですが、この背中に背負った小さな入れ物、中には何を入れていたのでしょうか? また、この入れ物、大きさ的に着替えの着物が入るはずもないのですが、では下着も含めて旅行中の着替えはどうしていたのでしょうか? 目的地まで一回も着替える事は無い? 当時の旅行は今ほど清潔ではなかったとしても、何日も着替えをしなかったというのは考えにくいように思います。 では、宿場の宿で毎日新しい物を購入していた? そんなに毎日お金を使っていたのなら、途中で路銀が底をつく事になりませんか? それと、脚絆は歩きやすいように足下をキュッと絞る役目があるのは理解出来るのですが、「手甲」は何のため? 時代劇を見るたびに疑問に感じています。
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>中には何を入れていたのでしょうか? 現代的にいうと、タバコ・筆記用具・メモ帳・手拭・髭剃り・歯ブラシです。 一種の旅行用具一式です。 後は、頼まれた文箱に入れた手紙などですね。 薬は印籠の中に入れていましたし、お金は肌身はなさず持ってました。 >下着も含めて旅行中の着替えはどうしていたのでしょうか? 当時、織物は非常に高価なものでした。 ですから、下着に関しては宿場で洗濯しています。 今でも、長期出張サラリーマンはホテルで洗いますよね。 ランドリーに出すか、風呂で洗うかは出張者次第! >途中で路銀が底をつく事になりませんか? 案外知られていませんが、当時も為替制度が発達していました。 ですから、各宿場の両替商に為替を持参すると現金が入手できたのです。 >「手甲」は何のため? 日除け対策です。 エアコンの無い時代の生活の知恵ですね。 夏は夏用の布を使い、冬は冬用の布を使います。 冬は暖かく、夏は涼しいのですよ。 手が変になると、刀を握る力が減少しますからね。 冬は理解出来るが夏の手甲が、何故涼しいのか? 砂漠を往来するベドウィンの服装を見れば理解出来るでしようか? 彼らは、全身を布で巻いていますよね。 直接日光を浴びるよりも、布で遮断した方が涼しいのです。 人間の持つ体温調整力がよく働くようです。 ちなみに、時代劇で未だに多くの誤りがあります。 殿様(奥方)の肘掛・お蒲団を注意深く見て下さい。 面白い事実に気付くでしよう。
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武士の旅行は藩から命令を受けての公用が多く、出かける前に問屋場に飛脚を送って、先触と呼ばれる通達書を出して予約をしておきます。 本人は駄賃帳と呼ばれる出納帳を藩から受取り、宿代などはこれで決済していきます。 この価格は公定価格になっており、一般価格より安いので、余程でなければ武士はこの方法で旅に出ます。 旅ですけど、一人旅ということはなくて、貧乏武士でも従者を連れて歩くのが当たり前ですから、常識的に従者が主人の着替えを運んでいると思われます。 最近の時代劇映画では、うちからした武士でも、登城の時に従者を従えて家を出ますから、あれを想像していただければよいと思います。 手甲に関しては良く判りませんが、防寒や日焼け予防といった、手を守る意味で付けたのではないかと思います。
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有難うございました。 なるほど、時代劇と違って実際には武士が一人で旅に出るという事は無かったのですね。 そう言えば、従者が長い柄のついた衣装箱(?)を肩にかついで主人に随行するシーンを見た事があります。 一応は多少の着替えを準備して旅に出たようですね。
お礼
有難うございました。 なるほど、武士が背負っているのは旅行用具一式だったのですね。 今で言う、ポーチみたいな物なんでしょうね。 ただ、着替えについてですが、今と違って着替えを持参せず旅に出かけていたとしたら、毎日洗っていたのでしょうか? 冬は数日洗わなくても問題無いでしょうが、夏はそういうわけにはいかなかったでしょうね。 手甲ですが、日光遮断用にしていたんですねえ。 でも夏の場合は何となく手甲をしない方が暑くないように感じるのですが、昔は違っていたのでしょうね。 面白いお話、有難うございました。