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地方に行くといまだに「○○家の家臣の末裔」とか「先祖は武士」とかいって
地方に行くといまだに「○○家の家臣の末裔」とか「先祖は武士」とかいってる連中、いってるだけならいいのですが、でもなぜか威張り散らしてるやつらが結構いて、かなり不愉快だったり。 都会からイナカに移り住んでいた頃、その人たちは、先祖が小作の人たちについて「あいつらはなー」とみんなに言いふらし馬鹿にする、ろくでもない奴らばかりでした。しかも公務員が何故か多く、うわさでは全員縁故採用だとか…役所の職員の態度のでかさは、新住民から憤慨を誘っていました。公務員にならなかったひとは、なぜか全く働かないニート化、でも地域のみんなは「仕事なんてしなくても良いからね」と慰めてました。地域行事で公園掃除などをする際に、「掃除なんて俺らにできるわけねえだろ!!」といわんばかりの態度で、立場として弱い人にムリヤリ押し付け、そしてみんなには「俺たちは働き者だ」といかにもな態度をとってみたり。ちょっとでも挨拶が丁寧でなかったら、ネチネチとあげつらってみたり。 イジメの首謀者も概して連中。でも絶対に自分の非を認めず、学校の先生も似たようなもので「苛められる方に問題がある」 傲慢で、労働をいやしみ、自分たちは偉いと威張り散らし、うそつきで、儒教臭さをぷんぷんさせながら、でもどっかの国の人を馬鹿にして、あまり大差はなかったなあ、という実感を持っています。 仕事上の絡みで地方に行ったとき、やたら態度がでかい連中がいましたが、これまた「あの人たちはね、先祖が武士で、だからいってて」というので、それが常識となってる地域もありました。 「武士道」なんて言葉は、本当は全く優れていない、むしろ劣っている武士階級の気位を保つ程度のものだったのではないか?と。やくざが実際はうそつきで傲慢で実際は否定されるべき存在なのに、礼儀だけはうるさいというのと似てましたね。 武士によって書かれた武士にとって都合のいい、武士にとって都合の悪いことは削除された、そんな文献が信憑性のあるものだとして、以降「武士って立派だったんだなー」と延々と。そこには武士の残忍な振る舞い、当時としては書くほどのものではない、常識だった、という下の階級に対する残忍な振る舞いも合ったのではないか?と。 文献を見ると「武士=すべてにおいて優れた存在」って。そこまでいくと嘘くさい。 長々すいません。 「武士」というのは本当に尊敬に値する存在だったのでしょうか?日本人の誇りといえるほど立派な存在だったのでしょうか?
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- guwaguwa900
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流れをみてると、武士がどうとかいうより、 あなたが不愉快な思いをした、田舎の古い気質が問題なんでしょう。 わかりますよおー。田舎もんがいやなんでしょう、わかるわかる。 田舎ものは理屈が通じない。たいして時勢に明るくもないのに、知ったか ぶりをする。 自分の仕事以外のことなんてほとんど知らないくせにえばる。わかるなあ。 しかし、彼ら田舎ものもわかっているのです。自分たちが井の中の蛙だと。 ゆえにコンプレックスからなにかにすがりたいのです。それが「武家の血筋」 なんでしょうな。いちばんえばれそうだし。 もうその田舎を離れたのならあたたかくみまもってあげましょう^^ 慈悲のこころでw ちなみに、いちおう頼朝が鎌倉に幕府を開いてから、徳川が終わらすまで ずっと武家政権だったんですから(建武の親政や戦国期の混乱はともかく) 尊敬もなにも、日本の歴史のほとんどは武家のつくった歴史なんですから、 それなりに評価するべきでしょうな。 そりゃ、個々人の武士とか細かくみてけばいろいろ・・・悪党もいたでしょうけど。 ちなみに、「先祖が武士」とか「末裔」とかいうのはけっこうまゆつばです。たとえ 家系図があったとしてもね。日本人てのはひんぱんに名前まるっきりかえたり、養子 縁組でまるで他人を嫡子にしたり、権威のためにたとえば「清和源氏の血をひいてる」と でっちあげたりと。いいかげんです。まあ、なんでも鑑定団とかでみてもらえばはっきり するかな。たとえば先祖代々の刀、とかですね。
- 畑山 隆志(@deltalon)
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もうちょっと勉強されたらいかがですか。 武士だからと言って、まるで異民族のような支配をしていた訳ではありません。前述の飢饉の時にしても、まずは農民を飢えから救わないと、次の生産者がいなくなります。こんなとき弾圧なんかしたら、村を放棄する農民が山のように出ます。すでにお亡くなりになった歴史学者の網野善彦氏は、飢饉の多くは、田畑の作物が先物取り引きの対象として、すでに換金され、農民が手を付けられない状況だったからではないかと言われていました。(検証の途中でお亡くなりになりました。) さらに同氏の研究で、よく侍の人口が間違っているのではないかとも言われています。つまり都市に移動した侍は、主に奉行所へ申し出て記録されますが、そのあと落ちぶれた場合、はたしてわざわざ身分が落ちたことを奉行所に伝えるだろうか、ということです。 もし仮に武士が、質問者の言うように贅沢三昧していたら、飢饉のあとの年貢米はどこから持ってきたのでしょう。この状況は今の公務員と同じで、年貢米が減ると、武士の世界でもリストラが始まり、当座の戦時に役立たない武士は簡単にクビになっていきました。そのうえ、同心などは1年契約で、毎年年末に来年の仕事があるかどうか奉行所に聞きにいっていました。、とてもじゃないが、エラそうなことを言えたもんではありませんし、庶民はそれを知っておつきあいをしていました。 それとも質問者は、武士になにか恨みでもあるんですか?
- izuhara
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あなたの言われる「武士=すべてにおいて優れた存在」という文献がどのようなものかわかりませんが、 武士が百姓(農民に限らない)に対してどのような態度をとっていたか、その地域・藩・階層によって異なるはずです。 それを単純に傲慢・残忍などと評価するのはいかがなものでしょうか? また、あなたがいやな思いをしたある地域の事例のみをもって、武士全般に否定的な評価を下すのも短絡的かと思います。 あなたの体験で言えば、不愉快な行動をしているのは武士の「子孫」であって、当時の武士ではありません。 なお、「武士道」に代表される誇りとすべき武士像というのは、近代から現代までに形成されたものであり、必ずしも当時の実像を反映したものではありません。その点をご留意ください。 江戸期の武士の実像の一端を知るならば磯田道史『武士の家計簿』(新潮新書 2003)が参考になるかと。
- eroero1919
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もうすぐ12月ですが、日本人にとって12月といえば忠臣蔵です。いうまでもなく赤穂浪士の四十七士ですが、考えてみれば赤穂藩には何百人も藩士(武士)がいてそのうち討ち入りをしたのはたったの四十七人。残りのほとんどの人は農民になった人もいましたし、まあみんなてんでばらばらになったわけです。 んで、「討ち入らなかったほとんどの赤穂浪士」にとって四十七士は「余計なことをしてくれた」というわけでしてね。どういうことかというと彼らは一夜にしてスーパーヒーローになったのですが、その反面「討ち入らなかった奴ら」は「武士の風上にも置けぬ」とケチョンケチョンに叩かれたのです。中にはもう「赤穂浪士」と分かっただけで「討ち入らなかった腰抜けか!」といわれるので、赤穂浪士であることを隠した人も多かったそうですよ。 江戸時代に武士がまあある意味武士道的なことをやったのはこれが最後といっていいでしょう。え?当時は五代綱吉公の時代だって?そうですよ。江戸時代全体から見ると初期といっていい時代だったでしょう。もうその頃で「武士道」なるものは形骸化していたのです。 なにしろ、戦争のない平和な時代は、武士というのは軍人じゃなくて官僚すなわち役人です。時々頭のおかしな人が「剣で出世する」なんて訳の分からないことをいって剣道の修行をするのですが、まあそんな人に活躍の場が出るのはペリー以降の幕末になってからです。 そもそも、剣の達人である宮本武蔵からして就職先が見つからずニートで生涯を終了しています。彼は「軍人」として雇われることを強く望みましたが、もう時代は軍人を必要としていなかったのです。ちなみに、それは島原の乱のときですから二代秀忠公のときです。ちなみに島原の乱は「江戸時代最後の戦争」であります。戊辰戦争は大政奉還の後ですから。 現代でも、警察官でも医師でも教師でも立派な人がいればロクでもないのがいます。いつの時代でも変わりませんよね、そういうのは。 ちなみに、「江戸時代、農民は生かさぬよう殺さぬように武士から搾取を受けていた」というのは明治政府の陰謀です・笑。いやホントの話で、明治時代から始まった学校教育でそう教えたのです。本当は、江戸時代の農民というのは世間で思われているほど搾取はされていなかったし、待遇の改善を求めて武士と堂々と交渉することもできたんです。 つまり「おでぇかんさま、これをお読みくだされぇ!」「ここな農民が、無礼者!」なんてのはまあごく一部の話だったんですよ。現代でもブラック企業で搾取されるサラリーマンがいるような話で。
- bougainvillea
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そういうあなたにはこの本がオススメです(^^) 本当は恐ろしい江戸時代 (ソフトバンク新書) 八幡和郎 http://www.amazon.co.jp/dp/4797351586 江戸時代は北朝鮮そっくりだった!? 江戸時代はユートピアではなかった。実はこんな一面もあった、こんなに住みにくく、 生きづらい世の中でもあったという観点から、江戸時代のもう一つの実像をあぶり出す。 歴史マニアも目からウロコの、びっくりエピソードが盛りだくさん。
お礼
それ読みました!疑問がドロドロと解けていきましたよ! ありがとうです
補足
「武士は農民を搾り取るだけの対象としかみなしていなかった」んではないか?というワタシの推測に近いかな?その本。 武士が記録した、武士にとって都合の悪いことは削除された、武士にとって都合のいい史書しか、歴史を記録したものがない自体、相当に胡散臭い話であって。そんなのが農民の実状を記しているはずもなく。 それが地方ではいまだに続いてるんではないか?という気がします
補足
でも大飢饉の際に、農民が多数飢え死にしていて、でも武士はのうのうとぬくぬくと暮らして飢え死にしなかったという事実もあるわけで。ここで人肉食べて凌いだ農民を「卑しい」として記録したのは武士。生きるか死ぬかの状況にある農民もいるのに、でもそんな見方しか出来なかった、ってのが武士の実状なんじゃないでしょうか?結局武士は農民を見下し劣ったものとして見なしていた、と。 やっぱり武士の記録って言うのは、武士にとって都合のいいことしか書いてなくて、武士にとって都合の悪い事実は削除されて、農民を搾取した事実は当然に削除されていたんじゃないか?と。 武士ってのは大方うそつきで見栄っ張りで、でも身分にすがって農民などを見下していた、クソ以下の劣等人種だったんじゃないでしょうか? 地方に行くと、先祖が武士、ってのが縁故で公務員になるってパターン、非常に多いんですよ。この息苦しさ、多分都会の人にわからないと思います。 都会に移り住んで、かなり息苦しさがなくなりましたね。