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我思う、ゆえに我あり

この言葉の意味が全く分かりません。 分かりやすく説明していただけないでしょうか?

みんなの回答

  • aran62
  • ベストアンサー率16% (485/2911)
回答No.6

私の考えていることの答えはすべて、私のうちにありますよ。人の考えに惑わされたり、迷ったりしたときは、自分をもう一度見つめなおしなさい、そうするといい答えが見つかりますよ。自分に自信を持ちなさいということです。

  • aran62
  • ベストアンサー率16% (485/2911)
回答No.7

私の考えていることの答えはすべて、私のうちにありますよ。人の考えに惑わされたり、迷ったりしたときは、自分をもう一度見つめなおしなさい、そうするといい答えが見つかりますよ。自分に自信を持ちなさいということです。

  • tonzura99
  • ベストアンサー率20% (14/68)
回答No.5

あらゆるものが本当に存在するかどうかをデカルトは考えました。ところがあらゆるものは本当に存在しているか怪しい。しかしながらひとつだけ確実に存在しているものを見つけました。それはあらゆるものの存在を疑うデカルト本人でした。あらゆる存在を疑う自分自身だけは間違いなく存在している。ということです。この事実を土台にデカルトは自らの構築していきました。  ただ、我思うゆえに我あり。この考えにはひとつ欠点があります。しかし、質問からは外れる気もするのでここまでにしておきます。

  • char2nd
  • ベストアンサー率34% (2685/7757)
回答No.4

 こちらのサイトで詳しく解説されているみたいです(↓)。  ちなみに、このあとに続きの言葉があります。 「この真理がきわめて堅固であり、きわめて確実であって、懐疑論者らの狂気きわまる仮定をことごとく束ねてかかってもこれを揺るがすことの出来ないのを見て、これを私の探求しつつあった哲学の第一原理としてためらうことなく受け止めることが出来ると私は判断した。」  ここでいう第一原理とは、確固不動の一点を得ればこの地球をも動かしてみせる、といったアルキメデスのような原理をいいます。

参考URL:
http://www6.plala.or.jp/swansong/000001tetugakumokuji.html
noname#11742
noname#11742
回答No.3

デカルトの言葉ですね。 デカルトは全てのものを疑ってみたんです。 そうすると確かなものは何もない。 しかしこの疑っている自分だけは疑うことができない。 全ては考えている我から始まる。 これが我思う、故に我あり、ということだと思います。 ここから神中心でない人間中心の哲学が始まったと言われています。 有名な言葉ですから検索すれば結構色々出てきますよ。

  • o24hi
  • ベストアンサー率36% (2961/8168)
回答No.2

 こんばんは。  分かりやすくなるかどうか…  今迄の真理を「信仰」して獲得するのではなく、人間の持つ「理性」を用いて真理を探求していくという事ですね。  もっと簡単に書けば、  考える、悩む、疑う、心配する、計画する、感動する、想像する、とか色々自分で探究せず、もし、人生が、今まで生きた人々の真似だけ、あるいは伝統に沿って生きてさえいればいいなら、人間がせっかく与えられた「考える力」の意味がない。  もっと簡単に書けば、  伝統的な考え方に縛られず、常に真理を探究しなさい。 という事でしょうか。

noname#13285
noname#13285
回答No.1

この言葉は 自分のことを「私が存在している」と自覚できず、 自分は存在するのか、と悩み苦しんでいたら 「あっ、悩んでいる自分が存在している!」と発見できた・・・という話から来ています。 これでどうでしょうか? あんまり分かりやすく説明できなかったです(;_;) より説得力のある方お願いします。

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