はじめまして
アルサケス朝パルティアです
自分の持つ資料は微妙に年代がwikiとズレているので記します
114年 アルサケス朝パルティアでなんらかの原因で内紛が起こる
→ローマ皇帝トラヤヌス、その情報を入手、直ちに対パルティア討伐の軍を召集し侵攻
ローマ軍はアルサケス王家の分家が納めるアルメニア王国(それまでは名目的宗主権はローマ、実効支配はパルティア)を制圧
属州に編入、但し王家は存続させる
ローマ軍は南下し、シリアの重要都市エデッサ、メソポタミアの重要都市ニシビス、ハトラを次々攻略
115年 ローマ軍はパルティアの首都クテシフォンを陥落させる
116年 トラヤヌスは元老院からパルティア王の称号授与される
→トラヤヌスはさらに軍を進め、ペルシャ湾まで到達、全メソポタミアを完全制圧
しかし同時期にローマ帝国内の離散ユダヤ人の大反乱が勃発
トラヤヌスはやむなく主力軍を帝国へ召還しメソポタミアに永続支配体制を築けなかった
なお余談ですが、パルティアはササン朝に滅ぼされますが
アルメニア王国のアルサケス家の分家はローマに亡命
その子孫は6世紀のビザンティン軍の対東ゴート戦争の将軍の一人として参加
パルティアの王子と呼ばれていたようです
しかし形勢を挽回した東ゴート王トティラに敗れました
お礼
ご丁寧なご回答ありがとうございました! パルティアですね。 しかし、最後のアルメニアの子孫が、かつてライバルだった ローマに従軍して戦うなんて、何だか歴史は人間の中を生きて いるんだな、とつくづく思いますね。 ありがとうございました!