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ヘーゲルの論理学での[形式と内容」について
形式と内容について考えこんでおります。彼にあっては、「形式(即自)」と[内容(対自)」はいずれも「反省論」に属するカテゴリーです。これはなんとなくわかるとしまして、わからないのは、反省論中での大・小論理学でのこのペアへの扱いの違いです。 大論理学では、同論中の「本質論」の中に登場しその止揚態は「根拠」です。一方、小論理学では、同論中の「現象論」の中に登場してその止揚態は「相関」です。 両論でのこの違いの意味するところをお教え頂きたいのです。よろしくお願いいたします。
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- andthen
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Hazukasi様 ご期待に沿えず申し訳ないのですが、私の力ではどうしても答え切れません。すみませんm(__)m。私は「先生」でもなんでもないのです。大論理学と小論理学における「形式」・「内容」の差異など、論文のテーマになってもおかしくないテーマと思います。 それにしても「哲学の門外漢」とありますが、Hazukasiさんの勉強熱心さには敬服します。私も触発されてあらためて論理学に目を通してみましたが、やはり叙述は魅力的でした。私も中座してしまった論理学の表作成を完成させたいと、あらためて思いました。先のお返事で少し言及しました加藤尚武さんも学長職を辞して、残りの学者人生をヘーゲル論理学の研究に費やすとどこかで聞きました。それほどのものなのですね。
- andthen
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Hazukasiさんの質問はよほどの専門家でないと答えられないと思うのですが(事実私も答えられません。)、なかなか回答がないようです。なので「アドバイスということで書かせてもらいます。 ヘーゲルは体系的な哲学者であるとよく言われ、ガダマーのような大家もそう書いています。しかし日本のヘーゲルの第一人者の一人である加藤尚武さんはまったく逆のことを言っています。むしろ体系を無視した大胆な創造性こそ面白いのだ、と。 私も以前に小論理学における展開を図表で表してみようと試みて、(翻訳を)精読して分かったのですが、各々のカテゴリーの演繹の仕方は意外に杜撰だったりします。それもそのはずでヘーゲルの言うところの概念が本当に自己展開するならば、「正解」というものがあるはずですが、実際のところはヘーゲルがカテゴリーを(恣意的にとはいわないまでも)自分なりに整理して展開したように叙述しているのがヘーゲル論理学だからです。 なのでこの大論理学と小論理学の違いもバンベルクに居たときはこう思っていたのが、ハイデルベルクに移ってから考えが変わったからというのが「違い」が生じた理由だと思います。 『純粋理性批判』など、同じ「著作」なのに第一版と第二版でかなり違ってくるので、「いったいどっちがカントの本当の考えなの?」と思う人もいるのではないでしょうか?しかし哲学者は往々にして思想を変化させることが多く、カントやシェリングに比べたらヘーゲルは「揺らぎ」が少ないほうだと思います。
補足
趣旨が曖昧で、お答え頂き難い質問にもかかわらずご回答いただきましてほんとうに有難う御座いました。杜撰であったこと、もっとしっかり質問したらよかったと反省しております。 形式と内容、述語類型としての「形式、《時間》」と「内容、《昨日・昨年》」、あるいは形相と質料など、形式と内容の本質的なことが知りたくて、調べておりました。 ヘーゲルの説明がわかりやすいのですが、大―小論理学では、「形式・内容」―「物・実存」が入れ替わって整合性が摂られています(先生がおやりになったように表にして並べてみました)。 実は、お聞きしたかったことは、「形式・内容」という反省(反射)関係を、大論理学のように本質論(WESEN)的な「根拠・被根拠」と見たほうがbetterなのか、現象論(ERSCHEINUNNG)的な「相関関係」と見たほうがbetterなのか、ということでした。 私(哲学の門外漢)としては、自分の都合で恣意的に後者を取りたいのですが、これに対して、哲学一般として本質的な反論、それは素人的な誤り、というような何かは御座いませんでしょうか、危惧いたします。形式内容について、現代での定説というようなものがあるのでしょうか。先生後自身のお考えはどのようなものでしょうか、どうかよろしくお願いいたします。
補足
弁証法は整合範囲の範囲を広く摂れる分類法の一つとは思っていましたが、andthen様のご回答に接し、ヘーゲルのカテゴリー論(論理学)も、思考に関する分類法の一つであると強く感じさせていただくことが出来ました。「形式・内容」も、分類の「コード・タクソン」の形で考えるのも一つの手かなと思いつきました。お付き合いくださいましてほんとうに有難う御座いました。