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非形式論理学について
非形式論理学はなぜ日本では冷や飯ぐらいなんですか? せめて教科書くらい翻訳があっていいと思いますが・・・。 さかしらぶった奴らに鉄槌の一つも加えられないのがインテリならそんな者は粗大ゴミ以下です
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- 来生 自然(@k_jinen)
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どなたからも回答がないようなので。。。 日本語での表記「非形式論理学」というものがどのようなものか不明で、興味深かったので、調べてみました。というのも、非が「形式」にかかるのか、「論理学」にかかるのか分かりにくいと感じたからです。 wikipedia「非形式論理学」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E5%BD%A2%E5%BC%8F%E8%AB%96%E7%90%86%E5%AD%A6 >>> 非形式論理学(ひけいしきろんりがく、英: Informal logic)は、人工的な形式/技術言語での論証表現とは対照的に、一般の言語で表現された論証に関する分野であり、論理学の一部である。非形式論理学は1970年代初め、北アメリカで学部学生への論理学入門コースの代替として導入されたのが始まりである。間もなく思考スキル強化の運動と連携し[1]、特に批判的思考(後述)と密接に関連するようになった。後に、学際的研究分野である議論学とも連携するようになった。 非形式論理学の正確な定義には異論もある。Ralph H. Johnson と J. Anthony Blair は非形式論理学を「論理学の一分野で、日常会話における議論・論証の分析・解釈・評価・批評・構築のための非形式的な標準・尺度・手続きを開発することを目的とする」と定義した[2]。この定義は彼らや他の専門家ら[3][4][5]が非形式論理学の書籍で書いていることを反映したものと言える。 <<< ということで、「非形式」(informal)なのですね。 あと、wikipediaの記述後半で「批判的思考」と「議論学」との関係(およびwiki内部での、これら別項目へのリンク)も記述されていますが、どうやら「非形式論理学」そのものを扱うことは少ないといったように読めます。 で、「非形式論理学」にて本を検索すると、 「現代論理学〈1〉 (マグロウヒル大学演習) John Nolt (著), Dennis Rohatyn (著), 加地 大介 (翻訳) 」 などがリストアップされてきます。その書評をみてみると >>> Most helpful customer reviews 9 of 13 people found the following review helpful: 5.0 out of 5 stars 役に立つ論理学 February 6, 2006 By 二郎 Format:単行本 無味乾燥な記号論理に嫌気が差していた私にとって、この本は、非常に興味深いものでした。この本では、我々が日常的に行っている様々なタイプの非形式的論理思考を検討することから始まり、その後に形式的論理を取り扱っていくという順番で話が進むのですが、この非形式的論理の部分が非常に面白い。これは2巻についてもいえます。この部分は、メディアリテラシーの教科書としても使えそうだし、また、認知療法的側面もありそうです。形式的論理ばかりやらされて、論理学なんて役に立たないじゃないか、と感じていた人にはお勧めだと思います。 (後略) <<< とあり、日本語で記述された教科書レベルでは単独で扱われることはなく、「論理学」等の内部にて扱われているようですね。 ネット上では http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/50672/1/KJ00000047132.pdf 吉田寛:「非形式論理学の初期の発展と クリティカル・ シンキングの起源」 京都大学学術情報リポジトリ(KURENAI) http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/ http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/50672 が参照可能で、 >>> Michalosのlmproving Your Reasoning(1970)や文献紹介にもあるCapaldiのThe Art of Deception(1971)などに始まるとされる第二世代では、グローバル・アプローチに属するものは減少し、逆に非形式論理を主として扱うものが増えたことが報告される。Johnsonらによればこの世代の教科書には、演縛的一帰納的という二分法を部分的に放棄し、誤謬や日常的な議論を扱い、また議論の解釈や評価に焦点を当てるなどの転回が見られる。さらに、その取り扱う領域についても、意思決定や情報ソースの批判的な扱い方などにまで拡大されている。 現在、論理学とクリティカル・シンキングは異なる目的をもつ異なる科目として認知されているが、当初は論理学の一分岐である「非形式論理学」において新しいアプローチとしてクリティカル・シンキングが混入していた状態であったことがわかる。しかし、本来理論的な研究領域である非形式論理学に対して、クリティカル・シンキングは「教育」という側面に重点があり、従って現代の教科書では「非形式論理学」ではなくrクリティカル・シンキング」の名を冠する方が多数派となっている。といっても、もちろん非形式論理学が教科書の領域から消滅したわけではなく、クリティカル・シンキングの重要な一要素として存続しているのである 非形式論理学の現在と将来 Johnsonらは総括として、非形式論理学は近年独自の学問領域として発展し、若々しい時期にあるが、理論的にはまだまだ不十分であると指摘していた。そして、この研究領域の発展のために、先行研究の理解を進めること、その本性や要素そしてそのカバーする範囲などを明確にすること、取り組むべき諸問題のリストをつくること、雑誌を発行し現論と実践のギャップを埋める必要性を認識すること、を提案した。 Johnsonらのサーベイの後すでに20年以上が経ち、現在、非形式論理学は独立的な研究領域としてというよりもむしろ、クリティカル・シンキングにおける重要な研究領域として発展を続けているように見える。非形式論理学の扱う問題は、クリティカル・シンキングにおける一般的な原則や方法を導く上で、何らかの解決が要求される問題である。従って今後も、クリティカル・シンキングは非形式論理学に研究課題を供給し、また非形式論理学はその研究成果をクリティカル・シンキングに与え、両者は一体となって発展しつづけていくであろう。 <<< とあり、歴史的な変遷から、「クリティカル・シンキング」(批判的思考)にて扱われているようですね。