- 締切済み
巴御前について
巴御前は木曽義仲の愛妾っていうのはわかってるんですが どうして愛妾しかできなかったんでしょうかね。 なんかその時代の結婚ルールとかあるんじゃないかと思うんですが、、 特別な理由がありますか?
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
木曽義仲の妻に関しては諸説あり、1番の方が回答されてる「伊子」という説以外に「山吹姫」という女性が嫡男義高の母親として知られております。 素性は巴の親類とか言われてますが、これもはっきりしません。 この時代は地方の豪族の力が強く、ステータスとして貴人との縁組を望んでいました。 源頼朝や木曽義仲も「貴種」で、こうした方に娘を差し出して子供ができれば、それが将来の保険になります。 つまり源氏の世の中が来れば源氏の縁者として仲間内(地方豪族)で大きな顔が出来ますし、逆に平家にばれればこっそり逃がすか殺してしまう。 豪族にとっても保険ですから、情勢がはっきりしない内は正妻として娘を嫁がせるのは危険という警戒感もあると思います。 側室であれば娘が勝手にほれたとか言い訳できますが、正室となると一族が認めたとなるので、万一の場合一緒に滅んでしまいますから。 話しを戻すと、義仲は木曽近辺の貴種であり、平家に不満をもつ豪族たちが彼を神輿にして京都に押し寄せる、その中でも主導権を握るために娘を差し出したのが巴であり山吹姫であると考えます。 義仲は敗れてしまいますから、木曽の豪族たちも彼との関係を曖昧にしたい、ということで彼の妻がはっきりしないと考えます。
- milky-moon
- ベストアンサー率32% (82/249)
木曽義仲には正妻がいました。 多分ですが、伊子という女性です。 関白藤原基房の娘です。 当時藤原家は平家に圧迫されていたそうです。 清盛は基房を関白から解任し、後白河法皇を幽閉しました。 挙兵した以仁王は戦死するが、 呼応した木曽義仲が平家を打ち破りました。 そして平家の都落ちの後、木曽義仲の正妻となりました。 頼朝の軍が攻めてきた時、さっさと逃げれば良いものを 「この伊子をどうしようか」とぐずぐずしていたそうです。 ちなみに巴と義仲は幼馴染だったそうですね。 昔は恋愛結婚は難しく(正妻にするなら)政略結婚の為に、好きでもない女性と結婚することは、身分高い人間にとってはごく普通のようです。 その為、多少身分低くても側室として妻とすることが多かったようですよ。 ご参考までに。