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木曽義仲は本当に狼藉を働きましたか?
歴史の時間に、木曽義仲は田舎者だったので京都で狼藉を働きみんなから嫌われ、朝廷から追討令を出されたと習いました。 しかし日本の歴史上そんなばかげたことで追われた征服者はいません。 組織的なひどい略奪行為をしたのでしょうか? それとも後世のこじつけでしょうか? また木曽義仲という人物はどういう人柄だったのでしょうか? 暴れん坊のイメージがありますが。 よろしくお願いします。
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木曽義仲は敗者のがわですからどうしても分が悪く、悪役にされてしまうことなりますが、配下の兵士たちが略奪や乱暴狼藉を働いたのは間違いないでしょう。 ただ、これは木曽義仲だけではなく地方から都に来た部隊はよほど準備ができていて統制が取れていないと略奪や乱暴狼藉を働くのはあたりまえでした。 特に木曽義仲の部隊は彼の直接の支配下にある部隊はごくわずかで、あとは勝ち戦に乗じて一旗あげようと参加してきた者たちだったので統制も取れず、もちろん補給もなく略奪せざるを得ませんでした。 このため、一度負けてしまうとあっというまに部隊も崩壊してしまったのです。 追討令は、木曽義仲が政治家としては未熟で、狐と狸のばかしあいがわからず、後白河法皇にうまく利用されて、他に利用できる人間ができた(頼朝)ということでもういらないと捨てられたということですね。
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- shigotohima
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狼藉は事実と思います。ただし軍隊の都会での狼藉は古今東西どこでもあることですから義仲軍が特別だったとは思えません。 義仲軍の狼藉がクローズアップされるのは 1)田舎者で貴族社会のマナーを知らなかった 2)義仲追討を正当化するため誇張された 3)義仲軍が短期間で壊滅したので後日の抗弁ができなかった 4)平氏、頼朝、後白河のすべてを敵にしたため彼らにとっても義仲が悪役であることが都合がよかった ことによると思います。(2)は現代の戦争でも共通して見られる現象ですね。堺屋太一の「鬼と人と」に義仲の軍隊と信長の軍隊の相違が簡単に述べられています。