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仮定法のas ifについて

小さい質問ですけど、気になったので。 1、I felt as if I were condemned for my idleness. 2、Her frilly dress made her look as if she had come to a children's party. 1の文の「責められているように感じた」の「責められて」いるのって過去ですよね。 過去の事実の反対を表しているのに、なぜ現在の事実の反対を表す仮定法過去 が使われているのですか? 2の文ではhad been condemnedになってるのに。 どこが違うんでしょうか。

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  • hirosh
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回答No.7

No.6の補足に質問者さんが書かれていることについて、 私は文脈に頼りますね。 日本語の「(ら)れる」が可能・尊敬・受身・自発のどの意味になるかを考える際に文脈に頼る部分が多いのとよく似ているのではないかと思います。 ちなみに、受験時代に考えたことですが、 古文で習う反実仮想と英語の仮定法には意味だけでなく構文的にも似ている部分がありそうで面白く感じていました。 「夢と知りせば覚めざらましを」など、 「せ+ば」+「まし」 「せ」は「過去」の助動詞、「ば」はif、「まし」は助動詞would っぽいと感じるのですが、私だけの妄想でしょうかね?

eigosan
質問者

お礼

丁寧な回答ありがとうございました。 古文はサッパリ分からないですけど、 似たようなもんなのかもしれないっすね。 シミラーっすね。

その他の回答 (6)

  • hirosh
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回答No.6

しまった。以下の部分に対する返答が抜けていましたね。 >これってつまり、帰結節に「would(助動詞の過去)」があれば仮定法過去、そうでなければ直接法、 ってな風に思ってていいんですかね? という風には決められないと思います。私の判断の根拠は、I wish やI felt の部分の「現実性」です。 つまり、願うとか感じた「内容」自体は反現実ではあるが、願うとか感じたという「動作」自体は現実に行われているといことです。ですから、 I would feel uneasy if you were not here with me. の文の場合は違ってて、「(現実にuneasyに感じたりはしないが)もし仮にあなたが居ないなんて反現実が起こったらuneasyに感じるという反現実が起こってしまうよ。」 ということになって、文の前半後半ともに仮定法だと判断するに至るわけです。

eigosan
質問者

補足

たとえば I would go swimming in the river. っていう文は二通り、"仮定法過去"か、"過去の習慣"かのどっちか に解釈できるわけですよね。 「よく河へ泳ぎに行ったものだ」(文末にof my youthかなにかが省略されてると考える) 「(今頃)河へ泳ぎに行っているだろうに」(文末にnowかなにか省略と考える) まぁこの文だけだったらフツーは過去の習慣だと判断できますけど、 考え方としては形の上では一応二通り考えられるわけじゃないですか。 これを"反実仮想"なのか"習慣"なのか判断するには、 つまりhiroshさんの言葉でいえば「現実性」を検討する際には、 結局は前後の文脈で判断するしかない、ということでよろしいでしょうか。

  • hirosh
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回答No.5

>I wish you were here with me. のI wishも直接法ということで… いいと思いますよ。 >I would feel uneasy if you were not here with me.はI would feen uneasyも含めた全てが仮定法過去… ってことです。 >これってつまり、帰結節に「would(助動詞の過去)」があれば仮定法過去、そうでなければ直接法、 ってな風に思ってていいんですかね? >そう考えるとwould+過去完了の Anyone would have thought that. っていう条件節のない文に関して、 これはwouldという助動詞の文と考えるよりは、 条件節がないけど仮定法の文!って解釈すると一本に考えがまとまるのでそうしたいところなのですが、そう解釈してしまって構いませんか? 私は「時制の一致」などによる「過去から見た相対的な未来のwould(因みにもちろんwillは現在以降から見た未来)」以外は、大半が何らかの仮定法だと考えて良いと思います。  >でも仮定だと「それはだれもが考えたろうに」 これはほぼいいと思いますが、 >過去への推量の助動詞としてだと「それは誰もが考えたことだろう」ってちょっと違ってきますよね。 「 」内の日本語の内容の差が私にはほとんど感じられないのはまあ仕方ないとして、wouldは「過去から見た相対的な未来への推量」ではあると思いますが、「過去への推量」というのは記憶にないのですが…。 すみません。私の勉強不足かもしれませんが。

  • ohboy729
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回答No.4

過去完了という時制は過去形の一部として文法上は位置づけられます。ですから過去完了の部分に過去形が代わりに入っていてもまたその逆でもそれほど問題ではないようです。例えば I finished my homework when he came to my house.という文はこれでもいいのですが時間の前後関係をはっきりさせる方が良いでしょうから I had finished my homework when he came to my house .となりますね。でも仮定法ではその実現性のなさや動詞の種類などとは関係なくそして時間の前後関係に主眼が置かれないために不安定になります。ですから She looked as if she had seen a ghost . ( 彼女はまるで幽霊でも見たかのような顔をしていた。)のように仮定法の原則に従っているものもあれば、 I wished I were a bird .= I wished I had been a bird .やI felt as if I were condemned for my idleness.のようにあれっと思うようなこともあるのでしょう。ですから過去形の枠を広げてやって下さい。

  • hirosh
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回答No.3

1について、まず 前半のI feltまでは、直説法 as if~は仮定法 です。 そして、as if ~内の仮定法の時制の決定は原則として、次のようになると、参考書などに書いてあります。 主節の動詞と「同時」の内容なら→「仮定法過去」 主節の動詞より「前の時」なら→「仮定法過去完了」 ここでの場合、「感じた」時点と「責められている」時点は「同時」なので、「仮定法過去」を使うことになると思います。 例えば仮に、「あの時は責められてたよなぁ」と以前のことを振り返って思い出しながら、「感じた」場合なら、「仮定法過去完了」になるということではないでしょうか。 確かに、一般の文(つまり前半後半ともに直説法の文)では、いわゆる「時制の一致」の考え方から、おっしゃるような類推が働くと思います。しかし、一般の参考書でも仮定法は「時制の一致の例外」として紹介されていることが多いはずですのでご注意ください。 2について、 やはり、前半と後半では「法」が違うのは同じです。 しかし、このhad come は「仮定法過去完了」なのではなく、「結果の完了形」の「仮定法過去」なのだと思われます。 ({現在形なら過去形、過去形なら過去完了形} のパターンではなく、  {現在形なら過去形、現在完了形なら過去完了形} のパターンなのです。… というふうに表現した方がよいのか?) 別の説明方法 仮定法は「反実仮想」ですので、肯定を否定に、否定を肯定に「直す」ことで、直説法のような内容に「戻す」ことができそうです。 従って、 1の文なら、実際には「責められていたわけではない」のかもしれないが、まるでそうであるかのように「その場」では「感じた」のですから時制の比較としては「同時」です。 2の文なら、実際には「子供のパーティに来てるわけではない」のかもしれないが、「その場」では彼女の服装がそう見えるように「させてた」のですから、時制の比較としてはやはり「同時」なのです。 最後から2行目に書かれているのは??? had been condemned になっている文とは違う文を 載せてしまったのでしょうか? 本当は数直線でも描いて、図解したいところですが、文字での説明力に限界を感じますねぇ。分かり難かったら追加質問ください。

eigosan
質問者

補足

よく分かりました。as ifの前までは直接法なんですね。 ということは、 I wish you were here with me. のI wishも直接法ということでいいんでしょうか。たぶんいいんだと思いますけど・・・。 えーと、それで、例えば1の文を I would feel uneasy if you were not here with me. とやれば、これはI would feen uneasyも含めた 全てが仮定法過去、ってことですよね。 これってつまり、帰結節に「would(助動詞の過去)」 があれば仮定法過去、そうでなければ直接法、 ってな風に思ってていいんですかね? そう考えるとwould+過去完了の Anyone would have thought that. っていう条件節のない文に関して、 これはwouldという助動詞の文と考えるよりは、 条件節がないけど仮定法の文!って解釈すると一本に考えがまとまるので そうしたいところなのですが、そう解釈してしまって構いませんか? でも仮定だと「それはだれもが考えたろうに」 過去への推量の助動詞としてだと「それは誰もが考えたことだろう」 ってちょっと違ってきますよね。でもこのくらいはおんなじだと考えて問題ないですか?

  • TonyB
  • ベストアンサー率55% (179/323)
回答No.2

I felt that I were condemned for my idleness.は、 I felt that I was condemned for my idleness.の間違いです。

  • TonyB
  • ベストアンサー率55% (179/323)
回答No.1

こんにちは 仮定法のときは、そもそも通常の場合の時制の感覚とはずれるので、 I felt that I were condemned for my idleness. のように時制の一致を受けて、that以下が過去形になるのとは意味合いが違っています。 私はものすごくシンプルに理解しています。 仮定法過去=話している(主節の時制の)時点での仮定。つまり(そのときに)もし~ならば。 仮定法過去完了=話している(主節の時制の)時点から過去を振り返っての仮定。つまり(そのときに、さらに過去を振り返って)もし~だったならば。 というわけで、 1.は、as if I were…(仮定法過去)なので、I feltの時点での仮定、つまり「そのとき(実際はそうではないのに)あたかも…のように感じた。」となります。 2.は、as if she had come…(仮定法過去完了)なので、Her frilly dress madeの時点からさらに過去の時点を振り返っての仮定、つまり「彼女のドレスは、彼女を、(実際はそうではなかったが)子供のパーティに来てしまった、そのように見せた。」 仮定法は混乱しやすいので、疑問は納得するまで考えましょう。

eigosan
質問者

お礼

お世話になってます。 なるほど。これ分かりやすくていいなー。 仮定法には仮定法の時間が流れてると考えれば、 迷わずにすみますね。

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