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こっちへおいで そっちに行く
人と話していて「こっち(日本)においで」を"come over here" 「そっち(アメリカ)に行く」を"come over there"と言いました。 言いたいことは伝わったと思いますが、普通はどう言いますか? そういえば"come here"や"go there"という言い方もあるのに、何も考えずに上記のように言ったのですが"over"が入ると入らないとではどう違うでしょうか。 Bush氏のディベートでyardだったかの奥さんとの出会いを語っていた時に"come over here"と言っていた記憶があります。
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Gです。 kochoryさんのお考えはもっともですし、ただしいです。 そして、それが間違いだとも同意したくないとも思っていません。 ただ、runbiniさんや他の人たちがこの単語の使い方に苦労している、混乱している、人が多いと感じていますので、こう言う説明の仕方をしたのです、 「訪問する」という言い方自体も混乱をきたす可能性があるとも思います。 でも、こう言う説明をしたら分かり易いかな、と言う考えで書いたわけです。 日本語で「たまには遊びに来てよ」と言う表現がありますね。 これは、文字通り「私の家にきてゲームしようよ」という「遊び」とは違いますね。 そのレベルの「訪問」であり「遊びに来てよ」なんです。 ですから、日本にいるアメリカ人がそこにいる日本人に、アメリカっていいぜ、行ってみろよ、という第三者的なものになっているのであれば、US is fun, you should go there.という表現をするのと、you should visit there.と言ってもおかしくありませんね。 しかし、あと少しでアメリカに帰る人であれば、You should come over.と言う表現になるわけです。 そして、kochoryさんがおっしゃっている、「すでにそこにいる」という視点の位置の考えが生きてくるわけですね。 そして、You should comeと言えば、単に、来いよ、と言っているわけです。 だからこそ、You shold come and visit us.と言う表現が成り立つわけで、 そして、 You should go.であれば、行けよ、と言う事になり、You should go over.であれば「行ってみろよ」と言う違いが出てくるわけですね。 また、「Bush氏のディベートでyardだったかの奥さんとの出会いを語っていた時に"come over here"と言っていた記憶があります。」の使い方が違うのはcome over+hereではなく、come + over hereという表現をしていると「解釈」すると分かり易いかと思います。 つまり、come hereの代わりに、hereを強調した、ここに、ではなく、ここにここだよ、と言うフィーリングが入っていると考えるとわかり易いと感じる人もいると私は思うのです。 ですから待ち会うことになっていて、後から来た人がうろうろ探しているときに前からきていた人が先に見つけ、I'm here! (I'm)Over here.と言う表現をよく使いますが、この辺の解釈もできるわけですね。 でも、よく考えるとcomeとgoの違いを日本語でも「視点から考える解釈」をやっているのです。 ハチ公(渋谷の)の前で待っているから来いよI will be waiting for you at Hachikoh, so come.と言う言い方ですね。「俺はそこにはいないけど行けよ」I will not be there, but go there.という言い方の違いですね。 行く人の「視点」で話しているわけです。 つまり、日本語の「来いよ」も英語のcomeも同じ使い方をしている、と言うことです。 そして、よく考えると、行く人・言っている人の視点でと言っても、ちょっと待って、言う人って、はじめに言った人、それともこれから言う人?となりますね。 そこに混乱のもとがあるのではないかと思います。 しかし、また、説明の視点を変えて、comeは一緒になる、と言うフィーリングがある、と考えれば、そこにいるから来いよ、そうすれば一緒になれる、(だからcome)そして、そこにはいないけど行けよ、そうすれば一緒になれない(だからgo)と考えると行く/来るの説明を外人さんにできるのではないでしょうか。 つまり、そう考えればcome/goの説明を日本人にできるのではないか。と思うのです。 言葉の使い方の違いを示す事によりな納得がいけるものがありそれを説明の方法とすることによって覚え易い、理解しやすい、と言うことがあります。 しかし、このように日本語でもしているのに、英語になると日本語の使用方法を無視しているときが覆い様に思われます。 「英語」と言うと何か宇宙人が使っているものかのような説明をしているときがあると私は感じる時があります。 しかし、同じ人間のすることだから結構日本語でもやっていると言う事がたくさんあるわけです。 日本語を見る目が違ってきている私なのかもしれません。 私は常に聞こうとしている人がどれだけ知っているかを考え、どこか誤解や「先入観」が理解しにくくしているのではないかを考える事によって、「じゃあ、こう考えたら分かり易いのでは」と言う説明方法をよく使います。 私はこう言う考えを持っている、と言う自己主張をするときと、このように一般的ではないかもしれない違う解釈の存在を示して英語学の知識ではなく(参考書の言葉をそのまま使って説明の方法とするのではなく)つかえるようになってもらうにはどうしたらいいかを前提にして説明するときを分けて回答するようにしています。 私の言っている事が「正しい、正しくない」ではなく、「あぁ、そうなんだ」「なるほど、そう言う解釈をすれば問題点が理解できる」となってもらいたいのです。 ですから、ひとつの観念になれている(そしてそれで十分理解してい)人にとっては私の説明のしかたに不満を持つ人は必ずいると考えています。 だから、kochoryさんの「反論」は当然だと感じますが、kochoryさんの「反論」の仕方は全く私にとって気を悪くする物ではないと感じこのサイトが許す限りこのような「議論」は結局質問者さんのためになっているはずだと思うわけです。 (しかし、そうでない「反論」の仕方をする人には結局質問者さんだけでなく他の回答者さんでも気を悪くさせてしまうことになり、非常識な人もいるもんだ、と感じてしまいます。) runbiniさん、もうひとつ最近一回だけ紹介したのですが、answers.comも上手く使えば使えるサイトです。 onelook.comの中にあるEncartaはさすが後発辞典であるため時代にあった説明をしているように思えますし、説明がわかり所があります。 トライしてみてください。もっと私も辞書を使うようにすればいいのですが、何分にも、、、、 グーの国語辞典はよく使わせてもらっています。 また長くなり自己主張を混ぜて説明させてもらいました。
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- Natsuji
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本当に「GO」「COME」は日本語で考えるとややこしいですよね。WEBの翻訳ソフトなんかでもちゃんと訳されませんよね。 お母さんが「Come Here.」と子供を呼んだら、日本語なら 「行くよ」だけど、英語ですと「I Am Coming」ですもんね。 つまり話し手を基準に考えてるんですね英語は。だから、あなたのオフィスへ行きたい は、翻訳ソフトだと 「I want to go to your office.」だけど、実際は「I want to come to your office.」ですもんね。 OVERは、何だか空間を飛び越えるみたいなイメージを付ける場合によく登場しますね。人だけじゃなくて、物の場合も使います。FAXなんて特にそう。Fax Over ってそろそろ辞書に準動詞で載るのでは?と思うくらい皆使ってますね。 あと、Here とか There は、Right という語ともくっつきますよね。「ちょうどここ」「ちょうどそこ」みたいな場合なんかにね。空港の集団乗合駐車場バスなんかで、自分の車を探してて、見つかった時なんか思わず「Right Here!」と叫んじゃいますね。 まるで、余談ばかりでしたね… すいません。
お礼
> 「行くよ」だけど、英語ですと「I Am Coming」ですもんね。 言いますよね。でもややこしいです。まだ頭の中が整頓できません。なのでオフィスへ行きたいは今の私なら"I want to be there."と言ってしまいます。Fax Over、聞いたことあります。余談なんかじゃないですよ!ためになりました。
補足
今回のように詳しい説明を求めている質問でも、「ああも言うね、こうも聞くね」という実例はありがたいです。これからも宜しくお願いします。Natsujiさんの回答をお待ちしています。
- kochory
- ベストアンサー率45% (167/370)
#1です。 なるほど、電話ではなかったのですね。 アメリカを「そっち」と言っていたので、相手の人は アメリカにいるのかと思ってしまいましたw 目の前にいて話している場合でも#4の内容はそのまま 通用します。 話し手・聞き手が両方とも終着点にいない場合でも、 話し手の視点が終着点にあればcomeを使います。 例えば、Aさんがパーティを企画していて、Bさんをそれに 誘うような場合、 "Would you come to our party?" と聞いたりするわけです。 この場合AさんBさん共にパーティ会場にいない場合でも comeを使って誘うわけですが、これはAさんの気持ちが すでにパーティにあって、その視点からパーティに来るように 誘っているからそうなるわけです。 これに対するBさんの答えは"Yes, I'll come."などと なりますが、これは前述のとおり、Aさんの視点に合わせて いるからcomeになるわけです。 さて、come overは「訪問する」の意味だからoverの意味を 取り立てて考えることはないという#6さんのご意見ですが、 私はこれにはちょっと賛成できません。 overを分けて考えると英語のフィーリングがわからないと おっしゃってますが、私の考えはまったく逆で、 「come over=訪問する」などと熟語のように覚えてしまい、 それぞれの単語のニュアンスを無視してしまうというのは それこそ受験英語の考え方であって、生きた英語とは 程遠いものだと思います。 そうではなく、come overがどうして「訪問する」の意味を 持つようになったのかというところを、comeとoverそれぞれの 持つ意味やニュアンスから理解してこそ、英語のフィーリングが 掴めたと言えるのではないかと思います。 私の解釈は、#4の最後に書いたように、距離や障害の あるなしにかかわらずoverを使うことで丁寧な表現に なっている、つまり、たいした距離でなくてもoverを 使うことで、「わざわざ来てくれた」という形で来訪者に 対する敬意を表す表現になっており、それが単なる come(来る)とcome over(訪問してくる)との意味要素的な 違いだという考えです。
お礼
onelookで"come over"で調べることができました。この使い方を知りませんでした。ざっと"communicate the intended meaning or impression"と書いてありましたが、例えばMerriam-Webster Online Dictionaryには"1 a : to change from one side (as of a controversy) to the other b : to visit casually : DROP IN <come over whenever you like> 2 British : BECOME" と書いてあって今回は1-bの意味ですね。 onelookの解説を調べるためのもっと易しい英英辞典があったらいいんですけれど。
補足
は~。overという一つの単語に意味があるというわけですね。 onelookで見たら adverb: at or to a point across intervening space etc. (Example: "Come over and see us some time") と書いてありました。 この事ですね。この説明は日本語にするとどう言っているのでしょうか。うまい訳が考えられません。
- Ganbatteruyo
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Gです. runbiniさん、こんにちは! come overという表現を単なるcome とoverをつなげてoverの意味を出そうとすると使われている英語のフィr-印愚が分からなくなります。 確かに、低い塀などの向こうにいる人に向かってcome overと言う言い方をすれば確かに「物理的或いは空間的・精神的/病的障害を乗り越えてくる・いく」という意味で使うひとつの例です。 しかし、友達と話していて、Hey Jack, why don't you come over now?と言って、こっちへ来ないか?と訳せるでしょう。 しかしそうすると「じゃこのoverはなんなの?」となるわけです。 このようなcome overには「訪問する」と言うフィーリングがたくさん含んでいます。 そう言う意味と言ってもいいかもしれません。 ですから、Can I come over now?と言えば、「今から行ってもいい?」すなわち「今から訪問してもいい?」と言う意味で使われているわけです。 Why don't you come over now?も同じことで、「今から来ないか?」すなわち「今から俺を訪問しないか」と聞いているわけです。 しかし日本ではあたかもcome とoverを分けて理解し、comeと言う相手の視点を元にしているからこの場合comeと言う動詞を使わないといけない、といってしまうわけです。 私にとっては非常に混乱きわまる説明の仕方となるわけです。 ですから言ってみればこのcome overを熟語として使われると言う事を理解すれば問題なく理解ができるわけです。 アメリカにこいよcome over hereはここ(私を)を訪問しろよ、と言うことになり、同意するのであれば、「よし分かった、訪問するよ」と言う事になり、Ok, I will come over there soon, I hope.と言う言い方になるわけです。 Visit me here,と言われて、OK, I will visit you soonと言って、visitと言う単語が変わっていないのと同じだと言う事です。 となりに住んでいる人にCome over for some cookies I made.と言えば、クッキーを作ったから来ない(訪問してよ)と言う事になるわけです、 この訪問と言う単語には「来て/行って楽しむ」と言うフィーリングが入っていますね。 ですから、come hereと言う単なる「ここに来い」と言うフィーリングとは別な物になるわけです。 come over and have a cookie or two.と言う表現には「障害物」になるものも考えていっているわけではない、と言うことにもなります。 ですから、隣の家との間に簡単な塀や柵があってそれを乗り越えて「訪問」しろよ、と言う時にJust hop over the fence and come overと言う表現を使います。 始めのoverには障害物を越えてというフィーリングのoverであるし、後のにはない、と言う言い方になるわけですね。 お分かりでしょうか。 今まで学校や他のところで教えられてきたcomeとgoの違いなどとは全く違う解釈ですので、その先入観から私の言っている事が理解しにくい人もいると思います。 しかし、この「訪問する」と言うフィーリングを元にするとかなりすっきりした理解ができると思います。 I have to see a doctor to check on my stomach.と言うようなseeの理解に苦しむ人がいると同じようなことだと思います。 なぜmeetと違うの?と言う事になるわけです。 ちなみにこのseeはgo to doctorと冠詞無しの熟語と同じ意味で使われます。 この二つの件はこのカテで何度か説明させてもらった事があります。 come overが訪問だからこそI will go overといかにも相手のところではなく他の所に行くフィーリングが出てしまう言い方はあまりしないわけですね。 しかし、単なる「来い」という意味でCome to the Jack's office now.と言われて行くならOK, I go there in 2 minutes と言ってGoを使っても違和感がないわけですね。 言ってみれば、go overには第3者的な場所を訪問する、と言う意味あいもでてくるわけです。 ですから、誰かが入院したので「訪問する」と言うのにvisitはもちろん使うわけですが、go over thereとかもっと直接的な表現でstop by and see him thereと言う表現でも同じようなフィ-リングが出るということになります。 なお、訪問と言う単語を使いましたが、単にそれ以外の日本語が出てこないからであって、堅苦しい意味あいではなく、気軽なフィーリングでの訪問です。 visit では堅苦しい間柄の表現になるからcome overと言う表現が使われると言う事になるわけですね。 もうrunbiniさんにはお分かりだと思いますが、come overが気軽な訪問と言う意味があるから使うのではなく、そのフィーリングがあるときに使うからそう意味あいがある、と言うことになるわけですね。 使われている英語と言う事になります。 では、今からお風呂に入って(そしてでてから)寝ます。 外はもうとっくに明るくなっています。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
お礼
その過去ログを読んでいたのでお風呂のくだりは爆笑でした。 知ってみればなーんだと思えます。"come over"は何かするために行くという気持ちがあるのではないかと感じていたのですが訪問するという意味だったのですね。英語が難しいのはこういうところです。よく友人のBさんに言われるのは"難しい言い方を知っているかと思えばどうしてこんな簡単な英語がわからないんだ!"です。私は"○○も△△も知ってるけど○○△△ってどういう意味か知らない"と言うと気が済むまで言い換えてくれます。それから私は、なんとなくわかったようなわからないような、日本語できちんと説明ができなくて使っている言葉が結構あります。でも大概は間違った使い方をしていないところを見ると、言葉はフィーリングが先で文法や和訳は後からついて来るということなんですね。遅くに(というか明け方に)ありがとうございました。ゆっくりお疲れを癒してください。
- hakkoichiu
- ベストアンサー率21% (250/1139)
日本にいる人と話していて、「アメリカにいる友達のところへ行く]を"come over there"と言った。 話し手 :- 質問者さん 話している相手 :- 日本にいる人 話題の第三者 :- アメリカにいる話し手の友人 日本にいる話し相手に”come over there ”と言ったのですね。 それならthereで良いと思います。 質問文の意味を早とちりして私が誤解していました。 混乱を招いてどうもすみませんでした。
お礼
そうですその位置関係で言った言葉です! 話題の第三者 :- アメリカにいる「私の」友人 質問が下手ですみません。
- kochory
- ベストアンサー率45% (167/370)
#1です。 いろいろ状況が詳しくわかってきたので補足してみます。 おそらく、電話の相手が "アメリカに友達がいるの?じゃあ行きたいでしょ" と言ったとき、「行く」の部分をcomeで言ったので、 それにつられてあなたもcomeを使ったということでは ないかと想像します。 この場合、このcomeは完全に自然な表現です。 つまり、相手がcomeを使っている視点にあなたも立って、 その視点から日本→アメリカの移動を捉えているという ことになります。 (もちろんgoを使ってもおかしくありません。相手の視点に 立つか、別の視点に立つかの違いです。ただ、会話においては、 お互いの視点を一致させておいたほうが会話がスムーズに 進むということはあるかもしれません。) あとoverについてですが、どれくらいの距離を障害と 思うかというのは状況や立場によっていくらでも変わって きますので、1000kmならoverだけど200mならoverじゃない などというふうに決めることはできませんし、#2さんの おっしゃるとおり、短い距離であえてoverを使うことで 丁寧な表現にすることもできるわけです。
お礼
kochoryさんごめんなさい。日本にいて目の前のアメリカ人Aさんと話していたんです。そしてAさんが"come"と言ったか"go"と言ったか、今となっては思い出せないんです。私の友達Bさんはアメリカに住んでいます。 > 会話においては、 お互いの視点を一致させておいたほうが会話がスムーズに 進むということはあるかもしれません。 なるほど!それからoverについての説明もわかりました。丁寧さレベルの比較では、日本語で「おいで」と「いらっしゃい」の違いとちょっと似ているかなあと思います。
- hakkoichiu
- ベストアンサー率21% (250/1139)
3)"to go there" 私の表現が稚拙で誤解されたようです。 「話し手のいる場所でもない、相手のいる場所でもない、「「第三の場所」」に行くような感じに聞こえる。」と言いたかったのです。 誤解を招いてごめんなさい。
補足
具体的に詰めて行くと、日本でアメリカ人と話していた私は"(友達の住んでいるアメリカに)行く"と言いたい時には"go there"でもいいし、相手もアメリカ人なので州は違っても同じアメリカなので"come over there"でもいいということでしょうか。理解力が乏しいのですみません。
- hakkoichiu
- ベストアンサー率21% (250/1139)
1)一つ目の文、良いと思います。 2)ニつ目、個人的考えですが、私なら "I'll come.", "I'll coming."と言います。 3)"go there" :- 話し手のいる場所、相手のいる場所以外の第三の場所に行くような気がします。 4)overが入ると丁寧、柔らかく感じます。 間違っていたらごめんなさい。
お礼
2)と3)"アメリカに友達がいるの?じゃあ行きたいでしょ"と言われて"もちろん。行くつもりです"と言ったのですが、"go there"の方が良かったということですね。 4)丁寧でやわらかく感じるんですね。そうなんですか。じゃあ、chatなどで"ポッキー食べてる" "僕の分は?" "じゃあおいでよ"という時は"come here"ですね。
- kochory
- ベストアンサー率45% (167/370)
overを入れることで「何らかの障害を乗り越えて」という ニュアンスが出てきます。 アメリカと日本の間には長~い距離がありますので、 それを越えてはるばる行く/来るということを表すのに come overは適しているわけです。 comeとgoの違いは、話し手の立場(視点)がどこに あるかの違いですね。 例えば日本にいるあなたがアメリカにいる友人に "come over there"と言ったとしたら、終着点であるアメリカからの 視点で日本→アメリカの移動を捉えているのであり、 "go over there"と言ったとしたら、日本からの視点で 同じ移動を捉えているわけです。
お礼
なるほど!視点の差というわけですね。ということはgoでもcomeでもどっちでもいいという事ですね。 Bushさんが「こっちにおいでよ」と言われたのはyardに障害があったわけではなく、遠くもなかったと思われるのですが、そんな雰囲気で言われたんでしょうか。
お礼
この質問で、理解へのプロセスをとてもいい形で体験させていただいています。回答者のどなたも私や他の回答者さんの能力や人格を否定せず主義主張を押し付けず、全員が質問者のためを思って回答してくださっていることがよく伝わってきます。 come + over here→I'm here! (I'm)Over here.なるほど! 先日、日本語を勉強しているアメリカ人に "「aaaはbbbさんと けっこんを かんがえているの? What does it mean?"」と聞かれ、"かんがえる+て=かんがえて て form"と説明したんですが、「いる」を説明する前に思い直して 「かんがえている」とはどういう状況かを説明したほうがいいと判断しました。日本語に直したらこの場合「そのつもりでいる/予定に入れている」ということですよね。毎度Ganbatteruyoさんは質問者をよく見てくださってると感じます。 学校で習った文法を私は否定しません。文法は便利ですから。しかし人間の作った法則はすべてに当てはまるわけではないので、範囲が広がるごとに法則の方を修正する必要があります。高校数学ではこれでOKだが大学に行くと・・・等。その時々の理解度に合った法則であればサンタクロース存在説や赤ちゃんコウノトリ説もいいと思っています。また、言語には人間が持っているフィーリングを表すという基本もありますよね。「変化してゆくもの」「絶対的なもの」を押さえた理解の仕方をして行きたいです。 ご紹介のanswers.comは私に合っていると思います。いつもありがとうございます。長くなってすみません(サイト管理者の方々にも)。
補足
> しかし、また、説明の視点を変えて、comeは一緒になる、と言うフィーリングがある、 これも納得できます。