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「知識」と「受け売り」
いつもお世話になっております。 カテゴリーに悩んだのですが、何処にカテゴライズすべきか分らないので、こちらにさせていただきました。間違っていたら申し訳ございません。 最近、ふと思うのですが、本などを読んで得た知識は、どのあたりから「自分の知識」となるのでしょうか。 私自身は知識欲が旺盛なようで、とにかく雑々と様々書籍を読み漁ったり、様々な分野の色んな研究発表のサイトを拝読したりしています。そうして得た知識を、(皆様もそうでしょうが)自分なりに分析してまとめ、清濁・真贋併せ呑んで自分なりに結論を導き出して、それを自分の中の「引き出し」にカテゴライズして、必要な時にそれを披露したり生かしたりする訳です。 でも、そんな時にふと、「これは私の知識ではなく、○○と言う研究者の××と言う理論や、△△の著書を読んで得たものだから、これは自分の経験で得た私の知識では無いのだから、何処まで行っても○○や△△の研究の『受け売り』な訳訳ではないのか?」と思ったりしてしまうのですが・・・ こうして得た知識は、「自分の知識」として考えてはいけないのでしょうか?一体どの時点で、「誰かの受け売り」ではなくなるのでしょうか?すっごくくだらなくて、もしかして考えるに値しない問題かもしれませんが、考え出すと止まらない上に、考えがループするばかりでまとまらないので・・・皆さんのお考えを拝聴できればありがたいです。 お暇な時にでも・・・宜しくお願い申し上げます。
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> ふと思うのですが、本などを読んで得た知識は、どのあたりから「自分の知識」となるのでしょうか。 ご自身が知識を「記憶」した時点で、その「知識」は、「即あなたの自身のものになった」と考えてそれで良いと思いますよ。 他の例としては、それをPCのハードディスクに「記録」したとすれば、その「情報」は、PCのものになったと言えますね。 > そうして得た知識を、(略)自分なりに分析してまとめ、(略)自分なりに結論を導き出し 自分自身で考え出した、【 オリジナルなアイデアや考え方 】が、世の中の問題の解決に少しでも役立つものなら、それらの 公表は、おおいに歓迎される行為と言えるのでしょう。 それらを法的に体系化したものが、「特許、意匠、著作権」などの権利と言うになります。 > 一体どの時点で、「誰かの受け売り」ではなくなるのでしょうか? 自分自身で考え出した【 オリジナルなアイデアや考え方 】以外は、全て【 受け売り的な知識情報 】と言えると思いますね。 ですので、『 どの時点で 』と言うような、時間的なものとは関係ないと言うことになります。 しかし他人に何かを聞かれた時に、自分が知っている知識を素直に述べて、「質問した人の悩みや問題」がそれで解決したら、 答えた人の解答内容が、例え【 受け売り的な知識情報 】で有ったとしても、その解答内容が< 自分に役立ったかどうか >で、 質問した人は、解答の価値を判断しますから、解答が『 誰かの受け売り 』かどうかなど、質問者は気にならないと思われます。 学校で学ぶ「体系だった学問」も、その昔「天才と呼ばれた人」の考え出した理論体系そのもので、その『 誰かの受け売り 』 とも言える知識で、日常の生活しているわけですから、どんな知識も、< 役立つことに変わりはない >と言えるのでしょう。 そもそも、知識は単に知識で有り、「受け売り」だとか「自分の知識」かなど、気にすること自体が変と言うことになりますね。 但し「プロの評論家」がコメントを求められた場合に、有りふれた、本に書かれているような【 受け売り的な知識情報 】しか、 常に話せないのだとすれば、そのコメンテーターとしての価値は、ほとんど評価されないと言うことになってしまうのでしょう。
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- osumitan
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陽明学に「知行合一」という言葉があります。 (私も哲学は詳しくないので、正確でないかもしれませんが) 話を聞いたり、本を読んだりして、知識として得た段階というのは、 「物事を知る」ということにおいて、完了ではなく、途中であって、 その知識を生かして何かを行うとき、はじめてその知識が 自分の身についたといえるのであって、知ることと行うことは ひとつのことであり、切り離して考えることはできない、 というような意味の言葉らしいです。 今のあなたにぴったりの言葉に思えたので、あげてみました。 あとは私の勝手な解釈ですが、たとえばいろいろなことを考えていて、 いい考えを思いついたとしても、それを実際に行動に移さなければ、 結局何も変わっていないし、何もないのと同じだ、と思えます。 自分もなかなかそういうことが実践できていないのですが、 気に入っている言葉ではあります。
お礼
ご回答有難うございました! 蓄えてばかりでは意味を持たず、生かして初めて意味を持つということですね。 今、ここで回答することも「生かす」事になるのでしょうか。 「知行合一」初めて知りました。深い言葉ですね。自分に当てはめてもなかなか実践出来ているとは思えず・・・しかし、私もそうありたいと感じる言葉です。有難うございました。
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補足
皆様、ご回答頂き有難うございました。 どうしても体調がすぐれず、パソコンに向かうのもしんどいので、ここでお礼とさせて頂く事を、何卒ご了承下さいませ。 皆様の様々なご意見、とても参考になりました。 何かと文章を書く事が多いので、そう言った時に『自分の引き出し』から『引用』する事も多いのですが、そう言ったときに読んだ方から「知識が豊富ですね」と言われる事に、「私の知識ではないのでは・・・」と、どこか違和感を持っていました。 しかし、自分で咀嚼をする事で、情報は私の血肉となるのだと確信を持つ事ができました。 本当に感謝いたします。 更に、何れの皆様にも共通する事は、「生かしてこその知識」なのですね 知識が自己満足の蓄積とならないよう、(ここで回答することも含めて)社会や自分の生活に還元できればよいと思います。 この度は本当に有難うございました。