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日本語の私と英語のIは同じ?
日本語では私は、とか私が、とか私の、とかあるいは私を、という様にいつも私という同じ単語が使われます.しかし英語だとmeとmyはなんとなく似ていますが,Iは全然違う単語の様に思います.カタカナ語のエゴイズムに相当する英語はミイイズムでアイイズムとは言わないらしいですが,どうなのでしょうか。
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◆「インドヨーロッパ語族」(めんどくさいので印欧語族と書きます)というものについて、kaitaradouさんもお聞きになったことがあるかと思います。 最終的に、語源的説明はその印欧語族の最古の形を推定することになります。でも、困ったことに、学説は必ずしも一致するわけではありません。 そこで最低限言えることといえば、 【 I と me の語源は、一応異なるらしい 】 ということだけです。 ◆ 主格の I は、印欧祖語では egom のような形に近かったと考えられています。 いっぽう、me は印欧祖語の時代から me 系でした。 I の祖先、egom はさらに分割が可能なので、現在私たちが使っている I (古英語時代は ic )やラテン語の ego、フランス語の je などの形は、おそらく、今は滅んだある単語の弱化した形であるらしい……という程度にしか、分かりません。 ◆一方、kaitaradouさんのご指摘のとおり、「 me と my 」のペアは、同系統ですね。 ただし、my というのは近代になって mine/min が弱まって出来たものです。 「ともだち讃歌」と俗称されるアメリカの歌がありますが(本来は賛美歌です)、その出だしを見てみると、 Mine eyes have seen the glory ... となっています(※現代なら My eyes have seen ... となるはず)。賛美歌の言葉は流行を取り入れない傾向があり、古い時代の英語が残りやすいのです。 ◆ところで、I と me/my のように、同じグループのはずなのに、語源が違う例は、他にもあるんですよ。見逃していませんか? たとえば: be 動詞……(be と am と is は全く別) go の活用…(go と went はもともと別単語) など、身近なものに多いです。 ◆「エゴイズム」という単語はちゃんとあります(egoism)が、意味が強すぎるんです。それはたとえば「自分が世の中で最高の存在だ」なんていう哲学をもっていたり、「うぬぼれが強い」という側面を強く暗示するからです。 「ミーイズム」は、同様の概念をもっと日常的な文脈で用いるために作られた、比較的新しい造語なのです。「自己本位の生活をする」とか「自己中心的」という程度の意味です。アメリカで作られたと考えられるこの「meism」は、世界最大の英語辞典(「オックスフォード英語辞典」全20巻……当然イギリスで作られています)にはまだ採用されていません。 ◆それでは、ご質問の最後の項目に入りましょうか。 「なんでアイイズムとはならないのか」 お答えする前に、英語の歴史の流れを見ると面白いことが分かります。そこには、 【よく使う確率が高いものほど、生き残る】 という原則があるのです。 たとえば、英語の定冠詞といえば the である、と私たちは信じて疑いませんよね? ところが古英語時代の定冠詞は、主格に se を使っており、the に似た形を使うのは、主格以外の場合に限られていました。 昔の英語には主格・属格・与格・対格・具格という5種類の格がありました(今は主格・所有格・目的格の3種類ですよね)。 ということは、単語の顔ともいうべき主格の se よりも、それ以外の the に似た形を使うことのほうが圧倒的に多いわけです。 しだいに se という形は存在感がなくなって the に飲み込まれてしまい、今では the が一人前の単語として歩いているわけです。 ◆こういう点を考慮に入れれば、「アイイズム」という語が生まれずに、「ミーイズム」が生まれたのも、同じ理由なのではないかと思われます。 I という形は、主格(主語)でしか使えません。 主語以外ならなんでも me とか my とかになりますよね。だから、me のほうが(傾向として)採用されやすいのでしょう。 ★おまけ★ 「わたしね、わたしね」と、いつも自分のことばかり話す人がいますよね。 そういう人のことを egoist (エゴイスト)と呼んだりしないことは、先ほども書いたとおりです。 その代わり、egotist (エゴティスト)といいます。 egotist (エゴティスト)は、meism (ミーイズム)とほとんど同じ意味です。オックスフォード英語辞典にも採用されていて、「代名詞の I を使い過ぎる人」という説明があります。 アメリカで出ている WORD POWER MADE EASY という本には、「この egotist という単語の t は talk の t だと覚えなさい」という冗談が書かれています。
その他の回答 (2)
#2さんの回答を少し補足します。 英語では動詞の活用がシンプルです。しかし、印欧祖語では かなり複雑な活用をしていました。フランス語やスペイン語も 複雑な格変化は消滅しましたが、動詞の活用は 未だ複雑です。それでも 被動現在形とかは なくなっているので、少しは活用は減っていますがね。 私の推測ですが 印欧祖語では一人称を表す代名詞の主格が欠如していたと思われます。動詞が人称変化していたので 必要なかったのかもしれません。 ギリシャ語もラテン語も 1人称単数の主格はegoなんですが、これは もしかしたら 英語のselfにあたる単語を転用したのかもしれません。
お礼
興味深いご説明ありがとうございます。
- matchboxtwenty
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こんばんは。 日本語の場合は「は」、「が」、「の」、「を」などという助詞がありますから、格が変化しても元々の「私」という形を変える必要がありませんが、英語では助詞というものがないので、主格、目的格、所有格など格が変わる度にその形を変える必要があります。 ただ、I と me は形がかなり違うことは確かで、これを説明するには英語の歴史についてかなり詳しい知識が必要と思われます。 私はそこまで深い知識は持っていませんが、知っている範囲内のことを言うと、I の基を辿るとラテン語の ego で、これは「自我」を表します。ego と言ってもいわゆる「エゴ」とか「自己中」という意味ではなく、哲学で言う「天地一切のものに対する自分」を表します。 それに対して me はラテン語の mihi が基になっていて、「対象として意識している自分」です。 うまく説明できませんが、英語圏の人たちにとって I は「神から与えられた自己」という特別な存在で、主語として使うとき以外にはあまり使いません。 よく引き合いに出される例文で、He is taller than I. は文法的に正しいのだけれども、実際には He is taller than me. が使われるのもそういった理由からかもしれません。 英語圏の人たちにとって、me は自分を表しやすく親しみやすい言葉であり、I は自分を主語にした文章を表現するときにしか用いない崇高な言葉ではないかと思います。 自分だけが主語のときは I を使いますが、ほかの人と一緒のときは、Me and my friends went to the park. などと言いますね。 わかりにくい説明ですみませんでした。
お礼
難しい話をやさしくご説明いただき心から感謝申し上げます。
お礼
身に沁みてありがたい御解説でした。感謝申し上げます。