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仕事で使う知識しか要らないのか?
僕は今日、菅原道真の『門を出でず』というのを読んでいました。 数Ⅲの微分法を復習しようかと迷いましたが、結局漢文の勉強をしました。 僕は数Ⅲの微分法・積分法は一回一通りやったのですが、暫くやっていないと忘れてしまうので復習しようと考えた次第です。 高校数学は数Ⅲまで大体やりました。『二次曲線』『複素数平面』『関数と極限』『微分法』『積分法』ですよね? 僕は数学も好きな方なんですが、漢文とかも好きなんです。 しかし漢文は軽視され、英語を重視する風潮に違和感を感じます。 やっぱり古文や漢文が嫌いな人は感性に乏しいのではないかと思います。 感性とは四季の移り変わりや、自然を愛することです。花鳥風月と言っても良いでしょう。 昨日は『夏目漱石の伊予に之くを送る(正岡子規)』や『守株(韓非子)』を読んでいました。本当にこういった文章を読むことは役に立たないのでしょうか? 漢文とか『方丈記』や『徒然草』『奥の細道』などは色々な教訓を含み、また自然とか人生、社会に関する考え方を教えてくれると思います。 正直、そんなことも分からないなんて馬鹿なんじゃないかと思います。 それではゲームとかパチンコの方が役に立つのでしょうか?パチンコで稼げれば、みんなパチンコをするでしょう。 僕は古典によって四季の移り変わりや花鳥風月とかの感性、素朴な自然について理解出来たと思います。 たまに「他人と比較しない方が幸せになれる」とか聞きますが、そういったことは古典を読んでいれば自然と理解出来るのです。 確かに大学受験生としては和歌や俳句よりは、英語や数学といった勉強に時間を割いた方が良いとは思います。 しかし数学ばかりやっていても、確かに微積とかはやっていて面白いですが、所詮は数学の技能しか身に付かないと思うのです。やっぱり「感性」とでも言うのかな。それは漢文の杜甫とか李白の漢詩とか、項羽と劉邦の話や故事成語などです。こういった知識はおそらく役に立ちます。 皆さんはどう思うでしょうか。仕事でそういったことは使わないと排除してしまうと、人生が勿体ないと僕は思います。 皆さんの意見を聞かせて下さい。宜しくお願いします。
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「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を読めばいいかもしれませんが、確かに働いた日は読書も映画鑑賞もしたくない感じはわかります。脳の違う働きなのかもしれません。 ということは、読書は学びのためもありますが、映画鑑賞は、働かない老後の娯楽に向いているので、シニア料金というのはありがたいですね。 読書は学びの機会でもあるので、社会人として、仕事に関する以外に学ぶことの意味を考えてもいいかもしれません。たぶん娯楽か自己啓発か、つまりは自分にとっての読書の意味だけです。
お礼
回答ありがとうございます