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どうして漢文は役に立たないと見なされているのですか

僕は理系で高校を卒業し、数学が特に好きでした。 微分法・積分法、数列、ベクトルなどです。 しかし一方で文学も愛読していました。 僕は理系だったため、日本史や古典は全く授業がなかったのですが、自分で参考書を買って読んでいました。 そして古文とか漢文を読んでいたのですが、やっぱり面白い。 僕は理系で数学はやり込んだんですが、化学には興味がありませんでした。 正直、漢文とか古文の方が読んでいて癒されます。 今日は『夏目漱石の伊予に之くを送る(正岡子規)』と『守株』という話を読んでいましたが、面白いと思いました。 もちろん「面白い」と「役に立つ」とでは別物だとは思います。 しかし、どうしてこうも古典は役に立たないと主張する人が多いのでしょうか?そもそも役に立つことを重視するならば英語や数学よりも体育や家庭科を重視したら、どうでしょうか? 僕は英検一級の文章を読んだり、東大英語の勉強をしましたが、大して役に立っていないと感じるし、家庭科や技術が苦手でコンプレックスです。 家庭科みたいに家政の勉強をしたり、育児とかの勉強をした方が英語や数学よりも「役に立つ」んじゃないですか? 回答宜しくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

残念ながら生活の役に立たないもんは役に立たないのです。 哲学を学ぶのであれば日本語訳、現代語訳をされたものを読めば事足ります。 しかし、古典であれば日本の文化として、漢文であれば日本が影響を受けた歴史文化として、後世に残したいものです。 そしてより深い解釈や新たな発見をしたいものです。 その役割を担う人間は必要です。 しかし、住活をする中で漢文や古典に救われることは、まあ精神的な世界においては、役に立つこともあるのかな。

ammgpattg2
質問者

お礼

回答ありがとうございます

その他の回答 (2)

回答No.3

No.2です。下から2行目は「究める」と変換すべきでした。訂正します。

ammgpattg2
質問者

補足

分かりました。 ありがとうございます

回答No.2

学問には哲学や文学のように抽象的(精神的、形而上的)な学問と、体育や家庭科のように具体的(肉体的、形而下的)な学問に大別されます。質問者さんは化学よりも数学がお好きだとのことなので、理系の中でも前者の分野に関心がおありだと思います。例えば、化学的現象を数学的に解明することの方が、解明した後に発展させることよりも関心をお持ちのようだと推察しました。だとすれば面白いと感じる教科が役に立たないということが起こってくるのは、ある意味で当然なのではないでしょうか。 両者ともに必要なのですが、それは一人の人が両方とも極めるのではなく、社会全体として役割分担をすれば良いと思います。

ammgpattg2
質問者

お礼

なるほど! 回答ありがとうございます。

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