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不思議な存在
末期高齢者になりつつ有る時、暇な時間に自分と言う物体を 考えてみました。自分は昭和という時代に生まれ、自分の能 と体を意識する、個人の生物として生きてきたと思う。戦国 時代に生まれていたら、戦場に出て槍で人を殺していたのか。 第1次世界大戦時代に生まれていたら、第2次世界大戦時代 に生まれていたら、兵隊になり殺し合っていたのだろうか。 戦後に生まれた自分は運が良かったと思う。自分は誰だろう、 時々思う事が有る。自分は自分で他人では無い、他人の能に は入れないし体も使えない。生まれていなかったら、何も考 えないし存在すら意識が無いだろう。自分は今の時代に何故 いるのかも解らない不思議な気持ちになります。神仏で片づ く問題でも無く宇宙の神秘的な物でも無い様な気がします。 質問です。自分の不思議な存在を意識したことが有りますか?
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お礼と補足を拝見しました。 >私は、未だに空成るものが、良く解りません。 矛盾が生じるのです。四角と四角を合わせれ ば理解出来ます。四角と三角を会わせると合 いません。矛盾が生じるのです。生身の生き ものを空、何もこの世に存在していない? ⇒くだんの池田魯参著『般若心経』にはこうあります。 「空の語は、そのものが固定して単一で存在するものは何もないということを示す。世界は、物と心とが関係し合い、そのような関係性のなかで互いに相対化しているのであって、現象しているものはいかなるものごともそれ自体に固有な実体のようなものはないというのである。 このように見ると、空は縁起と同類語であることに気づくであろう。縁があるから起こり、縁がなければ滅する。縁起縁滅の理法は、無常(変わらないものはない)であり、無我(固有の実体はない)である。これを一語で空といい、また無ともいうのである。 そして、人が真実、主体的に自立して生きようとする時には、この縁起の理、すなわち、空の理をしっかりとさとらなければならないというのである。」
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- Nakay702
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再三、お礼と補足をありがとうございます。 般若心経は奥深いですね。私も、池田魯参著『般若心経』を愛読させていただいています。何度読んでも、その都度新しい発見があるように思います。 実は、その昔、たまたま時間が調整できた折、池田先生のご講義を聴講させていただいたことがあり、上掲書はその際に先生からいただいたものです。時折紐解いては心洗われています。 それにつけても、私もまた、g0721475さんがおっしゃることに共感します。そして、しみじみ感じ入ります。「私自身も空なのです」、と。
お礼
有り難う御座いました。
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私は、未だに空成るものが、良く解りません。 矛盾が生じるのです。四角と四角を合わせれ ば理解出来ます。四角と三角を会わせると合 いません。矛盾が生じるのです。生身の生き ものを空、何もこの世に存在していない?
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
再度のお礼と補足をありがとうございました。 >何かの記憶など、能の隅っこに存在しているのですね。パソコンのデータも、消しても消してもよみがえってくる時があります。現実と想像が入り乱れて記憶されたのでしょうか。夢でも過去の出来事が、あり得ない まさかの展開で出てきます。不思議な現象です。 ⇒ですね。まあ、言ってみれば、このロートルになると、どっちが夢でどっちがうつせみか分からなくなります。戯曲「人生は夢」を地で行く感じです。高田(きょうこ?)さんの「みんな夢の中」という歌が大好きです。今日もまた、夢・まぼろしを生きた。明日もまたかくてありなん。スコッチをすこっち飲む。焼酎はしょっちゅう飲む、などとつまらぬダジャレ言いながら。
お礼
有り難う御座いました。
補足
私は、仏教については適当ですが、勉強になるところ だけを抜粋して引用しています。般若心経の日本語訳 の初めの行です。「人間の心と身体を含めこの世にあ るもの(五蘊「色・受・想・行・識」)はすべて空な るものだと深く見通され、いっさいの苦しみやわざわ いから自由になられました。」とあります。となると、 私自身も空なのです。この世に居ないのに、肉体の感 触痛みを感じます。頭では脳みそが色々考えます。
- kaitara1
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>この答えは、未来永劫謎で、謎の中の妄想で >良いのでしょうか。 謎の中の妄想という意味は分かりませんが、私はだれにも答えが出ないのではと思いますが、あるいは出せる人がいるのかもしれません。
お礼
有り難う御座いました。
補足
心理学者とか変人とかが、まさかと言うような 答えを出すかも知れません。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
答えが出るなら不思議なことはないでしょう。
お礼
有り難う御座いました。
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この答えは、未来永劫謎で、謎の中の妄想で 良いのでしょうか。
- 薫子(@kao-ruko)
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まさしく 「我思う、故に我在り」 の境地ではないでしょうか。
お礼
有り難う御座いました。
補足
良い自分と、悪い自分が、自分に問いかける。 そんなドラマを見たことが有ります。良い自 分は犯罪を食い止め、悪い自分は犯罪を犯す。 自分本人はリスクを考え行動するか、しない かを決める。他人が話さない限り、他人の事 は解らない、他人は「何を考えているのだろ う」と気にしたり、気にしなかったり、時が 流れていく。人生は平凡「私は誰だろう」
- Nakay702
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お礼と補足をありがとうございました。 >凄い経験をしたんですね。私はまだ半信半疑です。能の何処かに、野原一面に花が咲いている光景を過去に記憶していたのではと思います。 ⇒はい、そういうことだと思います。いや、そうに違いありません。立花隆氏などからの影響もあったと思います。手術の少し前に自ら書いた「魂の通り道」などというエッセーまがいの雑文も関係があったかも知れません。
お礼
有り難う御座いました。
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何かの記憶など、能の隅っこに存在しているのですね。 パソコンのデータも、消しても消してもよみがえって くる時があります。現実と想像が入り乱れて記憶され たのでしょうか。夢でも過去の出来事が、あり得ない まさかの展開で出てきます。不思議な現象です。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
以下のとおりお答えします。 >自分は誰だろう、時々思う事が有る。自分は自分で他人では無い、他人の能には入れないし体も使えない。生まれていなかったら、何も考えないし存在すら意識が無いだろう。 ⇒そうですね。 たまに私も、「自分にとってはこの世界がすべてだけど、世界にとってこの私は何でもない、際限なくゼロに近い存在なんだ。くやしいけれど、それが事実だろう」などという雑念を漠然と抱くことがあります。 >質問です。自分の不思議な存在を意識したことが有りますか? ⇒はい、あります。その昔、大病をして生死の境をさまよいました。お腹をたてに切り開いて大腸を2か所、円筒形に切り取ってつないでもらいました。結果、大腸の全長が半分くらいになりました…。その時のことです。 大手術でした。術後しばらくの間、麻酔剤と催眠剤が効いてか、もうろうとした意識の中、いろいろなことが頭の中を駆け巡るのです。身体全体がガチガチの鋳型にはめ込まれている感じで、手足さえ動かせない。動かそうという気力もない。ただ、頭だけが冴えているのです。自分はどんな情景の中に、どんな状況でいるのだろうか。 横たわる自分から、別の自分が抜け出します。天井に張り付いて、上の自分が下の自分と周辺を俯瞰するのです。上の自分が、耳を澄まして目を凝らすと、病室の鳥瞰図がぼんやりと見えてきます。それが下の自分に伝わり、脳裏のスクリーンに映し出されます。じっと見入ります。すると、横たわる自分が、やおら起き上がって病室を出るのです。 外へ飛び出してみると、そこは春の野原で、虫や鳥が生き生きと活動しているではありませんか! 花や緑がきれいです。その風景は、何となくデジャヴュの風情があります。目蓋を上げて前方を見ると、花々の間から親戚らしい人が手招きをしています。しかし、彼らとの間に川があって、渡れません。もどかしいけど、どうしようもありません…。 寝ている自分、俯瞰している自分、野原を歩き回る自分。自分が3人もいるのに、全然矛盾しません。歩き回る自分は、ドッペルゲンガーか? いや、違います。どの自分も、自分なのです。何とも奇妙な、自己意識の錯綜状態ではありました。 手術後、1週間ほどしたころに、執刀医が「ベッドから自力で起き上がるように」と言いました。しかし私は、首を持ち上げるのがやっとでした。それでも、医師に強く促されて、身体のあちこちの痛みをこらえながら、四苦八苦しながら、小一時間ほどでようやく半身を起こしました。そうして、ゆっくり首を回して自分の身体を見ると、たくさんのチューブがあちこちに刺さっていることを知って、ひどく驚きました。 この時点ではもう、あの3人の自分はすっかり消えていました。完全に元気を取り戻したとき、なぜか古今の哲人の言葉を思い出しました。 ①「人は、自分の想像したことを最も恐れる」(コンラッド)。 ②「人は自分の創造したもの(神?)に支配され、疎外される」(フォイエルバッハ)。 ③「われ思う、ゆえに我あり」(デカルト)。 あの、もうろうとしていろいろな自分がうごめいていたときこそ、これらの金言の意味することを地で行きながら、「自分の不思議な存在」を、身をもって意識し、実感していたのだと思います。そして、冒頭で述べたとおり、世界にとって私は無にも等しいような存在ですが、そう《考える》ことによって辛うじて、自分の存在を実感しているのだと思います。
お礼
有り難う御座いました。
補足
昔から人々は死ぬ間際に、春の野原・虫や鳥・花や緑、 あの世への三途の川が有ると言う。これは神仏の話の 中に有る事、幽体離脱は自分を含め三体を確認したと 言う。凄い経験をしたんですね。私はまだ半信半疑で す。能の何処かに、野原一面に花が咲いている光景を 過去に記憶していたのではと思います。
- oska2
- ベストアンサー率44% (2301/5116)
>自分の不思議な存在を意識したことが有りますか? 誰でも、死期が近づけば意識するでしようね。 寿命・病気・事故・戦争など、色々な原因で死期を迎えます。 死期を意識すると、過去が走馬灯のように見える!と言いますよね。 ガンで亡くなった父親も、質問者さまと同じ事を病室で言っていましたね。 ガンに犯される前、突然「四国88か所巡礼」を行った時は驚きました。 荼毘にふした時は、おいずるを着せて納経帳を持たせました。 亡くなった父親と同じ年齢になった時、何故か同じことを考える用になりました。 青春18切符で、西国33所を3回巡礼しましたが「一緒に山道を歩いている人生の先輩方との会話は、質問者さまと同じ」でした。^^; 40代前後の方でも、親族・愛する方の死を境に人生を再確認する様です。
お礼
有り難う御座いました。
補足
自分は何故、今のこの世に生きているのだろう。 生まれて、働いて、仕事から離れて、余計なこ とを考える様になってから、夜、寝ているとき に夢の中で考えている自分を見る事が有ります。 不思議です。「俺は誰なんだ、自分は自分だ」
- ノーバン(@nobound)
- ベストアンサー率13% (295/2109)
ものすごく興味はありますが、フロイト以降、精神分析学が進展しているのかどうかは、よくわかりません。 結局は「意識、前意識、無意識」「自我、超自我、エス」のことをフロイトは言っていますが、精神分析にも詳しいと思われる吉本隆明が、「自己幻想、対幻想、共同幻想」という言葉を使っています。 何でどれも三つなんだろうとは、ずっと思っていて、それなりに連想していますが、まだあやふやですね。というか、まだ言えない。
お礼
有り難う御座いました。
補足
私はフロイトや吉本隆明の三つの意味が解りませんが、 たどり着くとしたら、何処にたどり着くのでしょうか。
- gunsin
- ベストアンサー率32% (415/1290)
人生の艱難辛苦を乗り越えて、刑務所にも収監されず、誰にも 迷惑を掛けずコツコツ働いて来て人生の峠を越えた今、己の人生を 振り返る事が出来るなんて、幸せな事と思いますよ。 これ以上何を、御望みなのでしょうか、 「無事これ名馬」と言います。
お礼
有り難う御座いました。
補足
たまにラジオで唄っている、気に成る面白い悲しい 歌が有ります。「所詮人生の歯車」短いですが、こ の文句だけで今の人生の全てのような気がしました。 働いて働いて歯車の様に働いて、働けなくなったら 高齢で人生を終える、空しい歌の最後の節部分です。
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お礼
有り難う御座いました。
補足
諸行無常「常に同じ事は無い変化している」一期一会 色んな人と巡り会い別れていく。昔有った建物が今は 無い、新しいビルが建っている。過去の思い出がよみ がえる。その中で空の中で自分は生きている。自分の 目から見る物は、皆スクリーンの映画のようだ。私も 死ねば空になる。最近、友人が知人が死んで空になり ました。共に生きていたのに思い出だけで空でした。