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儒教は政府が国民を操るために考え出した物?
日本では、儒教は道徳の手本として今での論語を引用して徳を話す人もいます。 でも、孔子の職業や時代背景を考えると人のために書いた物とは思えないようにも感じます。 論語を文学としてではなくて、経営科学・政治的な視点から研究している論文や学者、質問のタイトルのような切り口の可能性を示唆する論文や学者があれば、教えて頂けませんでしょうか。 ※孔子は弟子を抱えてキャラバン隊のように自分達をコンサルタントとして雇ってくれる政府を探して各国を練り歩いていたそうです。その過程で金銭難から飢餓状態になることもあったそうです。 そして、孔子の顧客は政府で、当時の政府は国民の事を考えるというような民主主義的発想はなくて国民を搾取して領土を広げて私腹を肥やす事ばかり考えていたはずです。 この状況下で、孔子が民のためのものを考えるとは思えず、政府が喜ぶ思想を展開せざるを得なかったのではと思います。 ※中国の古い書は、南北宋時代等で文学研究が行われる中で内容が書き換えらている事があると聞きました。孫子の兵法などは近年まで(そして今でも)正反対の解釈が世間に残っていますが、論語も同じような傾向があっても不思議は無いと思います。 ※実際に、日本帝国時代はそのような応用がされていますし。
お礼
そもそも、孔子の儒教は一般市民の道徳用ではないんですね。 かつ、自分が見聞きしている儒教は既に孔子のものとずれているんですね。 御回答ありがとうございました。