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檀家制度について

檀家制度について、徳川幕府がキリシタン弾圧のため、農民や 商人更に武士まで、寺院に属さないとキリシタンと見なされ、 処刑された。檀家信徒がお布施を納めないと、追放されキリシ タンと見なされる。恐れをなして命か金かを迫られる。神社も 寺院に属し終戦まで続いた。終戦後、神社と寺院は切り離され 別々のものとされたが、名残のある神社と寺院もある。終戦後 も檀家制度が続き、マインドコントロール、寺院は檀家にお布 施の強要を強めた。つまり、金の亡者と化し贅沢な寺院となる 一方、檀家離れした寺院は貧困になっている。質問です。以上 の諸説、檀家制度について、ほぼ合っていますか?

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  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.4

>徳川幕府がキリシタン弾圧のため、農民や商人更に武士まで、寺院に属さないとキリシタンと見なされ、処刑された。 幕府の宗教統制で、「お寺を集落の単位」として「住民管理」を行っていました。 今でいう、市町村役場の市民課的な業務をお寺が行っていたのです。 同時に、島原の乱・百姓一揆では「宗教が莫大な力を持っている」ので力を削ぐのも目的です。 ただ、どこのお寺に属していなくても「任侠持ち・浮浪者」として裏の世界で一着ていました。 単純に、旅行などに必要な「(通行)手形」を貰う事が出来ないだけです。 >檀家信徒がお布施を納めないと、追放されキリシタンと見なされる。 これは、極めて疑問符が付きますね。 お寺は、今と同様に「税金など各種優遇政策」を受けていました。 大寺院になると、寺社領だけでも数万石(高野山など)というお寺も存在します。 地域のお寺は、今と違って「貧乏寺」でもお布施を強要する事はありません。 >神社も寺院に属し終戦まで続いた。 この「終戦」が、1945年の敗戦を意味していれば間違いです。 江戸時代までは、「神社はお寺が管理する神仏習合」です。 俗にいう「神宮寺」ですね。 京都・八坂神社は「天台宗延暦寺系の祇園社」が管理。 奈良・春日大社は「法相宗本山興福寺」が管理。 香川・金刀比羅神社は「真言宗金光院松尾寺」が管理。 全国各地の小さな神社も、お寺が管理していました。 が、明治政府の「天皇は神である」という政策の下で「神社とお寺は強制的に分離(神仏分離令)」します。 多くの神宮寺の坊主は「神主に変身!」し、坊主がいなくなったお寺は廃寺になります。 ただ、檀家と上手くいっていた寺はこの後にお寺として復活!現在に至ります。 もちろん、お寺の境内の土地・建物は神社に奪われていますから規模は小さくなります。 例えば、香川県・金毘羅神社境内は「もともとは、金光院松尾寺」が存在していた土地・建物でした。 余談ですが・・・。 質問者さまが住んでいる地域の神社も、建物をよく観察して下さい。 お寺時代の仏式建物が、神社名称の建物になっている場合が多いですよ。^^;

g0721475
質問者

お礼

有り難う御座いました。

g0721475
質問者

補足

寺院に属さなくても、キリシタンでなければ、拷問や 処刑はなかった事は解りました。 お布施を納めないと追放されると言う事案は、極一部 の極悪寺と言う事も解りました。 明治時代に神社と寺院は切り離された事も解りました。 結局、インドや中国から伝わった、本来のお寺や和尚 の姿は、明治において太平洋戦争敗戦後において、葬 式仏教、葬式寺として変貌してしまった。布教をする より金儲けの寺院になったと理解しました。

その他の回答 (3)

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (416/1291)
回答No.3

神社と寺が分離されたのは明治時代です。 天皇を現人神として神格化したからです、多くの貴重な仏像が 廃棄されました。 お釈迦様も八百万の神の一員なので、神社の敷地内にお寺を 建てた処が各地に多く有りました、神仏融合と呼ばれています。 日本人は神仏に関しては大らかなのです。 檀家の件もキリシタン弾圧の為ではなく、宗教政策の一つですね。 檀家の獲得や領地の訴えが多くなったので寺社奉行を設けて対処 しました。 詳しくは寺社奉行の設立で調べて下さい。

g0721475
質問者

お礼

有り難う御座いました。

g0721475
質問者

補足

調べてみます。

noname#255227
noname#255227
回答No.2

合ってます。

g0721475
質問者

お礼

有り難う御座いました。

g0721475
質問者

補足

間違いがないと言われても、歴史は良く解りません。 皆に「檀家とは」を話しても問題ありませんか。

  • nururian
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回答No.1

もともと檀家制度は、転びキリシタンやその親族に転びの証として強制されていたものが、島原の乱を機に他の庶民にも拡大されたものです。 武士や公家の経済的支援や独自の領地により運営されていた寺院は、庶民檀家の経済的負担により経営が安定しました。庶民も葬儀供養を行ってもらえ、庶民の墓が出現するのもこれによるものです。 明治維新後に公的な檀家制度(寺請制度)は廃止されましたが、慣習として檀家制度は現在まで残っており、寺院経営の上でも檀家の経済的支援が無いと存続できない寺院がほとんどです。

g0721475
質問者

お礼

有り難う御座いました。

g0721475
質問者

補足

今の時代、物価高・消費税・年金減額・労働報酬低賃金 で首が回らないのに、寺院ではお布施と称し、檀家から 吸い取る行為は、金の亡者としか言いようがありません。