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人々は全て、人々の全ては

「あまねく人々は全て、争いを好まない」 「あまねく人々の全ては、争いを好まない」 ((など)のように書く(言う)場合) どちらも意味の違いはないでしょうか? ないのであれば、自然な表現はどちらだとお考えになりますか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • abiwirang
  • ベストアンサー率39% (52/133)
回答No.5

意味的には、ほぼ同じです。ただし、文脈によって微妙に異なるニュアンスが出る場合があります。 「あまねく人々は全て、争いを好まない」と言う場合、人々全体が争いを好まないことを強調するニュアンスがあります。一方、「あまねく人々の全ては、争いを好まない」と言う場合、個々の人々が争いを好まないことを示唆するニュアンスがあります。 しかし、一般的にはこの2つの表現には大きな違いはなく、自然な表現としては、どちらを使っても問題ありません。

その他の回答 (4)

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.4

1.「あまねく人々は全て、争いを好まない」 「あまねく」は副詞で述語の「(争いを)好まない」に掛かっていますが、「ひろく/すべてにわたって」の意味なので形容の内容がやや不自然に響きます。 「全て」も副詞でやはり「好まない」に掛かる形なので、同じような意味の副詞の重複となっています。 2.「あまねく人々の全ては、争いを好まない」 こちらの「全ては」は「人々の」を受けた名詞用法なので重複は起きていませんが、普通は「全ての人々は」の言い方がより自然です。 以上から、どちらの場合も副詞「あまねく」が不自然なので、この場合は省略が望ましいでしょう。 その結果、 1.人々は全て、争いを好まない。 2.全ての人々は争いを好まない。

  • kzsIV
  • ベストアンサー率53% (238/446)
回答No.3

「あまねく人々は全て、争いを好まない」 「あまねく人々の全ては、争いを好まない」  どちらの文も、「あまねく」という副詞が浮いていて、意味が取れません。 「あまねく」は「普・遍・周」の読み(訓)、となっていますから、普遍的に、 一般論として という意味ですが、実際には、「周知」の代替表現として   あまねく知られている。/ あまねく知れ渡っている。 のように使います。和英辞典の用例にも   彼の名はあまねく知れ渡っている。 は、   His name has become widely known in the world. と訳されています。英語では本来「普遍」を意味する語は使いません。 「あまねく」をはずすと、 「人々は全て、争いを好まない」  / 「人々の全ては、争いを好まない」 の違いとなりますが。  人は皆、争いを好まない。 が正しい文です。

回答No.2

自然なのは「あまねく人々の全ては、争いを好まない」 カッコイイのは「あまねく人々は全て、争いを好まない」

  • kon555
  • ベストアンサー率51% (1844/3562)
回答No.1

 意味の違いはありません。非常に堅苦しいというか、小説などでしか使われないような文章ですから、自然な表現はどちら、というほどの差異もないですね。  文章のリズムで選んでしまっていいところだと思います。  あえて言うなら「あまねく人々は全て」の方がシンプルです。逆に言えば「あまねく人々の全ては」の方が印象に残りやすいとも言えます。  要は好みの範疇です。

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