• 締切済み

美しい青きドナウ

ヨハン・シュトラウスに、標記のように訳された名曲があります。 この言い回しについて、ふと思った疑問です。 1,美しいは現代語(口語)、青きは古語(文語)。   なぜ混合しているのでしょうか?   「美しき青きドナウ」または「美しい青いドナウ」では?   *シューベルトの歌曲集は「美しき水車小屋の娘」で、    古語(文語)です。 2,もしも語順を逆にしたら、どうなるのでしょうか?   「青い美しきドナウ」「青き美しいドナウ」はアリでしょうか?

みんなの回答

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.6

#5です。 >あまり耳慣れない「並置」と、文法でよく使う「並立」の異同についてはよく分かりませんが、  : たしかに、学校文法では二つ以上の文節が対等の関係で並び一まとまりとなった文節相互はすべて「並立の関係」と呼んでいます。これに対抗するのが「補助の関係」とも。 ところが、それが相互に「同位」であって、相互の連続的関係は無いので位置の互換があっても意味が変わらないとすれば、それは特に「並置」と呼ぶべきではないかとの見解があります。 芳賀綏「日本文法教室」(東京堂出版)では次のように三種別を行っています。 ・列挙:幹事長・総務会長が来た。 ・並立:幹事長と総務会長が来た。 ・並置:幹事長も総務会長も来た。 ・並立:森や林や田や畑が→飛んで行く。(「畑が」統率(締切役)) ・並置:森が林が田が畑が→飛んで行く。(同位・同格の並び置き) また、連体形と連用形の働きの違いについても、次のように名づけと語りの特性の違いと両者の転換にも触れています。 ・ジャンクション(体言・凝縮・単語にとどまる気持ち) ・ネクサス(用言・展開・センテンスになろうとする気持ち) 日本語では「用から体へ"凝縮"したり、体から用に”展開“したり、融通がききます。」(「同書」242頁) ですから、見出しなどでは、体・用の併用が良くあります。 ・車にさえぎられて走りにくそうなアベベ選手・ ・大鵬、北葉山をを寄り切る。 ・見わたす青空→青空を見わたす。 ・ハンガリーの青いドナウ川→ハンガリーのドナウ川は青い。 ・川のほとりに佇む美しい彼女→川のほとりに佇む彼女は美しい。 ハンガリー詩人の歌詞は川のほとりに佇む美しい女性と、その青いドナウ川の二つの光景の融合を歌っていますから、 青きドナウのほとりに佇む美しい彼女→(融合化と隠喩化)美しく(も)青きドナウのほとりで

gesui3
質問者

お礼

文法にも各流派?があり、 「時枝文法などは、革命的すぎて、怖い」と、 かつて知人が言っていました。 ので、いまだに他の文法には触手を伸ばさず、 橋本文法をベースとした学校文法の範疇に留まって いる自分には、貴回答は斬新でした。 並立も、列挙・並立・並置の三種類に細分する文法 があるとは思わず、勉強になりました。 ただ、そうなると、どれがベストとは言えない状況で、 ベストアンサー率を気にする回答者様もおられる中で、 どれかをベストにすると他の方の%が下がってしまいます。 ベストを選ばずに終結させると誰の%も下がらず現状%が 維持されるシステムだそうで、 今回はそれを適用させていただきたく存じます。 各位からは、それぞれに学ぶところがあり、感謝申し上げ ます。 これにお懲りにならずに今後ともよろしくお願いいたしま す。

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.5

#3です。 >連体修飾語なのに連用形という問題が出てきました。  : これは並置か並立かという表現の違いでもあります。 ハンガリー詩人の詩句”An der Donau”の一節、”An der schönen, blauen Donau.”からすれば、これは修飾語のそれぞれが同位文節での<並置>表現です。 ですから、美しきドナウ河にして、また青きドナウ河、そのほとりにて、となります。 ところが、日本語表現に場合、この前段を連用表現にして、美しくて+青いという形でいくつもの形容詞を最後の形容詞だけ連体形にして<統率>するという<並立>表現が一層まとまりが良いのでむしろこちらの言い方が好まれています。 青きー美しきードナウ(青いー美しいードナウ);赤いー大きいー実 青く美しきードナウ(青くて美しいードナウ);赤くて大きいー実 ですから、形容詞同士の順位については、単純な並置の場合は意味価値が同位なので互換が利きます。主観客観と言った内容上の優先性はありません。 一方の並立の場合は最後に<統率>する連体形の形容詞が重要なので、それを青きドナウとするか、美しきドナウとするかは表現者の意識の問題であり、確かにそこには主観性と客観性表現での選択性の課題が横たわっています。 これはむしろ客観性が強い主格的位置か、主観性が強い述語的位置かによっても異なるでしょう。 ○ドナウ河は青くて美しい。 ?ドナウ河は美しくて青い。 ?青くて美しいドナウ河 ○美しくて青いドナウ河

gesui3
質問者

お礼

 あまり耳慣れない「並置」と、文法でよく使う「並立」の異同についてはよく分かりませんが、 「いくつもの形容詞を最後の形容詞だけ連体形にして<統率>する」「一層まとまりが良いのでむしろこちらの言い方が好まれ」るというのは、分かりました。  ちなみに、こなれた訳語になると定評のAI使用の翻訳ソフトに”An der schönen, blauen Donau.”というドイツ語を掛けてみると、 「青く美しいドナウ川で」または「美しく青いドナウ川で」と、一つ目は連体形になりました。  YouTube上の誰かの誤記がきっかけで思わぬ勉強をさせていただきました。 ありがとうございました。

gesui3
質問者

補足

誤:一つ目は連体形になりました。 正:一つ目は連用形になりました。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10007/12518)
回答No.4

質問者からのお礼をありがとうございました。 >YouTubeの名曲クラッシックを見ていたら、「美しい青きドナウ」と出たのですよね。これをアップした人の、いい加減な書き損じの虞があります。 ⇒確かに。「美しい~」ときたら、「~青い」ですよね。 それなら「美しい青いドナウ」で、まあ、文法的な間違いはなくなるでしょう。 >日本ヨハン・シュトラウス協会、2006年)の『美しく青きドナウ』だって、現代語と古語の混交なのに、変な感じがしないのが不思議です。連用形の問題でしょうか。 ⇒おっしゃるように、「美しく」は連用形ですね。 ということは、次のように言えるかも知れません。つまり、この「美しく」は「ドナウ」にかかるのでなく、「青き」にかかっているのだ、と。例えば、「いと青き~」の「いと」と同じく、副詞として後続の形容詞「青き」を修飾していると見なせますね。 中黒などを使って区分すると、前者では「美しき」と「青き」がともに「ドナウ」にかかるので、「美しき・青き→ドナウ」(=「美しくて青いドナウ」)という意味構造を示し、後者では、まず「美しく」が「青き」にかかり、そして、そうれを受けた「青き」だけが「ドナウ」にかかるので、「美しく青き→ドナウ」(=「美しいほどに青いドナウ」)という意味構造を示すことになる、と解釈できるのではないかと思います。

gesui3
質問者

お礼

なるほど、おっしゃる通りですね。 連用形なのだから、体言に係るのではなく、 すぐ後に続く「青い」(形容詞)に係るのでしょうね。 勉強になりました。

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.3

原語では「美し」と「青し」は共に連体形でそれぞれが「ドナウ」に掛かっている並立修飾の語形です。ただ前項を連用形にする言い方もまた自然な響きがあります。 例) 歴史的仮名遣い(現代仮名遣い) →連用修飾表現 青き美しきドナウ(青い美しいドナウ) →青く美しきドナウ(青く美しいドナウ) 美しき青きドナウ(美しい青いドナウ) →美しく青きドナウ(美しく青いドナウ)

gesui3
質問者

お礼

連体修飾語なのに連用形という問題が出てきました。 気づきませんでした。。。 そこでもう一つ気づいたのは、修飾語には優先順位があるのではないか、という問題です。 美しい 青い と二つ修飾語を付ける場合には、日英ともに確実なものを名刺の近くに置くのではないか。 つまり、美しいは主観であり人によってはそう思わない人もいるかもしれない。だから名詞より遠くに置く。 それに対して、青いは客観的事実で濃淡の差はあれ赤だと言うものはいない。だから確かなので名詞に直属の修飾語として直前にくっ付けておく。 だから「逆転」はない。(青く美しき など) ・・・余計なことに想が広がってしまいました。失礼。

  • shinotel
  • ベストアンサー率51% (941/1817)
回答No.2

私も「美しく青きドナウ」と覚えています。 その昔(明治以降)に、小学校唱歌というものが学校で歌われるようになり、大いに推奨され歌われました。 当時の歌詞は文語体が多く、子ども達は意味を理解せずに歌っていたと言うこともあります。 唱歌「ふるさと」の ”兔追いしかの山 小鮒釣りしかの川”はいまでも各地で歌われますが、まさに豊後体です。 現代の訳では”ウサギ美味しかの山 小鮒釣り師かの川”なんて笑い話があります。 仰るような「美しい青きドナウ」は、どなたかの記憶違いではないでしょうかね。 「重箱読み」の、音訓混じりに似ていますね。

gesui3
質問者

お礼

回答をありがとうございました。 「美しく青きドナウ」が正規の和訳のようですね。 文語による誤解、音訓交じりの読み、これらはまた別の話かと思います。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10007/12518)
回答No.1

以下のとおりお答えします。 >1,美しいは現代語(口語)、青きは古語(文語)。なぜ混合しているのでしょうか? 「美しき青きドナウ」または「美しい青いドナウ」では? ⇒私は、「美しき青きドナウ」と覚えていました。おっしゃるように、シューベルトの歌曲集の「美しき水車小屋の娘」と同じ伝です。 >2,もしも語順を逆にしたら、どうなるのでしょうか? 「青い美しきドナウ」「青き美しいドナウ」はアリでしょうか? ⇒現代語と古語の混交で、いささか変な感じですね。 ネット検索してみました。あるサイトで、次のように言っています。 《『美しき青きドナウ』とも表記され、また「青」ではなく「碧」という漢字が用いられることもある。当記事では、『ヨハン・シュトラウス2世作品目録』(日本ヨハン・シュトラウス協会、2006年)の、『美しく青きドナウ』に従う。》 詳しくは、https://ja.wikipedia.org/wikiをご参照ください。

gesui3
質問者

お礼

回答をありがとうございました。 YouTubeの名曲クラッシックを見ていたら、「美しい青きドナウ」と出たのですよね。これをアップした人の、いい加減な書き損じの虞があります。 日本ヨハン・シュトラウス協会、2006年)の『美しく青きドナウ』だって、現代語と古語の混交なのに、変な感じがしないのが不思議です。連用形の問題でしょうか。

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