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昔のほうが勉強していた? (江戸〜昭和)
歴史の本を読んでいて、ナントカって人物はものすごい勉強していたとあって もちろん誇張されている可能性もありますが、例えば昭和の政治家を見ても東大卒が多い気がします。 例えば本居宣長は医者だけど古文研究もしていたとか。 単純に娯楽が少なかったから勉強したとか、あるいは歴史に名を残す一部の人なだけで一般大衆も合わせると今とそんなに割合は変わらないとかあるのでしょうか。
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近代的(西洋風)教育制度がなかった江戸時代と義務教育となった明治以後は区別して考えたほうが良かろうと思います。とりあえず江戸時代についてです。 江戸時代といっても戦国の気風が抜けきれていない初めの頃と太平の世に慣れた後半では大きく異なりますが、後期になれば各地に藩校が作られました。教育の熱心さには差がありますが、佐賀藩のように子弟の藩校の成績が所定の点数に達しない場合は家禄が減らされるような「超受験社会」もありました。自分の成績が悪ければオヤジの給料が大幅カットされて一家が生活に困るとなれば嫌でも熱心に勉強せざるを得ないでしょう。この場合の学問とは主に儒学が中核にある中国の古典を学ぶことでしたが、幕末にはこれに飽き足らず蘭学など西洋の学問を学ぶ者も増えています。 また一方で、藩校などには縁がなく別段学問をする必要がない田舎の農民などの中にも熱心に勉強する者がいました。各地の社寺に残る算額を見ると、純粋に数学の難問(現在の大学受験生でも容易には解けないものがある)を解くことを好み熱心に勉強した人が、全国各地にいたことがわかります。田舎を回って和算を教える師匠もいました。立身出世とは関係がない「純粋に勉強好き」な人は昔からいたのです。 また式亭三馬の『浮世風呂』には、江戸の銭湯で「かも子(鴨子)」と「けり子(鳧子)」という二人の女性が宇津保物語や源氏物語などを学んでいる(単に読んで楽しむだけではなく、活字本と異同を訂(ただ)したり、注釈書を参考に書き入れをしたりする研究的な読書をしている)ことを話題にしている場面があります。もちろんこれは創作(滑稽本)ですが、銭湯に来るような女性のなかにも古典を学ぶ人が実際にいたからこそ、この話が成り立つのでしょうね。 平安時代の更級日記の作者は少女時代に「源氏物語」(写本)を読みたくてもなかなか入手できず、仏様に祈っていますが、江戸時代には古典が出版されるようになり、お金さえ出せば本屋で源氏物語が買えるようになっています。こうしたことも江戸時代の「勉強好き」を助けてくれたと考えられます。
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- nihonsumire
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業績は、後から評価されるのでしょう。現代だって、本居宣長さん以上に勉強し実績を残しつつある人はいっぱいいるのでは。
- monkey_
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今の方が圧倒的に勉強してると思いますが。 むしろ、昔は勉強しない人が多い中で勉強をよくしていた人たちが、抜きんでた業績などを上げ、『偉人』として扱われるようになった気がします。