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大久保利通について
大久保利通は彼以前にも たくさんの同僚の政治家が暗殺されていたのに なぜ、自分に護衛をつけなかったんでしょうか? 騎兵の護衛を通勤に使う馬車の周りに 10人程付けておけば あのように簡単に暗殺されることは なかったんじゃないでしょうか?
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>なぜ、自分に護衛をつけなかったんでしょうか? 大久保の側近で警察TOPの川路利良大警視による治安維持能力を信用していた。 ⇒川路は、犯行計画も犯人も事前に把握しており「石川県人に何ができるか」と油断さえしていなければ、事件を未然に防ぐ事が出来た…。 また、当日は福島県令の山吉盛典との会話が長引き(所謂、国家三十年計画)、明治天皇に謁見するため、慌てて赤坂仮皇居へ向かっています。 ⇒護衛の準備や警戒がおざなりになってしまった。 あと、予算が付かないが重要な公共事業に対して、自らの借金としてまで予算を付けていた程の人物で、自らを守る為だけに多くのお金を使うことを良しとする人物ではなかったという面もあるかと…。 (なお死後には、彼の財産は残っておらず、家族には膨大な借金のみが残り、邸宅は抵当に入っていたため家族は立ち退きを余儀なくされた。)
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- eroero4649
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横井小楠も井伊直弼も護衛がいながら暗殺されてしまいましたから、仮に大久保利通に多少の護衛がいたとしても、どこかで暗殺されたのではないかなあという気がします。 幕末以降で暗殺されたか暗殺未遂に遭った日本人のその状況を調べてみたのですが、井伊直弼や伊藤博文、浜口雄幸のような「移動中に襲われる」か、森有礼や板垣退助のような「暴漢が何らかの形で近づいてくる」か、大村益次郎や原敬のような「自宅に押しかけてくる」かの3パターンに分けられそうだなと思いました。 テロリストがいつどの手段を使って襲撃するかを自由に選ぶことができるので、暗殺を事前に阻止するというのは正直なかなか難しいのだろうなと思います。大久保利通でいうなら、移動中を護衛で固めていたとしても、深夜に自宅に襲撃に来られたら止めようがないですものね。赤穂浪士もこのパターンですし。 以前に他の質問の回答で書いたのですが、日本では独裁者的に権力を自らに集中させようとする人は、みんなロクな死に方をしないのです。織田信長がそうだし、井伊直弼もそうだし、大久保利通もそうでしょ。3人の共通点は「自分に権力を集中させて、政敵は弾圧した」ことと「志半ばで殺された」ことです。 だからどのみち大久保利通は天寿を全うできずに、どこかで暗殺されたのではないかなと思います。思えば大村益次郎も佐久間象山も「我が道を行く」タイプの人で、こういう人は日本の文化の中では排除されちゃうんでしょうな。
お礼
権力を持つと同時に暗殺の危険は高まりますね。 護衛をつけてもそれ以上の数で攻めてこられたら 助かりようがないですね。 ありがとうございます。
- oska2
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>なぜ、自分に護衛をつけなかったんでしょうか? 当時、政治家に護衛をつける制度はありませんでした。 ですから、秘書兼護衛を一人伴っただけです。 この事件以降、護衛の制度が確立します。 >騎兵の護衛を通勤に使う馬車の周りに10人程付けておけばあのように簡単に暗殺されることはなかったんじゃないでしょうか? 人数は置いといて、護衛を多く付ければ暗殺はなかったでしようね。 幸いなのは、暴漢が銃を持っていなかった事。 桜田門外の変では、井伊大老は「籠の中で、既に敵の銃弾が大腿骨辺りに命中」していました。 籠から降りる事も、刀で戦う事も出来ない状況でした。 大久保の場合も、暴漢が銃を所持していれば護衛の人数は・・・。
お礼
護衛がたくさんいても敵がたくさんの人間に銃を持って襲わせたら 助かるのは難しいかもしれませんね、ありがとうございます。
お礼
自分が借金してまで国家の事業を勧めていたのは凄いですね。 惜しい人物を亡くしましたと思います、ありがとうございます。