この2人は西郷隆盛の両腕というべき立場だったが、西郷大久保VS木戸伊藤博文に分かれて争ったみたいな形になった。互いにけん制しあっただけで露骨に争ったわけでもない。
木戸は桂小五郎と呼ばれた幕末期の京都での反政府活動が有名です。京都で蜂起しようとした長州軍は敗走し「長州征伐」まで行われたが京都に潜伏し活動続けた。かくまった芸妓がのちの奥さんです。
よく言われるのは大久保は士族の特権排除志向で明治維新の成果は人事に反映させるべきという立場らしいことです。
全国から人材登用したという言い方がある(別の面からでは権力ふるい独裁者になったと批判がある) 明治11年暗殺される。
彼が生きているうちは薩長閥がはびこることはなかったが死後綱紀緩み官僚は私益の確保に向かい現在に連なる。官僚連中は口先では絶対にそういわないが(^^)
講談社学術文庫「大久保利通」
木戸は近代国家の制度の確立に熱上げた。断髪や議会制度、憲法など(当時の制約はあるが)アジアの他の国と比べれば進んだ仕組みです。木戸は明治10年西南戦争のさなか病死するが伊藤などが跡を継ぎ薩長同盟政治復活させた(いまも続く!)
岩倉訪欧団の帰国後征韓論で揺れる。渡欧中重要な方針変更しない約束は反故にされ西郷板垣大隈と大久保木戸伊藤は対立する。大久保が表、木戸や伊藤が支え薩長政治復活する。西郷が下野しおそらく木戸の意を受けた伊藤の暗躍で西郷大久保は離間する。
木戸の政治はともかく士族に特権与えて活用しようという後のトウ小平みたいなやり方です。利益得た人には天国だったでしょう。(敗戦でやっと華族士族廃止) 長生きする実務派が最終的には大きな影響持つのはスターリンやトウ小平でも経験します。
板垣も含め反政府側は結局は分散し全滅する。しかしそれは権力を監視する政党として緊張感持たせる一定の意義はあった(政党の腐敗言うなら官僚と軍も腐敗です)
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