既に書かれている人がいますが剣術の腕前はそんなに上手くなかったのではないかと思います。
ただ暗殺時には刀を持っていなかったはずです。むしろ特筆すべきなのは、このレベルの高官が護衛を伴っていなかった事ではないでしょうか?
残念ながら理由は推測になってしまうのですが、同じ三傑の木戸が坂本や大村に護衛をつけろと言っていたにも係らず、自身には護衛をつけなかった事から考えると、大久保も自身の信条でつけることを望まなかったのでしょう。非常に肝の据わった人だと思います。
私は大久保という人物は自分の意で国家を動かそうとしていた人間だと思っています。(理由は後述)動機が私利私欲ではなく、日本の為にというのが今日の評価に繋がったのだと思います。
彼は岩倉使節団以後は変化するのですが、それ以前は旧幕臣の登用に非常に批判的でした。この為、渋沢栄一からは酷評されています。
また、彼は木戸を如何に抱き込んだ形で自らの政策を進めるかという事を考えました。
これは大久保一人では政府運営ができないからです。その為、非常に礼を尽くして辞職した木戸を引き戻そうとやっています。しかし、決して木戸の政策に賛同しているという事ではなく、交渉材料に過ぎないというべきで、そうした所に木戸は不信感を抱いていました。
廃藩置県においても旧来の殿様を県令として据える大久保と旧来の殿様の排除を求める木戸で対立します。結局木戸に引きずられる形になりますが、如何に廃藩置県が最大の改革かといわれるポイントは、この部分にあります。ですが主君との関係を見ると木戸と毛利敬親が良好な一方で大久保と島津久光は非常に険悪でした。
ここで注意して欲しいのは大久保一人で改革をやり遂げたのではないこと、彼が自分に不都合な施策でも最後まで責任を担い続けた事です。
三傑の他二人と比べると非常に人間離れした人だと私は思います。
お礼
護衛をつけていなかったんですか。 はじめて知りました。 他の人のお礼にも書きましたが日本のことを必死に考えるいい政治家だったんですね。