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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:大久保利通と江藤新平(佐賀の乱))

大久保利通と江藤新平(佐賀の乱)

このQ&Aのポイント
  • 佐賀の乱の顛末を参考書や小説で読むと、大久保利通と江藤新平との間には、解説されているような「江藤新平の反薩長」という構図だけでは説明できない特別の確執があったように感じます。
  • 大久保利通が、江藤新平を罠にかけるため、佐賀の不平士族に対して挑発行為を行っていたと解説している参考書があります。
  • 江藤新平の帰郷に際して、同じ佐賀出身の大隈重信は、帰郷を中止するよう説得していたようですが、江藤新平は、情勢が読めなかったのでしょうか?

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  • isoken
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回答No.1

>(1) 上記の、私の「個人的な印象」を、賛否は別として、あなたは、どのように考えますか?その理由も含めて教えて下さい。 質問者様の見解は、概ね的を得ているものと考えます。 つまり江藤新平が意図していたのは、反薩長ではなく明らかに反大久保、というのも維新草創期の明治政府内部に於いて、明確なビジョン・国家観を持った政治家はただ二人のみ、それが大久保利通と江藤新平であったという事でしょう。 ところが前者は「民はこれに由らしむべし。これを知らしむべからず。」的な、国家・官僚に依る漸進的国権主義者であったが、後者は早期に憲法の発布と法整備、そして国会を召集すべしとする急進派であり、より民主主義的色彩が強い。 大久保利通としては、同輩の西郷隆盛そして土佐系の大物板垣退助をも、その影響力は認めつつもさほど意識し恐れる事は無かったでしょう。 何故なら彼らは巨大な神輿ではありましたが、他に頭脳を必用としましたから・・。 ところが江藤新平のみは違いました、その閃光の様な能動的頭脳とビジョンは、まさしく大久保利通と同種のものでして、仰る通り大久保は非常に江藤を意識してたはず、恐らく過少評価もしていなかったでしょう。 依って大久保唯一の政敵と成り得たと同時に、佐賀の乱後はその首謀者として、有り得ない極刑を下されてしまった、そういう事であろうかと・・。 但しそれは大久保の私心というよりも、「国家=自分」という自負心に依るもの、つまり新生国家の頭脳は二つ必要ないという前提での、政敵の追い落としという顛末。 加えて江藤の側にも、処刑されるに至る大きな原因が有りました。 そもそも薩長土肥と称せられてはいたものの、薩摩と肥前では政治的影響力が雲泥の差、加えて肥前鍋島系の大官は群れる事をせず、依って江藤には大久保に於ける大薩摩といった寄る辺が無かった為、意図的に西郷を担ぎ、薩摩の内部分裂即ち西郷と大久保の分断を画策していた、少なくとも大久保はそう捉えていたものと思われます。 そもそも従来の江藤の言動からすると、征韓論には組しないはずでして、その点に関して、大久保は江藤に不純な何かを感じ取っていたはずですから。 >(2) 大久保利通は、佐賀の不平士族に対して、「江藤新平を罠にはめる」ため、具体的に、どのような挑発行為を行っていたのでしょうか? 何がしかの文献を調べますと、具体的な人物名まで記されておりますが、ここでは横着して(すみません)記憶を頼りに申し上げますと、司法省時代の江藤の部下(確か)土佐の何某を派遣して、江藤に空気を吹き込んだはずです。 大久保の目にも、何れ不平士族の乱は避けられない情勢だったようで、薩摩が決起する以前に暴発させての個別撃破を目論んでいたのでしょう。 そこで極刑を以って政敵を葬り去れば、反乱に対する抑止力と、政敵の排除というまさに一石二鳥、そうした目論見・罠の中にまんまと飛び込んでいったのが江藤新平、そういう構図であろうかと。 >(3) 江藤新平の帰郷に際して、同じ佐賀出身の大隈重信は、帰郷を中止するよう説得していたようですが、江藤新平は、情勢が読めなかったのでしょうか? 極めて興味深い事に、あれほど先が読める人物にしてあの結末、恐らく自負が強過ぎた為でしょうが・・。

noname#205122
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。大変わかりやすい説明で、疑問が解けました。<(_ _)> 「明確なビジョン・国家観を持った政治家はただ二人のみ、それが大久保利通と江藤新平であったという事でしょう。」……まさに、「両雄並び立たず」ということですね。 「肥前鍋島系の大官は群れる事をせず、」……不思議ですよね。佐賀県人の特性みたいなものがあるのですかねぇ。 「意図的に西郷を担ぎ、薩摩の内部分裂即ち西郷と大久保の分断を画策していた、少なくとも大久保はそう捉えていたものと思われます。」……大変興味深いです。このような見方は、私には出来ませんでした。 「そもそも従来の江藤の言動からすると、征韓論には組しないはずでして、その点に関して、大久保は江藤に不純な何かを感じ取っていたはずですから。」……目が覚める思いです。 「極刑を以って政敵を葬り去れば、反乱に対する抑止力と、政敵の排除というまさに一石二鳥、そうした目論見・罠の中にまんまと飛び込んでいったのが江藤新平、そういう構図であろうかと。」……よく分かりました。「反乱に対する抑止力」という観点からは、江藤新平ならずとも、厳しい処罰が下されたと思うのですが、即席の裁判で、しかも、「斬首の上、さらし首」というのが、ひっかかっていました。 「あれほど先が読める人物にしてあの結末、」……そうなんですよね。不思議なんです。乱後の動きを見ると、西郷のように「死ぬ覚悟」で戦ったわけでもないようだし、さりとて、「佐賀の乱」だけで勝機があったとも思えないし……単なる結果論ですが。「恐らく自負が強過ぎた為でしょうが・・。」というのが、江藤新平のためにも、良い説明ですかね。

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