※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:大久保利通と江藤新平(佐賀の乱))
大久保利通と江藤新平(佐賀の乱)
このQ&Aのポイント
佐賀の乱の顛末を参考書や小説で読むと、大久保利通と江藤新平との間には、解説されているような「江藤新平の反薩長」という構図だけでは説明できない特別の確執があったように感じます。
大久保利通が、江藤新平を罠にかけるため、佐賀の不平士族に対して挑発行為を行っていたと解説している参考書があります。
江藤新平の帰郷に際して、同じ佐賀出身の大隈重信は、帰郷を中止するよう説得していたようですが、江藤新平は、情勢が読めなかったのでしょうか?
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佐賀の乱の顛末を参考書や小説で読むと、大久保利通と江藤新平との間には、解説されているような「江藤新平の反薩長」という構図だけでは説明できない特別の確執があったように感じます。特に、江藤新平の最期「斬首の上、さらし首」というのは、異常ですし、大久保利通の日記の「江藤醜態笑止なり」という記述は、二人の間の異常なまでの人間関係(特に、大久保利通が過剰なまでに意識していた感じがします。……これは、私の個人的な印象)を強く感じさせます。
(1) 上記の、私の「個人的な印象」を、賛否は別として、あなたは、どのように考えますか?その理由も含めて教えて下さい。
(私の個人的な見解)
「意気は豪邁なり。議論は精確にして、和漢上下古今に出入りす。抱負の大なること測る可からざる者有り。」三条実美の側近を務めた土方久元による江藤新平評だそうです。私は、大久保利通が、この江藤新平の才能を、卑近な表現をすると、『国家にとってではなく、「自分の立場にとって好ましくない」と、「恐れていた」のではないか』と思っているのですが、このことと合わせて、ご回答いただければありがたいです。
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また、「大久保利通は、江藤新平を罠にかけるため、佐賀の不平士族に対して挑発行為を行っていた」と解説している参考書があります。
(2) 大久保利通は、佐賀の不平士族に対して、「江藤新平を罠にはめる」ため、具体的に、どのような挑発行為を行っていたのでしょうか?
(3) 江藤新平の帰郷に際して、同じ佐賀出身の大隈重信は、帰郷を中止するよう説得していたようですが、江藤新平は、情勢が読めなかったのでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございました。大変わかりやすい説明で、疑問が解けました。<(_ _)> 「明確なビジョン・国家観を持った政治家はただ二人のみ、それが大久保利通と江藤新平であったという事でしょう。」……まさに、「両雄並び立たず」ということですね。 「肥前鍋島系の大官は群れる事をせず、」……不思議ですよね。佐賀県人の特性みたいなものがあるのですかねぇ。 「意図的に西郷を担ぎ、薩摩の内部分裂即ち西郷と大久保の分断を画策していた、少なくとも大久保はそう捉えていたものと思われます。」……大変興味深いです。このような見方は、私には出来ませんでした。 「そもそも従来の江藤の言動からすると、征韓論には組しないはずでして、その点に関して、大久保は江藤に不純な何かを感じ取っていたはずですから。」……目が覚める思いです。 「極刑を以って政敵を葬り去れば、反乱に対する抑止力と、政敵の排除というまさに一石二鳥、そうした目論見・罠の中にまんまと飛び込んでいったのが江藤新平、そういう構図であろうかと。」……よく分かりました。「反乱に対する抑止力」という観点からは、江藤新平ならずとも、厳しい処罰が下されたと思うのですが、即席の裁判で、しかも、「斬首の上、さらし首」というのが、ひっかかっていました。 「あれほど先が読める人物にしてあの結末、」……そうなんですよね。不思議なんです。乱後の動きを見ると、西郷のように「死ぬ覚悟」で戦ったわけでもないようだし、さりとて、「佐賀の乱」だけで勝機があったとも思えないし……単なる結果論ですが。「恐らく自負が強過ぎた為でしょうが・・。」というのが、江藤新平のためにも、良い説明ですかね。