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阿片戦争
なんで清は、英に阿片漬けにされたのに日本はされなかったんですか? 歴史的事実が知りたいんで右翼的な民族論とか感情論はいりません。
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阿片の材料であるケシ自体は江戸時代にも栽培されていて、医療用として少ないながらも使われていました。 で、阿片戦争後ですが日本はオランダからアヘンの功罪に関する資料をもらっていて、開国後は阿片の輸入は禁止として条約にも盛り込まれました。 しかし外国人居留地では西洋人が密輸したり、清からの中国人が持ち込んで、日本人のアヘン中毒者が出てきました。 これに対して明治政府は被害が全国に及ぶ前に禁制としました。 使用・売買・生産について規制が進んでいき、国内にいる外国人にも適用され、拡大を防ぐことができたということです。
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- oska2
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>なんで清は、英に阿片漬けにされたのに日本はされなかったんですか? アヘン戦争は、清国にアヘンを輸出していたイギリスが「アヘン禁止を行った清国に対する攻撃」ですよね。 この情報は、直ぐに当時の幕府に伝わりました。 じゃ、何故「日本は、アヘン戦争が起きなかった」のか。 結果論から言うと、当時の政治体制でしようかね。 清国は「封建統一国家」で、日本は「封建連合国家」だったからです。 清国は、清政府が全ての決定権を持っていました。 が、日本は「幕府の方針も、各藩が独自に解釈実行する」一種の連合国家でした。 イギリスも、幕府を相手にするだけでは駄目で「各藩主を相手にする」必要を理解していました。 そこで、イギリスは各藩と政治的な取引を行ったのです。 政治的な取引を行うまでは、各藩と戦火を交えていますよね。 ※当時の長崎などでは、アヘン窟が各所に存在して大問題になっています。 また、当時の日本の外交関係も影響したでしようね。 江戸時代には、オランダ商館を通じて各国の外交官が江戸を訪問しています。 ※1700年代のイギリス人が書いた日本旅行記は、面白いです。 鎖国!という言葉は、明治政府が「幕府は、国際情勢に疎かった」との政治的な意味しかありません。 ※今でも、韓国国民は「朝鮮通信使が、国際情勢を教えてあげた」と信じていますがね。 実際は、オランダ・イギリス・ドイツ・フランス人などが、オランダ商館付きとして来日しています。 想像以上に、幕府は国際情勢に通じていたのです。 ペリー来航も、数年前にオランダから親書が届いて知っていました。 話が逸れましたが、各国と繋がりが深い日本との交戦はイギリスとしても避けたかったのでしようね。 幕府には、フランス陸軍が顧問となって軍事支援を行っていましたし・・・。
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ご回答ありがとうございます。 政治体制からの考察はとても面白い(興味深い)かったです。 とても参考になりました。
- tzd78886
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当時は実質オランダとしか外交していなかったからです。英国はオランダとの競争に敗れ日本と交易していませんでした。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうだったんですね。 とても参考になりました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど、そうだったんですね。 とても面白(興味深い)かったです。 とても参考になりました。