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【日本人の挨拶の起源】は貴族の伺候(祗候)が始まり

【日本人の挨拶の起源】は貴族の伺候(祗候)が始まりなのですか?禅の一挨一拶の方が歴史が古いのでしょうか? 貴族と言っているので、貴族の伺候(祗候)は室町時代だと思います。 日本の禅は何時代から始まったものですか?

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  • fujic-1990
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回答No.2

 せっかく書いたのが1度消えました。急いで半分書き直します。 > 貴族の伺候(祗候)が始まりなのですか? > 禅の一挨一拶の方が歴史が古いのでしょうか?  ということは、伺候が始まり、あるいは禅が伝わるまで、日本人は挨拶しなかった?  そんなことはことはナイと思いますよ。  魏志倭人伝東夷伝には、「見大人所敬 但搏手以當跪拝」とあります。「不盗竊少諍訟」とも。  エライ人に遭うと、「敬意を示すために」基本的には「跪拝」したわけです。エライ人は「跪拝を受けた」という印に礼を返したと思われます。まあ相手によって目礼とか会釈とかですね。  跪拝と会釈、これが日本の挨拶でしょう。  挨拶せず、ケンカ腰になって互いに目をあわせず横を向き合っていたら、とても「不盗竊少諍訟」とは行きますまい。  出逢った所が泥道ということもあるわけで、その場合は、「拍手をもって跪拝に代えることができました。神社で行う「二拍手」も神様への挨拶(相手は神様だから跪拝2回分?)と考えれば納得できます。  「挨拶」を「会話」と考える必要は無く、邪馬台国以前から日本人は挨拶していた、と考えるべきなんじゃないかと思いますよ。もちろん、挨拶ということば・漢字ではなかったと思いますが。 > 日本の禅は何時代から始まったものですか?  「鎌倉時代」に、栄西が臨済宗を、道元が曹洞宗を日本に伝えたことになっています。

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回答No.1

「伺」は「うかがう」「訪問する」「様子を訪ねる」 「祗」は「謹む」「敬う」 「侯」は「領主」 よって「伺候」や「祗候」は「領主に御機嫌伺いに行く事」 そこから「領主の側に奉仕する」の意味にもなったのでしょうね。 ……という語の意味から「挨拶」の意味にはなりません。 「挨拶に行くのは御機嫌伺いに行く事ではないの?」と思われるかも知れませんが、その場合は「御挨拶に伺う」と「御」が加わる事によって「謹んで (敬って) 挨拶に伺う」から「伺候」や「祗候」に近い意味となります。……「御」が付かない、ただの「挨拶」では「御機嫌伺い」になりません。 >貴族と言っているので、貴族の伺候(祗候)は室町時代だと思います。 この御質問者さんの意見がよく判らないのですが、奈良時代の荘園は貴族の所領ですよね……つまり日本に於いて奈良時代から貴族は居て、身分の低い貴族が上位の貴族に「御機嫌伺い」に行く習慣も当然あったでしょう? でも「挨拶」という言葉は使っていなかったでしょうから「挨拶の起源」にはならないでしょうが……。 「一挨一拶」は御質問者さんが紹介する通り、禅問答の言葉で、互いに言葉を交わし合う事によって相手の様々な状態を伺い知る (禅問答では相手の知識を測る) 事から、その後「機嫌」や「体調」「近況」といった相手の「情報」を知って「相手を伺い知る」事を「挨拶」と言うようになったようですね。 日本の禅宗は臨済宗や曹洞宗を鎌倉仏教の 1 つとして歴史の授業で習ったものですが、だからと言って「鎌倉時代に禅宗が伝わった」という事ではなく「鎌倉時代に宗派として勢力を得た」という事であり、伝来したのは鎌倉時代よりも前の事です。 臨済宗も曹洞宗も中国に於いて 9 世紀に出現した宗派ですが、達磨大師を祖とする禅宗そのものは奈良時代から平安時代にかけて既に日本に伝わっていたとされており、鎌倉時代に禅宗が盛んになったのは鎌倉幕府が庇護したからに過ぎません。 座禅して問答するという禅宗の習慣は鎌倉幕府が禅宗を庇護する以前からあるのですから、少なくとも平安時代、もしかすると奈良時代にまで遡る事ができるかも知れませんね。

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