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近代、日本初の徴兵制。
明治6年(1873年)1月10日(新暦)に徴兵令が施行されています。 この時期、新政府が推進した「教育」と「兵役」は、国民には迷惑な制度で大いに不人気だったそうです。 そこで、質問ですが、 徴兵検査は、順調に行われ、計画どおりの兵員を確保できたのですか。 その結果、第一回目には全国で何人、徴兵されたのですか。 よろしくお願いいたします。
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全国の情報は手に入りませんでしたが、まあ参考になりそうなURLを二つ貼っておきます。 徴兵制と徴兵忌避 ~徴兵逃れと弾丸除け信仰~ https://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/data/open/cnt/3/50/1/ssr4-45.pdf こちらは初期の徴兵の様子が描かれていますが、兵役免役規定が載っていますね。 >身長5尺1寸(約154.5cm)未満の者、戸主(世帯主)、嗣し子し (相続者=長男等)、徴兵在役者の兄弟、徒刑以上に処せられた罪人、官かん吏り、官公立学校の生徒、免役料(代人料)270円の納入者などであった つまり戸主、あるいは跡継ぎになれば免役です。(あとは高額な免役料ですがこれは高すぎるので少ないでしょう) 「歩兵第九連隊」 - 古屋哲夫の足跡 https://furuyatetuo.com/bunken/b/54_hohei9/1_1.html こちらは滋賀県の徴兵の実績と兵役・免役名簿です。 表のコピペができなかったのでうrl開いて閲覧してください。 実績としてざっくり15%~85%くらい年度によりばらつきがありますが、まったくもって充足はしていません。 そしてその下の兵役・免役名簿ですが、最初の年でさえ80%、5年後には95%が免役名簿に登録されています。年々上昇してますね。 あの手この手で結婚し戸主となるか跡継ぎのいないところに養子に入り兵役を忌避したことがうかがわれます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 滋賀県の例とは言いながら、大阪鎮台はもとより全国規模のことにも言及しており、よく分かりました。 なかなか思うようには徴兵できなかったということですね。 これだけ分かれば十分です。 明治10年の西南戦争で、政府軍の総兵力は5万8600、艦船19隻だったそうです。 財政きびしい政府が、そして意のままにならぬ府県に命じて、これだけの兵をよく集めたものだと思って質問しました。